本好きの中でも頂点といってもいい領域にいる二人、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの対談本になる。この二人(あわせて蔵書10万冊)が、その書物の世界、その迷宮のような果てしなさと繋がりを擬似的に体験させてくれる。本好きのなかに連なるものとしてこれ以上素敵なコンサートもそうありはしない。最高に楽しくて470ページがあっという間だった。
あるテーマが始まれば終わることなく話題が出てきて、たとえ話はどれも釘付けになるような面白いものばかり。やはり「底知れなさ」というのは人がある対象に惹きつけられる、重要な要素だと思うが、この二人の軽いジャブですけど何か的な余裕ある対話から推察される「まだまだ深いものを隠し持っているぞ」感が凄くて圧倒されっぱなしだった。まあ、なにしろ一人はウンベルト・エーコであることだし。
しかし出た時から読もう読もうと思っていたのだが分厚いハードカバーに躊躇しているうちに4年も経ってしまったとは。いつのまにか電子書籍になっていたのでこれ幸いと買って読んでみた。さすがに本についての本だけあって、装丁が素敵なので、中も傑作であることだし紙で持っていたい気もするのだがなあ──。場所とその物理的な重量がそうも許さぬのよ。
で、題名から電子書籍と本についてなのかしらんと誰もが思うところだがそうではない。原題の直訳は「本から離れようったってそうはいかない」といった感じらしい。だからまあ日本語訳にあたっての改題ということになろう。中身は実際、どこまでも深く本について語り合っていく二人の深刻な読書家の本話であるし、その雑談は最初に書いたように縦横無尽に書物の世界へと広がっていくので圧倒されっぱなし。
僕も平均からすれば随分たくさん読んでいる方だと思う。それでもこの二人からすれば虫けらのレベルに等しい。だいたい僕は読み終えた本をすぐに捨てるので家には本が置いてないしなあ……。世の中には凄い人達がいるものだよ、ほんとに。話の中に常に世界中の本の話が立ち上がってきて、「そういえば、たとえばこんな本にはこんなことが書いてあったね、それでつまりはこういうことなんだよ」とどんな話題にでも流れるように、多数の書物が接続されていく。
これが「たんなる暗記屋じゃん」とは、ならないんだよなあ。一つの話題がぱっと産まれたと思ったら瞬く間に大量の書物が接続されていくこの感覚、読んでみないと、というか体験してみないとなかなか伝わらないだろう。暗記ではなく「つなげ方の能力」の問題なのだ。どんなに大量の情報を暗記していようが、その使いドコロがわからなければ意味がない。エーコとカリエールの二人は間違いなくその使いドコロが洗練されている人達なのだ。
神秘性すら帯びていると思うほどだ。それぐらいすらすらと過去に読んだもの、著作がどんどん流れてきて、たとえ話もからめながら本についての話を行っていく。それはたとえばウンベルト・エーコにDNAの話をしてくれといってすらすらと答えられるわけではないと思うが、少なくとも書物に関してこの二人はほとんどずっと新しい話を続けられるのではないかと思うような底知れなさを秘めているのだ。たとえばこんなふうに。
C:傑作は最初から傑作なのではなく、傑作になってゆくんです。もう一つ言っておきたいのは、偉大な作品というのは、読まれることでお互いに影響を与え合うということです。セルバンテスがカフカにどれだけ影響を与えたかということはおそらく説明できるでしょう。しかし──ジェラール・ジュネットがわかりやすく示してくれていますが──カフカがセルバンテスに影響を与えたとも言うことができるのです。もしセルバンテスを読む前にカフカを読んだら、読者はカフカの影響で、みずから、そして知らず知らずのうちに『ドン・キホーテ』の読み方を変えてしまうでしょう。我々の生き方、個人的な経験、我々が生きているこの時代、受け取る情報、何もかも、家庭の不運や子供たちがかかえる問題までもが、古典作品の読み方に影響をあたえるんです。
といってこのあとドン・キホーテの中の小話についての話にうつっていく。いやあ、こうやってすらすらすらすらと世界文学における関係性を提示しながらそのなかの小話に入っていけるっていうフットワークの自由さが、そしてどちらもその内容になんらズレることなくついていけるっていうことが、素晴らしいという他ないね。
世界中の話に精通している二人なので、「本」についての直接的な言及以外も、どれも面白くてハイライトをつけまくってしまった。地下鉄のホームで延々と本を読み続ける男の話、詩人が多すぎるアルゼンチンで旧友とばったり会った時に二人共が詩集を相手に読んでもらおうとする話、シェイクスピアについてのちょっとしたニュースが中国で大きく取り上げられた時のエーコが抱いた疑問への中国人の返答などなど……。
そしてもちろん本についての話も。「書物を愛する愛書家として、いちばん欲しいものは何ですか」という問いに対するウンベルト・エーコの答えなんてその問いが出た時点で前のめりになって先を期待してしまう*1、大きな本棚の前に初めてきた人が「ここにある本、全部お読みになったんですか」と聞いてきた時の答え方も興奮して転がりながら読むぐらいに熱狂的に読んでしまう。
こういう反応は、考えもしなかったが、ファンのアイドルに対する反応みたいなものだな。または好きなスポーツ選手とか。スポーツが嫌いだから好きなスポーツ選手など一人もいないし、アイドルなどというものとはついぞ縁がない人生であるがここにきて理解できたかもしれない。ウンベルト・エーコやジャン=クロード・カリエールのような人物は読書家にとってはスタープレイヤーなのだ。その一言一句に注目してしまう。
読みきれない本棚へ迷い込んでしまった気分を味わいたければ読むべし。
- 作者: ウンベルト・エーコ,ジャン=クロード・カリエール,工藤妙子
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 単行本
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