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極上の華文ミステリィ短篇集──『ディオゲネス変奏曲』

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

著者は警察小説『13・67』で一躍日本で名を馳せた陳浩基であり、本書は著者による全17篇を収録した自選短篇集である。まず表紙がどちゃくそカッコいいし、薄くてサクッと読めそうだなあと思って読み始めたが──いやー本当におもしろかった!

どの作品も30ページ程の短さに幾度もの反転と驚きを仕込み、それでいてどれも複雑にならずにするっと飲み込める。書名のとおりにいくつかの主題を幾度も変奏させ、それぞれまったく違った音を奏でるように進行していく一冊の短篇集としての構成も素晴らしい。作家的にミステリィが多いがSF作品も多数含まれ、メタミステリからユーモアミステリまで幅広く(そのうえ、どれもおそろしく高水準で)楽しませてくれる、陳浩基の技の冴えと広さを堪能できる極上の一冊だ。

13・67

13・67

ざっと紹介する

いくつかピックアップして紹介していこう。トップバッターは「藍を見つめる藍」。2008年頃を舞台にした古めかしいネットストーカー物の一篇で、とある優秀なソフトウェアエンジニアが〈群青の家〉という女性が何気ない日々を綴るブログを熱心に読み、断片的な情報から住所や家族構成を割り出していくようになり──とネットストーカー的な描写から始まる単純な犯罪譚かと思いきや、そこから二度・三度の反転が仕込まれることになる。ネット描写こそちと古いものの、鮮やか極まりない。

「頭頂」は突如として人の頭の上に三つ首の鴉や触手生物などの異物が見えるようになった男の話で、当然ながら頭がおかしくなったか世界がおかしくなったかと驚愕し人に尋ねたり病院にかかったりするのだがまともに相手をしてもらえない。自分にはあまりにもはっきり見えているのに周りは誰も認めてもらえない理不尽な状況に恐怖と混乱を覚えつつ、ある時彼はひとつの結論に到達する──不条理感を盛り上げていく筆致もいいが、何よりこの「結論に達してしまう」というオチが恐ろしい。

「作家デビュー殺人事件」は、優れた作品には魂がなければだめだ、魂をえるには本当に人を殺してこないとだめだ! 優れた作家はみんな殺してんだ! という無茶苦茶な説明で担当編集から『それじゃあ、ひとまず一人殺してみようか』と押し付けられ、そういうもんかなあ……と思いつつも殺したいやつを見つけ天才的なトリックをひらめいて実際に殺してしまう新人作家の物語。完全にコメディなのだが、新人作家が必死に考える現実の殺人トリックはよく出来ているし、それが暴かれて逮捕されて終わり──というところからさらに綺麗にひねってくれていて、とにかく楽しい。

続けてコメディ系を紹介すると、「悪魔団殺(怪)人事件」は地球征服を目標にする悪魔団のジャガイモ怪人が何者かによって殺害されて──と誰が、何のために殺したのかを推理していく一篇。ジャガイモ怪人、タマネギ怪人、カマキリ怪人、ハチ怪人と統一感があるんだかないんだかわからない怪人たちの描写もさることながら、主力の怪人はほとんどそれ以前に"仮面ファイター"に殺されているという状況それ自体が笑える。解決は鮮やかで”そうだったのか!"と驚いたは驚いたが、そもそも怪人が培養されて生まれてくる世界なのでなんでもありというかどうでもいい感もある。

5〜10ページぐらいで印象的な作品も多く、突発的に姉を殺してしまった妹と、妹の彼氏が決死の、されどあまり完成度の高くないアリバイ工作/死体処理を行う「姉妹」。幽霊が見えて情報をえられるので凄腕の捜査協力者として重宝されていた霊視能力者が転落したきっかけを描く「霊視」など、短くも情感がこもっている。

SF系の作品を紹介する

「時は金なり」は”時間子”という、量子の動きに鑑賞する粒子を物理学者が発見し、個人の時間を売り買いできるようになった世界の物語。時間の売り買いってどゆこと? と疑問に思うが、この”時間子”が干渉できるのは物理法則としての時間ではなく個人の意識のみであり、たとえば10日分の時間を人に売った場合、その人はそれを決断した瞬間から10日後に意識が飛ぶことになる(買った場合はその逆になる)。

時間子が関係しているのは”意識”だけだから、その10日間自分は意識こそないものの普通に生活しており、自分が何をしていたのかといった記憶はすべて残っている。だから極端な話、ストレスフルで楽しくもない仕事を朝から晩までして家に帰って寝るだけみたいな生活が今後一年続くと想定されるようなら時間を売って苦痛の期間をスキップするようなお得感のある使い方もできる。大学生である馬も、最初は好きな女の子へのプレゼントのために42日分の時間を売るのだが、次第にそのうまみにとりつかれるようになり──とどんどん"時間売り"が加速していくことになる。

SF系短篇を続けて紹介してすると、「カーラ星第九号事件」は宇宙探査軍で起こった殺害事件についての物語。パブーと呼ばれる低級種族が住む豊かな資源を持つ惑星カーラの探査中の事故により、ある乗組員が死亡してしまうのだが、それが対立する何者かによって仕組まれた”殺害”だったのではないか──といってデュパパンと呼ばれる探偵が呼ばれることになる。事件を解決するだけではなく、"そもそもなぜデュパパンはこの場に呼ばれたのか?"という後期クイーン問題を作品に取り込むような展開をみせるなど、ミステリィとしての完成度は高いけどSF設定関係ねえじゃん、と(SFファンらしくケチをつけながら)読んでいると、さらにそこから”なぜこの話はSF仕立てでなくてはならなかったのか”にまで解答が与えられ唖然とする。

「珈琲とタバコ」は、とある男がベンチで突如意識を取り戻し、この3日ぐらい何をしていたのかいまいち思い出せねえけど珈琲が飲みてえ、とコンビニに行ったりスタバに行ったりするけれどもなぜかそこでは煙草を売っている。珈琲を売ってくれと言ってもそんなものは売るわけがないだろうがと門前払い、どうも珈琲と煙草が入れ替わっているような気がするがそれだけでもないような……と序盤の不条理感は「頭頂」と同一だがこちらはその理由にきっちりとSF的なオチがつくのがいい。

特にこうしたSF系の短篇については”個人の世界認識”を途中でガラリと切り替える・揺さぶってくる作品が多く、それがミステリ的な解決と常にうまく噛み合っていることもあって(技術的に)うめえなあ……うめえよお……とただただ感動していた。

おわりに

いろいろ紹介してきたが中でも圧巻なのが、最後に収録されている「見えないX」。

推理小説鑑賞の初回講義に集まった7人(土曜日の朝の講義で人が少ない)が、教授による一回目の趣向として、”この中にひとり、教授の助手であるXが混じっている。それが誰かを当てること”ができたら、初回にして成績Aが確定するというゲームを受けることになる。ただし、当てることでAをもらえるのは一人だけ。つまり、これは単なる謎解きゲームではなく、周囲を出し抜く騙し合いのゲームでもあるのだ。

ルールとしては、教授は生徒たちに紙を回させ、隠れている助手は紙にXの記号を書く。助手以外の人たちは、X以外の記号を書く。参加者はディスカッション中に嘘をついてもいいが、推理されてXと名指しされたらその相手は身分証としてのその紙を公開しなければならない。ゲームがスタートすると同時に「俺は全員が文字を書くところを見ていた、あいつはXと書いていたぜ!」と得意満面で指摘して失敗するやつがいたり(相手を蹴落とそうとXを書くふりをした参加者がいた)、助手だから専門も判明しているし、参加者は各々の専門を白状しそれについて語るべきだと言い始めるやつなど様々な議論・推理が披露されていくが、とにかくこの一見シンプルなゲームにこれでもかと”ひっくり返し、他人を騙す”ことのできる仕組みを詰め込んでいる。

読み進めるたびに物凄い勢いで新しい論理が提示され、状況の変化と解決が起こり、怒涛の種明かしの鮮やかさには、読んでいて感動して涙が出そうなほどだった。本書を読まなくともせめてこれだけは読んでほしいという作品なのだが、これは訳者の稲村文吾氏によって個人出版された単品のKindle版があるのでみなさんよかったですね(でも『ディオゲネス変奏曲』もKindle版あるよ)。

見えないX

見えないX