かかった日数は1989-90年にかけて行われた第一回大会が109日で、2020年-21年で行われた大会では80日というから、現代技術をもってしても過酷なレースなのは間違いない。それもある程度の経験や実力を証明してからでないと出場できない(40人しか出場不可)でこの速度&完走率なのだ。とても自分でやりたいとは思えない。
ただ、1989年の「ヴァンデ・グローブ」よりも前から単独無寄港無補給の世界一周レースは行われていた。それが、サンデー・タイムズ紙が主催によって1968年に行われた、《ゴールデン・グローブ世界一周レース》だ。賞金は5000ポンドで、1968年の6月1日から10月31日のあいだにイギリス本土の港から出発し、3つの岬(喜望峰、ルーイン岬、ホーン岬)をまわり無寄港世界一周を最速で達成したものに支払われる。
現代の世界一周ヨットレースは潤沢な機材や支援のもと、できるかぎり危険がないように進行が進められるが、世界一周ヨットレースの草創期である当時はそうした整備は何もなされていなかった。参加者らはスポーツマンでもなかったし、ヨット競技者でもなかった。中には帆走の技術を知らぬまま出港したものもいた。
当時の技術では世界一周には10ヶ月程度を必要とし、その間他者と交流を持つこともできず、一人で小さい車程度の居住空間で暮らし続けた人々は、嫌でも自分の内面と向き合わざるを得ない。その結果、ひとりまたひとりと狂うか、真実の自分と出会うことになる。本書『狂人たちの世界一周』は、そうした世界初のレースに臨んだ男たちの歴史を綴るノンフィクションだ。最初は登場人物の来歴とそれぞれの動機が紹介され、出港し、さー誰が一位になるのかな!? と普通のレース物としてわくわくしながら読んでいくと、『スティール・ボール・ラン』のように途中から「おい、うそだろ!」とか「マジかよ……」と言いたくなる事態が次々と起こっていく。
翻訳刊行はつい先月の新刊だが、原書は2001年が初版。そのため記述自体は古いのだが、書かれた当時からしても10年以上昔のことなので、そのおもしろさはいささかも損なわれていない。
誰もが単独無寄港世界一周について語り合った年
なぜ1968年にそんなレースが開催されたのかといえば、当時の状況が関係している。まず、1966年から67年にかけて、65歳のイギリス人フランシス・チチェスターが単独での世界一周航海を成し遂げた。それも暴風雨など様々な試練が襲いかかる危険だが短いルートを使ってのことで、停泊はオーストラリアに寄港した一回きりだった。
当時英国は勇敢な宇宙飛行士も輩出できず、政治家のスキャンダルも続き世界での地位を低下させていたから、国を代表するような英雄を求めていた。チチェスターは一気に国民的英雄となり、同時に、世界中の船乗りや英雄的な冒険家になろうと志す者たちは、チチェスターの後に続くことを夢みた。(チチェスターが達成していなかった)無寄港による世界一周は、あらたな英雄になるためのわかりやすい目標だった。
一度だけの寄港で世界一周を遂げたチチェスターの快挙によって、多くの者たちがノックス=ジョンストンと同じような夢想を抱くことになった。世界のあちこちで、冒険をいとわぬ夢想家たちが挑戦すべく立ち上がり、単独無寄港世界一周というあの時代ならではの夢がヨット界に広まった。1967年は誰もが──家庭で、ヨットクラブで、週末のクルーズで、職場で──まさに朝食時のノックス=ジョンストンと父親のように、単独無寄港世界一周について語り合った年だった。「誰かがきっとやる」と彼らは言い、少なからぬ者がそれを成し遂げる自分の姿を思い描いた。(p.34)
まさに世は大航海時代、といった感があるが、実際多くの人たちがこの野望を実現するために動いていた。その機を逃すな、と飛びついたのがサンデータイムズ紙で、世界一周航海に出る誰かのスポンサーになるのではなく、全員を一網打尽にする案を思いついた。レースを立ち上げ、そのスポンサーになればいいのだ。
とはいえそもそもレースなどなくても勝手に動き出そうとしてい連中なので、よーいどんで一斉航海に従うわけがない。そのため、出港期間を長めにとって(1968年の6月1日から10月31日のあいだ)、どのタイミングで出港したかにかかわらず最初に帰ってきたものに賞金を渡すレースの仕組みを作った。
参加者
最終的にゴールデン・グローブ・レースに参加したのは9人。イギリス人が6人、フランス人2人、イタリア人1人の構成で、潜水艦乗りのエース、体力抜群の陸軍大尉、太平洋をほぼ単独で2万マイル航海していた単独航海者など期待できる面々が並ぶ。中にはドナルド・クロウハーストという、電子技術者でヨット乗り向けの無線航海機器の製造者兼アマチュアヨット乗りもいるのだが、のちのち彼が台風の目になっていく。
参加者は9人で最終的に完走できたのはたった一人なのだが、その他の人々もただ単に船が壊れかけたり水没しかけたりといった、ヨット航海の一般的な苦難に遭遇して脱落したばかりではなかった。長い単独航海は人間精神をどうしようもなく狂わせてしまう。「狂人たちの」世界一周と邦題がつけられているのはこけおどしではなく、意気揚々と出港した彼らは、シンプルに精神がおかしくなっていくのである──。
クロウハースト
それどころか、普通にレースをするだけではない事態も勃発して、単なるレースでは収まらない物語になっていく。たとえば電子技術者で発明家であるクロウハーストは自分の船に様々な工夫をこらそうとしていた。ヨットが危険なほど傾きすぎた場合、スイッチ装置で転覆を防止するシステムであるとか、索具にかかる荷重を電子的に感知し危険レベルになったら警報がなるシステムとか。
だが実際に出港してみれば、すぐにシステムのほとんどはそもそも搭載できなかったか機能もせず、無線も動かなくなるわ、水漏れは起こるわで世界一周など不可能な状態に陥っていく。しかし彼は様々なものを背負っていた──妻子はもちろん、事業の失敗の補填のための費用や、スポンサーの期待──から、おめおめと帰国の途につくこともできず、ゴールを目指すわけでもなく迷走していた。それどころか、彼はその類まれな計算・数学の能力を用いて、「自分の位置を偽装」し始めるのである。
彼はいつか受けるかもしれない厳しい精査のために偽の記録を準備し始めた。自然な流れに見えるようにしなければならないので、航海の最初からつけていたログブックに、彼は一二月六日以降、偽の位置、それを算出した計算式、そして毎日のまことしやかな海上生活を書いた。(p.248)
当時GPSなどないから、レース参加者の位置を把握することは難しく、基本的には無線による自己申告に頼っていた。現代では到底不可能な偽装工作がこの時代にはぎりぎり成立しえたのである。クロウハーストは偽の報告を上げ、それを受けたサンデータイムズ紙はクロウハーストが猛烈な速度で追い上げていると報道(実際は南太平洋を迷走し、アルゼンチンに寄港したりしている)し──と、事実が発覚する前から疑念を抱いていたものはもちろんいたが、多数の市民は彼に声援を送っていた。
おわりに
はたしてクロウハーストはどうなってしまうのか──? は、検索すればすぐにわかることではあるが、ぜひ読んで確かめてもらいたいところ。そして、本書というかこのレースのすごいところは、クロウハーストは「狂人たち」の一角にすぎないという事実で──と、僕が本書を読んでいて一番「嘘だろ」と思った部分については今回はまったく触れていないので、ぜひ読んでみてね。
*1:これまでの累計参加者は二〇〇人ほどで、完走率にして五七%ほど