基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

第六大陸/小川一水

 

 探検は人間の精神の真髄である  
    ──フランク ボーマン

 このままなら、人類は永遠に階段の下で上を見つめているだけでしょう。
 そこで私が真ん中の段を作りました。
   ──小川一水第六大陸

 おまえはカスタードを焼いてくれ。俺はエンジンを燃やす。
 ──フランク・ボーマン:月の影で危険な減速噴射をする直前、地球で待っている嫁に向けて


宇宙にかける思いを書き綴ったらロマン主義者と大差がない。そこには利害がからんでこず、ひたすらに純粋さがあるだけだ。どろどろとした人の欲がない。月周回衛星かぐやのHPで、スタッフの言葉などが読めるが、どれもこれも夢を見たまま大人になっちまったなというコメントばかりである。宇宙を目指すのはロマン、という空気の中で育ってきてしまったために、昔のことがまったくわからないのだが、今と違ったことだけは確かだ。天の光はすべて星、という作品の凄さが、今改めてわかる。

そしてクラークやなんやかやの先人の作品がある中で育ってきた作家の作品が、面白すぎる。ライトノベルでハードSFを書く笹本祐一や、これまたライトノベルからデビューした野尻抱介、そういえば小川一水ライトノベル作家としてデビューしたのだったか。ライトノベルという分野には、この三人をデビューさせてくれたという一事だけで感謝が尽きない。

どうにもキナくさい雰囲気があって、ほめられているのを読んでも、小川一水の作品を読む気がしなかったのだが表紙を見て気が変わった。幸村誠絵じゃないか・・・。一巻は地球にて、月をバックに立っている構図、そして二巻は月にて、地球をバックに立っている。この対比は非常に印象的で、いい表紙だ。

ハードSFとしてもすばらしい。ハードSFであるということの利点は、作品に圧倒的なまでのリアリティを与えることができることだろう。フィクションなどでも追及される、ありえない出来事にいかに現実味を与えるか、という問題をハードSFはクリアできる。ただ本末転倒なのは、設定だけにこだわった結果、他の事がおろそかになり、手段が目的に変わってしまうことである。面白い小説を書くための設定が、設定を書くための設定になりかねない。

2025年ぐらいだったかな? 本書の時代設定は、そんなに、先の未来というわけではない。今現実には無い装置も多数ギミックとして組み入れられているが、どれも真新しいというものではない。ウェアコンはちょっと特殊だったかな? 

だがそんなこといったら月に行く、なんていうテーマ自体が新しいというよりかは地味である。今まであったSFは、月の住人が地球に帰還する話(∀ガンダム)だったり、地球vs月(月は無慈悲な夜の女王だったりと、すでに月に住んでいる事は大前提という話の上で、さてどうするかという物語ばかりである。その中であえて月を開拓する作品を書いたというのは大きな意味があると思う。まさに真ん中の段を作った、である。先にあとがきから読むタイプなのだが、この部分を読んだ瞬間にバカだなぁと思い、同時に興奮もして、読まずにはいられなくなった。その前からすでに読まずにはいられなくなっていたが、さらにである。大金をかけて月まで有人宇宙船を飛ばす理由がないというのは、もうずっと言われ続けていることだ。そこに挑んだ第六大陸は面白いという他ない。

民間企業が月に基地を建設する、というのがおおまかな流れだが笹本祐一作品で似たようなものがあるなぁと思いだす。彗星狩りも、民間企業が金を必死にやりくりし、整備を徹底し、あらゆる技術的難問に立ち向かい、ライバル企業に追い越されるもお互いに協力しあって行く、という話であった。正直いって大筋だけいえば全く同じである。

第六大陸には驚愕のオチが用意されている。最初はなんてことない伏線の一つだと思っていたら、まさか最後の最後で、宇宙人が残したテクノロジーが出てくるとかいう展開になるとは思ってもみなかった。確かに1億を超える地球型惑星が宇宙に存在するのならば、どこかに知的生命体がいてもおかしくないが、同じ時期に出現しているとは全く限らないはずである。人間が生まれてから、宇宙の年齢と比較すれば1秒にも満たない時間しか、存在していないことになる。この先1秒にも満たない時間が、10秒や20秒になる保証なんて全くない。そんな一瞬しか存在出来ないかもしれない知的生命体が、同時期に存在できるかといえば疑問だ。

キャラクターはどうにもライトノベルっぽすぎる。端的に言うと、どうも薄っぺらい感じがしてならん。ハードSFにありがちな描写が足りない故の薄っぺらさではなく、書かれていても薄っぺらいというこの微妙さ。というか恋愛要素まで書かれているがどうも安っぽすぎる。純ハードSFに恋愛が書かれているものが少ない(ような気がする)のも、ハードSFと恋愛は相性が悪いんじゃないかと考えざるを得ない。妙と走也はまだいいとして、玲花と八重波の恋愛は唐突すぎてびっくりである。妙と走也もたいがいにしろよといいたくなるが、それはまあ燃える展開だからいいとしよう。月に結婚式場を作る、というプランが出てきた瞬間に、絶対にこの二人が月で結婚式をあげる場面で終わる、間違いないと確信したものだったが、実際はまあ大きく外れてはいないとはいえ、なかなかラブラブな感じで終えてくれやがった。ただ中国人キャラクターがカッコよく書かれていたのは良かった。

 二人の子供が、孫が、ここで生まれ、見たこともない人々と出会い、さらに新しい大陸へ──それは、まだ少し先のことだ。
 だがその日は必ず来るだろう。二人にこの日が来たように

わかりやすいハッピーエンドだ。もちろん褒め言葉である。科学描写がわかりにくいからこそ、せめて展開だけでもテンポ良く、把握しやすい流れが最上である、と思う。早いといえば泰が死んでしまうところはあっというまだったなぁ。ちゃくちゃくと死の場面が整えられていくのには思わずえ、え、ちょ、ちょっとまったー! と待ったをかけたくなるぐらい着々とお約束が書かれていった。特に妙がやるといったところを泰がわざわざ引き受けるところなど、死亡フラグ以外の何物でもない。

本書の中で妙が語った内容を読んでいたら、レイ・ブラッドベリの火星年代記を思い出した。人はそこに住み、子供を生む事によって、その土地を自分のものにするのだ。月で暮らすこの二人はもう地球人ではなく月人である。日本人である自分には分かりづらい感覚だが、アメリカ人からしてみれば、アメリカで長年暮らしている人間は何人であろうが、もうアメリカ人だという。最初第六大陸というタイトルを見た時は、第六大陸というよりは第二惑星だろ・・・と思ったものだったが、読み終わってみれば第六大陸というタイトルにも大満足である。