基本読書

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なぜ、無意味な仕事ばかり増えているのか?──『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』

この『ブルシット・ジョブ』は、文化人類学者であるデヴィッド・グレーバーによる「クソどうでもいい仕事」についての理論である。「クソどうでもいい仕事」とはなにかといえば、文字通りとしかいいようがないのだけれども、「その仕事に従事している人がいなくなっても誰も何も困らないような無意味な仕事」のことである。

原書で刊行された時から日本でも大変に話題になっていた一冊で、楽しみに読み始めたのだけど、これがとにかくおもしろい! 確かに世の中にはブルシット・ジョブとしか言いようがないくだらない仕事が溢れているように見える。それがどれほどありふれているのか、またどのようなタイプのブルシット・ジョブが存在するのか。また、仮にこれが近年さらに増大を続けているとしたら、それはなぜなのか。それはひょっとしたら必要なものなのか。はたまた不必要で、今後なくすべきものなのか。

無意味だと感じている人が多い業界の賃金が高く、実質的な価値をもたらす教員や介護や掃除人のような職種の人々の給料が低いのはなぜなのか。ブルシット・ジョブは、社会にどのような影響を与えるのか。人間の時間の売却が可能であるという考えが生まれたのかなど、仕事観の変遷を含めて丹念にたどり直していて、(たとえ自分はそうした仕事についていないと思ったとしても)読むと得るものがあるはずだ。

この「実は大多数の人が自分の仕事を無意味だと感じているのではないか?」というブルシット・ジョブ理論については、著者自身により2013年web雑誌に小論として発表され、大きな反響を巻き起こし、その後、いくつかの追加調査が起こった。そのうちのひとつ、イギリスでの世論調査によれば、「あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をしていると思いますか?」という質問に対して、3分の1以上、37%もの人が「していない」と回答した。していると回答したのは50%だった。

ブルシット・ジョブとは?

具体的にブルシット・ジョブについて触れてみよう。たとえば一度スペインの公務員が勤務先のカディス水道局から罰金3万ドルが科された事件が起こった。彼は永年勤続表彰を受賞したのだが、その際に6年に渡って職場に不在だったことが判明したのである。ニュースによるとその公務員は途中からスピノザの著作の研究に没頭するようになり、専門家になっていた。無論サボってたので罪は罪だが、そもそもそれだけの期間に渡って仕事してないのがばれない仕事ってなんなのよという話である。

似たような例は世に溢れている。仕事をしているフリだけの仕事であったり、完全に無意味な物を動かす仕事など。たとえば、ドイツ軍で兵士Aが二つ離れた隣の部屋に移るとする。その時、自分のパソコンを普通に運ぶことはできず、書類を記入する必要がある。書類をIT企業が受け取ったら社員が書類をチェック、承認されたら書類が物流会社に転送。そうしたら物流会社が部屋の移転を承認し、人材管理会社に業務を要請。そこの会社の人間がえっちらおっちらやってきて、パソコンを取り外し、二つ離れた隣の部屋に移動させる。『こんな感じで、その兵士が自分でパソコンを五メートル運ぶかわりに、二人の人間が合わせて六時間から一〇時間も運転して、書類を十五枚も埋めて、四〇〇ユーロという額の血税が浪費されているわけです。』

最終的な実用的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている。

こうした定義が、本書ではブルシット・ジョブとして用いられている。

僕が従事したブルシット・ジョブ

本書を読んでいて、僕自身も新卒の頃ブルシット・ジョブに従事していた記憶が蘇ってきた。プログラマとして大企業の社員の仕事の総合管理システム(わざとぼやかしてます)の保守運用として一次請けで働いていたのだけれども、とにかく仕事がない。もう10年近く運用されているシステムで改修などないし、たまに画面からとれないデータを裏でSQLで取ってCSVで提供するぐらいで、一週間のうちの労働時間は1時間だか2時間だか。そんな仕事を、1人ならまだしも4人がかりでやっていたのだ。

楽でいいじゃんと思うかもしれないが、意味なく8時間椅子に座っていなければいけないのは凄まじいストレスだ。こちらは下請けとして「仕事を振ってもらっている」立場であり、かつ客先常駐の仕事なので、暇だわ〜〜という態度をとることもできない。仕事はないのに、忙しくしている必要がある。娯楽系のサイトはたいていブロックされている。僕が編み出したのは、小説家になろうのサイトを開いて、ただしその画面をずっと見ているとサボっているのがバレるので、テキストをコピーしてエクセルの1マスに貼り付けて、画面をスクロールして意味のある部分を見ているように見せかけながら、エクセル上部に出てくるテキストを読むという技だった。

これは、8時間「演技」を強いられいるわけで、ストレスが半端ない。結局、その会社のエレベータに乗った時、頭上の監視カメラ映像で自分が頭頂部から禿げ始めていることに気づいて、やめることになった(その後ハゲはなおった)。本書では、働いているフリをすることがストレスフルなのは、自分がまるごと他者の権力下にあることを嫌でも意識させられるからであるといっているが、確かにそうだ。とにかく、きつい。もちろん、こうした仕事につくことが必ずしも悪いものとは限らないが。

なぜそんなに無意味な仕事が増えているのか?

しかしなぜブルシット・ジョブが増えてきているのだろう? これには、いくつかの理由が述べられている。たとえば、オバマ前大統領は選挙の民意に抗って利潤追求型の健康保険制度の維持を選んだが、理由を問われたインタビューで、「「単一支払者制度による医療制度に移行すると、保険やペーパーワークの非効率が改善されるのだ」というけれど、そんなことをしたら保険会社で職に就いている100万、200万、300万人の仕事がなくなってしまう。この人達はどこで働けばいいのか?」(意訳)

と答えている。ようは、ブルシット・ジョブが存在するのは「雇用のための雇用」を権力が求めているから、ということになる。「雇用が存在すること」が正義であり、効率などどうでもよいのだ。『というわけで、当時、世界で最も力を持っていた人間が、おのれの目玉となる政策をふり返りながら、その政策の形成にあたって重要となった要因は、ブルシット・ジョブの維持であると公然と語っているのである。』

また、金融産業の需要の高まり(金融産業がブルシット・ジョブの典型例であること)がブルシット・ジョブの増大につながっていること。自動化は実際には大量の失業を生み出していて、我々はそれに対して効果的な仕事もどきを作り出すことでそうした亀裂を埋めてきたこと。また、自動化は特定の作業をより効率的にするが、同時に別の作業の効率を下げ、コンピュータが認識できるような形式へ転換するために必要な膨大な人間労働がブルシット・ジョブに繋がりやすいことなど、様々な仮説が述べられていく(データが伴うものもあれば、単なる推測もある)。

おわりに

もし40%近くが無意味な仕事だとしたら、そうした仕事を消し去ったら、我々は余暇に溢れた社会、週20時間労働の社会に移行することもできるかもしれない。

ざっと紹介してみたが、これでも本書の一部である。他にも、「そもそもブルシット・ジョブってめちゃくちゃ主観的な定義じゃん」というツッコミに対する防御や、仕事によって受け取る社会的便益の大きい、教員や保育士などといった職種の得られる賃金が異常に低くて金融コンサルタントなどの賃金が高い理由について*1など、おもしろい論点が多数含まれているので、気になる人は是非手にとってもらいたい。

*1:「教員や保育士の給料低い問題」について少しだけ触れておくと、一つに、社会的に尊厳の得られるような仕事をする職種の人間が金目当てであってはならないという道徳観があるからだ(金目当ての教師に子供を預けられるか、という話である)。