基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

科学は誰のものか―社会の側から問い直す

STS(科学技術社会論)という単語を本書で初めてきいたわけですが、どうやら本書はそのSTSについての入門書、という位置づけのようです。STSとはサイエンスの不確実性や、優れたテクノロジーが持たざるを得ない政治性、そういった「社会との軋轢」をクリアする為に科学者側が一方的に説明するのではなく、素人との対話を持つことによって問題を解決していこうと言う試みだそうです。

そういえば昨日読んだばかりのフェリクスJパルマによる『時の地図』は主人公がH・G・ウェルズということもあって、1895年ぐらいの出来事なのですが、その頃というのはとにかく科学が世界を良くする、世界はガンガン豊かになって、貧困は駆逐され戦争はなくなっていく──そんな希望を多くの人が抱いていた時代だったようです(その中でウェルズは科学がもたらすマイナス面をテーマに作品を書いていたのです)

科学は言うまでもなく社会に善しにつけ悪しきにつけ影響を与えるわけですが、いつしか世界には「科学信仰」ともとれるような(二十世紀あたりはまさにこの科学信仰時代といってもいいでしょう)「科学は何もかもいいものだ」という妄想がはびこるようになっている──ところもなきにしもあらずなのでまずこれは打倒されねばならない。

あとは「科学の価値中立性」と呼ばれる、科学にとって真実は一つであり、多数決で一方が多いからといって真実が捻じ曲げられてはならないので社会とは切り離されるべきだ、政治は科学に干渉するべきではないという考え方もあるのですが、これは正しい。大勢の人が否定したからといって相対性理論をなかったことにするのは多くの基準に照らして善い判断ではないでしょう。

ただこれも政治は科学、事実を捻じ曲げるように干渉すべきではないただし事実を捻じ曲げない形での介入、「解釈をどう変えるか」の部分では許される、というのがSTSの解釈であって目的なのでしょう。AというデータがあるのでBであるという結論に対して、でもCという選択肢もあるよね? と言う。ところでそうはいっても解釈を変えたのち、規制しなければならない時は規制するのが国家の今のところの仕事だ。

科学によって危険だと判断されたものを規制するかしないかを迫られる時が来るわけ(BSEとか、ワクチンとかね)で、こればっかりは最善の判断を下すことは無理だと言える。たとえばインフルエンザが蔓延しかけた時に、副作用のあるワクチンを全国民に摂取させるかといったような問題はランダム要素が強すぎる(蔓延しなければ税金は無駄になり副作用で犠牲がでるがその逆もまたしかり)。

その問題に対しては「賭け」を「実験」に変えるとして、要するに失敗したとしてもタダでは転ばないようにどっちにしても良い事が起こる選択をしましょう、と言っている訳だけれどもそれは恐ろしく難易度が高い。気軽に言ってくれるな、と思う。

結局のところ結論としては僕達一人一人がその困難な問いに挑戦していかなければいけないということになる。そして何より重要なのは問いに挑戦するだけではなく実際に動き出すことだ。身近な人に話してみ、ネットで情報を発信し、話し合いの場に参加してみる。人はそう簡単に動かない、とは思うものの、恐らくこうやって危機感を共有していく人が段々と、科学と社会との対話に参入し、物事というものは変わっていくのだろう、とどこか他人事のように思った。