基本読書

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二つの世界を行き来する幻想ミステリ──『クララ殺し』

クララ殺し (創元クライム・クラブ)

クララ殺し (創元クライム・クラブ)

本書『クララ殺し』は2013年に出た同著者の『アリス殺し』の姉妹編にあたる。

続編といえば続編だが、登場人物が一部共通しているぐらいで話は別物なので本書から読んでもいい。ファンタジー的な世界観から生み出される特異な状況がミステリとよく噛み合い、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(アリス殺し)やホフマン『くるみ割り人形とねずみの王様』(クララ殺し)などの幻想文学をモチーフにした物語が小林泰三さんのグロテスクな作風と見事に融合している素晴らしいシリーズだ。

世界観とか

まずはその特徴的な世界観・ルールの説明をしながら魅力を紹介しよう。

物語には現実世界の他に複数の世界が登場する。『アリス殺し』では「不思議の国」、『クララ殺し』では「ホフマン宇宙」と呼ばれる異世界がまず存在する。これはいわば夢の世界で、人語を理解する蜥蜴も、喋る人形も、オートマタも、精霊もいるし、脳みそを取り出して記憶を改ざんしてまたもとに戻すといったことが簡単にでき、何より普通に魔法がある、と現実には存在しない要素がまかり通る世界だ。

一方の現実世界では、そうした「不思議の国」や「ホフマン宇宙」世界でのことを夢に見る人たちがいる。それもただ夢を見るだけでなく、夢世界側の一人と記憶を共有する恒常的なリンクが発生している。たとえば主人公となる人語を理解する蜥蜴のビルは、現実世界では井森という大学院生であり、この事実からリンクしている両者には能力や性別、種族に相関性があるわけではないことがわかる。*1

中でもリンクで重要なのは、夢の世界側の存在が死ぬと、現実世界でリンクしている存在も不自然でないように因果関係が発生し、死んでしまう設定だ。夢世界と現実世界のリンクに気がついていない(自分がただの夢をみていると思っている)人も大勢いるが、リンクに気がついている場合これは利用できる。たとえば、現実世界で殺したいやつがいる場合、「リンクを突き止める」ことさえできれば、夢世界で対象の人物を殺すことで現実世界では何の痕跡も残さずに完全犯罪を達成できる。

殺人事件なんてそうそう起こらないだろうと思うかもしれないが、夢の世界は何しろ蜥蜴がしゃべり魔法がある場所なので、狂った人間が(人外も)数多く取り揃えられており、理解不能なことがよく起こる。たとえば登場人物の一人コッペリウス(夢の世界の人)は『「わしは人が正気を失っていくのを見るのが大好きなのだ。」』といって他人を狂気におとしいれるために邁進するクレイジー・マンであるし、こんな奴等が大量にいるおかげで発生する無茶苦茶な状況も読みどころの一つである。

「科学捜査が日常的に行われている地球といまだに魔術が横行しているホフマン宇宙とでは、どちらが犯罪者にとって有利か。証明するまでもないだろう」*2

本シリーズはどちらも「殺し」とついているように、基本的には殺人事件が起こり、その謎を蜥蜴のビル/人間の井森が夢の世界と現実の世界の両面から調べていくことになる。「殺し」はおそらくは夢の世界で行われるが、こちらは科学的な捜査が実質不可能なので調査は難しく、地道な捜査は地球側でも行わなければならない。

調査の肝は「リンクをつきとめる」ところにある。殺害者からしてみればリンクをつきとめてしまえば(現実世界で)殺したい相手を殺せ、地球側で(夢世界とリンクしている人間の)調査がはじまっても妨害できるわけだから、この情報があれば有利である。調査する側からしても、犯人の地球側の身体が、地球での調査を妨害してくる可能性があるので「犯人は地球側の誰とリンクしているのか」という情報は重要だ。

基本的にリンクしているかどうかは本人にしかわからないのだから、「私は○○とリンクしている者です」と言い出した人間を検証するのは難しい。そして本来リンクしている人間とは別の人間として騙りに成功すれば、偽のアリバイを信じさせたり、妨害から逃れられたりするわけで、作中人物のみならず我々読者も「こいつ(夢世界)とリンクしているのは現実世界の誰なんだ……?」と疑いながら読むことになる。

本シリーズは誰が殺したのかをめぐるミステリであると同時に、夢世界と地球の人物館におけるリンク、「誰が誰なのか?」をめぐるミステリでもあるのだ。能力バトル物では「相手の能力の正体を知ったほうが俄然有利になる」という駆け引きが導入されている作品があるが、本シリーズは記憶を改ざんしたり魔法を使える特殊技能持ちがいることもあって、相手の正体/能力を推し量り自身の正体を隠しながら捜査を進めていく過程にはミステリでありながらも能力バトル物に近い緊張感がある。

おわりに

不条理なことが次々と起こり、倫理観がぶっ壊れた幻想的な夢世界と、割と真っ当に事件の調査を進めていく現実世界では描写や会話の種類が変わり、その両者が相互に干渉しあっていくことで読み心地が切り替わるのも素晴らしい。

夢世界であるとはいえ何もかも可能なわけではなく(それだと推理は不可能である)、たとえば魔法を行使した場合は他の魔法使いが感知するため、知られずに魔法で殺すことは不可能といった法則が存在する。『「正確にいうと、地球の物理法則に従っていないだけで、その世界の法則には反してないんですよ」』(*3というように、意外なことにミステリとしてもかなりフェアである(厳密にはわからん)。

会話のセンスも含めなんとも特異な魅力をもった作品なので、どちらも読んだことがなければどっちかから読んでみるのをオススメする。インパクトなら『アリス殺し』が上で、アイディアがより発展/洗練されたのは『クララ殺し』かな。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

アリス殺し

アリス殺し

*1:実質的には夢世界と現実世界で記憶を共有しているだけの別人であるという説を提唱する人もいるため、記事名に使った「二つの世界を行き来する」という表現は実態をうまく表してはいないのだが、まあなんか他に良い言い方も思い浮かばなかったのでここで補足させてください。

*2:『クララ殺し』

*3:『クララ殺し』