基本読書

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既存の「わかりやすい」人類史を現代の知識・研究でとらえなおす、『ブルシット・ジョブ』著者の遺作となった大作ノンフィクション──『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』

この『万物の黎明』は、世の中にはやってもやらなくてもいいようなクソどうでもいい仕事で溢れているのではないかと論を展開した『ブルシット・ジョブ』で知られるデヴィッド・グレーバーの最新作にして、遺作となった大作ノンフィクションである(単著ではなく、考古学の専門家デヴィッド・ウェングロウとの共著)。今回テーマになっているのは、サブタイトルに入っているように、「人類史」だ。

多くの(特に売れている)人類史本には、環境要因に注目したジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』や「虚構」をテーマにしたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』のように「わかりやすい切り口」が存在するものだが、本書(『万物の黎明』)の特徴の一つは、数多語られてきた「わかりやすい切り口」の「ビッグ・ヒストリー」を批判し、「複雑な人類史を複雑なままに」とらえようとしている点にある。

たとえば、これまで「わかりやすい物語」として、人類はある時期を境にして狩猟採集生活から農耕を主とした定住生活へと移行し、人口が増え、国家や都市が生まれ、法律や軍隊も生まれて不自由や不平等が生まれていった──とするスケール発展の歴史があった。しかし、実際の歴史や考古学的証拠を追うと、人類の発展はそうシンプルなものではない。たとえば、いわゆる狩猟採集民は穀物や野菜の栽培や収穫の方法を理解しながらも農耕に完全にシフトせず、数千年にわたって農耕や家畜化と狩猟採集生活を共存させてきたし、社会の形態も必要に応じて様々に対応してきた。

本書は数多のビッグ・ヒストリーへの批判や、「あったこと」ではなく、「なかったこと」を中心に展開するので、どうしても記述はわかりにくくなる。どういうことかといえば、都市生活や奴隷制度や農耕が、ある時代の社会に「なかった」のはなぜなのかと問うていくのである。それはただ「(発明前だから)なかった」のではなく、「拒絶した」から存在しなかった場合もあり、そこには重要な視点がある。

ある時代や場所で都市生活や奴隷制が拒絶されたことを、別の時代や場所で都市生活や奴隷制が出現したのと同等に重要なこととして扱うとどうなるだろうか? その過程で、しばしばわたしたちは驚嘆することになった。たとえば、わたしたちのどちらも想像もしていなかったのだが、奴隷制度は歴史上複数の場所で何度も廃絶されている可能性が高い。

われわれは現代社会に「国家」や「法律」や「戦争」や「賃労働」があることを当たり前のものとして捉えているが、歴史的にみれば、人数が多くかつそれらがなくても成立している社会はたくさんあったようなのだ。時に、一万人規模の都市住民らが、大規模な集会もトップダウンの組織もなく相互扶助的に暮らす場所もあった。

かつての人類が「法律」や「戦争」や「賃労働」なしに大規模な集落生活を実現できていたのなら、今のわれわれができないのはなぜなのだろう。人類の歴史を再検討していくことで、そうした「ありえたかもしれない可能性」を考えることに繋がる。

本書の記述は先に書いたような理由も相まって、文脈が入り組んでいてわかりづらい。ページ数も引用・索引込とはいえ700ページを超えており、全部を読み通すのは骨が折れたが、読み終えてみればそれだけの価値がしっかりとある本であった。

なぜわれわれは閉塞してしまったのか?

全体を要約するのは不可能なので、特に印象的なトピックに絞って紹介していこうと思うが、そのひとつは「なぜわれわれは閉塞してしまったのか?」という問いかけだ。閉塞? どういうこと? と思うかもしれないが、われわれは基本的に特定の国家に国民として所属し、一年を通して国家の政治の支配を受け続ける。季節ごとにルールが変わったり、きまぐれで抜けたりといったことは、基本はできないわけだ。

しかし、人類史を振り返ってみると、長い期間にわたって人類社会と組織の在り方は柔軟に変化してきたことがわかっている。たとえば、レヴィ=ストロースはかつてアマゾン奥地住む狩猟採集を生業とするナンビクワラ族について書いている。これはおもしろい集団で、一年のうち雨季には数百人からなる丘の上に住み、園耕を行って過ごす。それ以外の季節では、狩猟採集の小バンドに分かれて生活するのだ。

つまり、季節ごとに形態を大きく切り替える人々なのだ。狩猟採集を行う乾季には命令をくだし、危機を解決する「首長」をたてる。乾季のあいだ首長は権威主義的態度で他人にたいしてふるまうが、雨季は何も押し付けることなく、調停者や外交官的に過ごす。人間社会は「バンド」から「部族」、「首長制」から「国家」と、規模はだんだんと大きくなる(それにつれてシステムも複雑になる)と長らく思われていたが、ナンビクワラ族はそのあいだを毎年往復しながら過ごしているのである。

それってナンビクワラが特殊なだけなんじゃないの? と思うかもしれないが、世界最古の聖地と呼ばれるギョベクリ・テペなどモニュメンタルな建造物の在る氷河期の遺跡のほとんどすべてが、ある時期は狩猟採集バンドに分散し、ある時期は集落に集う、ナンビクワラと似通った生活をしていた社会によって形成されていたことが近年わかってきている。たとえばギョベクリ・テペの神殿周辺での活動は、ガゼルの群れが降りてくる夏から秋にかけての豊作の時期に対応していて、その時期に大量の木のみや野生の雑穀を加工して食材としながら神殿の建設作業を進めていたようなのだ。

われわれがかつては柔軟に組織形態を変えて、首長の権限・立場すらも動的に変えることができていたのなら、なぜわれわれの社会はその柔軟性を失って、特定の個人や集団が何十年にもわたって他の人々を支配するような状態になってしまうのだろう──というのが、本書で問いかけられている大きな問いかけのひとつなのだ。

わたしたちは、なぜ、地位や従属を、いっときの便宜的手段とか、威風堂々たる季節的演劇としてではなく、人間の条件の不可避の要素として扱うようになったのだろうか?

都市の問題

そうはいっても数百人レベルの話だから成立するのであって、数万とかいったレベルでは定住が必要・柔軟な変化も困難になり国家が必要になるって話でしょ? と思うかもしれない。実際歴史的にみるとその流れがあるので必然に思えてしまうのだが、細かく事例・都市をみていくと、かつて存在していた多様な中身がみえてくる。

本書ではいくつも古代都市の検証が行われていく。たとえばウクライナとその周辺地域のメガサイト(古代遺跡)には紀元前4100年から前3300年頃にわたって人が住んでいた。一つのメガサイトは数千から1万の人口がいて、メガサイト同士は8-10km程度しか離れていなかった。それだけ近ければ同じエリアからの資源の調達が必要になるはずだが、周辺環境にかかっていた負荷はおどろくほど軽微であったという。

そこから導き出される仮説として、メガサイトは都市スケールに拡大した一時的な集合地で、一シーズンのみ使われていたとする説や、特定の季節に限定せず、住んだり住まなかったりする「中間滞在地」として使っていた説がある。ようはずっといたわけではないのではないか、という話だ。住民は狩猟採集に小規模な栽培と牧畜とを組み合わせ、持続可能性のある生活を営んでいた。また、8世紀にわたって、ここでは戦争や社会的エリートの台頭を示す証拠もほとんどみつかっていない。

この時代には文字記録がないから具体的に彼らがその生活をどのように運用していたのかはわからないが、考古学的な証拠などを用いて推測するに、生活・物流上の課題を、集権的な統制や管理、トップダウンからの指示や共同体の集会を必要とせず、相互扶助システムによって解決していたようだ。『このようなシステムが小規模でしか機能しないと考える理由はない。』本書ではこうした例を無数にひいて、人口のスケールに伴って支配的構造は必然的に現れるという発想を、明確に否定している。

おわりに

メガサイトの具体的な相互扶助システムの仕組みについてや、なぜそんな素晴らしい都市が捨てられたのかは、読んで確かめてもらう他ない。そして、この記事で紹介できたのは本書の膨大な情報量の2%程度に過ぎない。メガサイトの他にもいくつもの都市が検証されていくし、ことは都市で終わる話でもないのである。

本書がそうやって膨大な物量をかけて過去を点検しながら問いかけていくのは、「もっと人間は自由でいられるのではないか」というものだ。あまりに壮大な問いなので最初は面食らうのだが、読み通してみればその可能性を知ることになるだろう。