基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

乱視読者のSF講義

SF大会だったかSFセミナーだったか。そこで行われた若島正さんのジーン・ウルフ論がとても素晴らしく、しかもそれはのちのち本として出版されるらしい──そんな話を聞いた時から僕はこの本を待っていました。そう、ジーン・ウルフ論が読みたかったのです。

ジーン・ウルフの小説は、決して難しいわけではない、と思う。たしかに言葉の選択はどこか普通ではなく、筋は錯綜して 物語全体を通した細部の呼応、そして膨大な知識を元としているであろう出典元への言及、聖書との呼応。そういった要素がとにかく詰め込まれた作品群なのです。

最初にジーン・ウルフを読んだ時はその作りこまれた世界のほんの一端しか体験できなく、しかしいつかもっとちゃんと読み返したい、と強く意識させる何かがジーン・ウルフの作品にはあります。そのような秘密の一端が覗けるのではないかと期待して読み始めました。

いやいや、結果は期待以上。
ジーン・ウルフ論はもちろん本書の中でも珠玉の出来でしたが、「本を読むということ」について多くの気づきを得ることができました。「本を読むということ」の意味は批評的な意味での読み方でもありますし、読書を楽しむということ、読書の本質といった部分でもあります。

本書は『乱視読者のSF短編講義』、『乱視読者のSF夜ばなし』、『ジーン・ウルフなんてこわくない』の三部に分かれています。

短編講義ではそのままSF短編を取り上げ、だいたい一短編につき8ページ程でさくさくとまとめられています。SF夜ばなしではSFをテーマに長編だったり、著者だったりをテーマに短編講義と同様に短くまとめていきます。ジーン・ウルフなんてこわくない、は若島さんによりジーン・ウルフの世界の一端を見せてもらえます。

SF短編講義ですが、これがまず圧巻。著者の若島正さんは京都大学院の文学部の教授でその道の専門家。

短編についての細かい解釈、どれだけ読み込まないと出てこない発想なんだと驚いてしまう切り口、とにかく「プロはさすがだな……」と唸らされることしかりでした。うーんでもやっぱり若島さんが特別うまいんだろうなあ……他にこんなにうまい授業見たことないよ。

若島さんの一連の短編講義において最初に凄いのは「丁寧な読み」なのです。これはまあ文学研究をする人ならば当然なのかもしれません。一文一文丁寧に分析していき、当然ながら元の言語での正確な意味解釈を行います。

短編の中に一箇所だけ紛れ込んでいる人称の違いから導かれる斬新な解釈があったかと思えば(H・G・ウェルズ/ザ・スター)、作品の面白さ自体を誰にでも理解できる形で、しかし氏以外にはできないだろうと思わせるぐらい熱っぽく詳細に解説してみせたりします(サミュエル・R・ディレイニー/コロナ)。

氏の講義は、ひとつの短編をとってもそこから多くのことが得られること、そして何より読書に耽溺することは底抜けに楽しいことなのだということを教えてくれます。氏自身が誰よりも楽しんでいるのが読んでいて伝わってくるからでしょうし、その諭し方もまたうまい。

以下は帯に引用されているジーン・ウルフ新しい太陽の書を解説する時に使われている言葉です。読書の本質とは何かについての名言で、僕はジーンとしてしまいました(ダジャレ)

 最終的な正解を手に入れることは、けっして読書の本質ではない。そうではなく、書物に魅惑され、その迷宮の中でさまようことことこそが、読書の本質ではないか。だから、<<新しい太陽の書>>という迷宮に足を踏み入れることを、躊躇する必要はまったくない。わたしたちはひたすらこの書物のみを手がかりにして、自分の直感を頼りにしながら、読みのアンテナにひっかかってくる細部を丹念に拾い上げ、少しずつ少しずつ、この迷宮を進んでいけばいい。大切なのは、ここが近道だと教えてくれるような、他人の意見をあまり鵜呑みにしないことだ。本を読む意味は、どこまでも個人的なものである。発見の驚きと喜びは、たとえそれがどれほどささやかなものであっても、読者個人にとって大きな意味を持つものであればそれでいいのだ。そして、ウルフの<<新しい太陽の書>>が、その種の喜びと驚きを無尽蔵に提供してくれることは、ここで保証していい。

なんと力強い言葉だろうか。そしてここまで言わせるジーン・ウルフの『太陽の書』とはいったいなんだろう、と気になってくるはずです。と同時に伝わってくるのは若島さんのジーン・ウルフへの熱意、読むことへの喜び。迷宮に例えられている<<新しい太陽の書>>ですが、

ジーン・ウルフ自身もエッセイで「なぜ書くか」という問いに対し、「何度も読み直し、何か手掛かりはないかと思って表紙を点検し、本棚に入れ、後になってまた抜き出して手にとってみる。そんな読者がどこかにいる」ことを期待しているからだと述べています。

いやあ、ジーン・ウルフも若島さんのような再読を繰り返し、細かな点にまで「これはジーン・ウルフだから何かあるぞう」と勘を働かせてくれる読者がいるとしったら、きっと喜ぶだろうなあ。何しろ若島さんときたら、1ページに足りるか足りないかといった掌編小説を20ページも論じて見せるわけです。これには驚いたし、ジーン・ウルフの異常なほどの細部への作り込みにも本当に驚きました。

ジーン・ウルフは「本の中の世界が、本の外の現実世界よりもはるかに強力な魅力を持つ」ような表現を繰り返し用いています。ジーン・ウルフ論を一番熱く語っているように読めるのも、本の世界にどっぷりと浸かってしまっている若島さんとシンクロするからでしょう。

そして当然僕のようなそのへんの本読みにも、シンクロするものはあるわけで。本の魅力が若島さんを語らせ、若島さんが楽しそうに語る姿が(文章だけど)僕を楽しそうに語らせ、それがまた誰かを語らせたらいいなと思いつつ。非常に面白かったです。

目次

*乱視読者のSF短篇講義

前口上  
第一回 H・G・ウェルズ「ザ・スター」 
第二回 スタンリイ・G・ワインボウム「火星のオデッセイ」 
第三回 H・P・ラヴクラフト「宇宙からの色」 
第四回 レイ・ブラッドベリ「イラ」  
第五回 ロバート・A・ハインライン「輪廻の蛇」  
第六回 シオドア・スタージョン「海を失った男」
第七回 アルフレッド・ベスター「ピー・アイ・マン」  
第八回 サミュエル・R・ディレイニー「コロナ」  
第九回 アーシュラ・K・ル・グィン「オメラスから歩み去る人々」 
第十回 トマス・M・ディッシュ「アジアの岸辺」
第十一回 フィリップ・K・ディック「にせもの」  
最終回 スタニスワフ・レム「GOLEM XIV」  

*乱視読者のSF夜ばなし

最大の幻視作家――H・G・ウェルズ
オールディスのウェルズ論から
オールディスとバンクスの“難解”小説
ウォマック降臨!――ジャック・ウォマック『ヒーザーン』  
これは小説ではない――ジョン・スラデック『煙々たる歴史』  
危険なヴィジョンの最後  
魔法・魅惑・奇術――クリストファー・プリースト『奇術師』  
哀しいロボット――バリントン・J・ベイリー『光のロボット』
オーストラリア便り、あるいは境界なき読書について 
暑い夏の記憶――イアン・ワトスン『エンベディング』 
瓦礫の中から一冊だけ救い出される本――エドガー・パングボーン『デイヴィー』
スタージョン短篇全集を讃える 
現在を見つめる視線――『J・G・バラードの千年王国ユーザーズガイド』  
もっともさもしい世界――R・A・ラファティ『地球礁』
ヴォネガットのSF嫌い 
不完全な真空――スタニスワフ・レム『完全な真空』

ジーン・ウルフなんてこわくない

「デス博士の島その他の物語」ノート 
汲みつくされることがない大傑作――ジーン・ウルフケルベロス第五の首』 
ケルベロス第五の首』を読む――柳下毅一郎さんとの対談 
新しい太陽の書》と読者 
ナボコフ読みの目から眺めたウルフ
乱視読者の出張講義――ジーン・ウルフ篇 

あとがき――とうに夜半をすぎて 

索引

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