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究極のやり直し──『偽装死で別の人生を生きる』

偽装死で別の人生を生きる

偽装死で別の人生を生きる

返すあてのないほどの借金を背負った時に、どうすればいいのか。

普通に考えれば取り得る選択肢は二つぐらいしかない。1.借金を整理し、返す必要のない不当なものがないか確認し、返済計画を立て、地道に返す。2.自己破産する。だが他にもリスキィだがいくつか方法がある。3.失踪する。4.死ぬ。5.死んだことにする──いなくなってしまえば返しようがないし、死ねば当然返せないし、"死んだこと"になればこれまた当然返せない! スマートかつわかりやすい結論である。

(自殺はともかく)問題は、"死んだこと"や"失踪"することはどうやったらできるのか。どんな手続、技術、行動が必要なのか。そもそもそんなことができるのかだ。そこで本書は、自身が負った学資ローンを苦にして、「払いたくないから死んだことにできないかしらん?」と考え始めたアッパラパーな著者が、失踪請負人や保険金詐欺調査人、実際に偽装死亡し、別の人生を歩み始めた人。偽装書類をつくっている人らにインタビューを行い、無数の側面から"偽装死"を照らし出してみせた一冊である。

これが意外と奥が深い。"偽装死"だけなら掘り下げるべきところは多くないのだが、失踪希望者を手助けするエキスパートの話は"いかにしてこのデジタル社会で自身の痕跡を消すのか"という手練手管に満ちているし、偽装事件を調査する専門の市立探偵は偽装を見破るテクニックと、彼らが本気になったらどこまでやるのかを教えてくれる。偽装死をするかどうかはともかくとして、その情報は興味深いものだ。

履歴を消去する。

たとえば"どのようにして痕跡を消すのか"は非常に興味深い。そこらじゅうに防犯カメラがあり、全てを避けるのは不可能な現代。グーグルカーが走り回っていていつ映り込むかわかったものではない。痕跡を消す専門家、プライバシーコンサルタントの一人は"どんなものでも追跡可能だ"という。使い捨ての携帯電話や現金でさえ追跡可能なので、必ず痕跡はバレ、追跡される。しかし、やりようはあるという。

一例として、そのコンサルがルーマニアにいる誰かにメールを送る必要がある場合、自分のアドレスは使わない。韓国の人間の使い捨て携帯に連絡し、メール内容を口述する。韓国の人間はそれをあるアドレスに送信する。ノルウェーの誰かがそのメールにアクセスし、内容をコピーしてルーマニアの本当の宛先へとそれを送信する。ここまでやっても警察なら追跡するだろうが、時間はかかる。『デジタルな足跡はどうしたって残る。だから、その数を減らし、足跡の間隔を広げることが大事なんだ』

使い捨て携帯を入手する時に足がつくこともある。なので、買う時もその辺のホームレスに声をかけ、携帯を買ってきてもらう。もし仮にストーカー被害者が、痕跡を消して引っ越したいと思う時、そうした情報断絶にくわえてできるかぎりの履歴の削除(銀行口座や携帯の解約)、そして情報撹乱を行う。たとえばシカゴに移住しようと思っているなら、カンザスへ移住しようと考えているように、カンザスの不動産業者や電力会社、雇ってくれそうな職場への連絡などいかにもな行動を残しておくのだ。

やたらと面倒だが、本格的に痕跡を消すにはそれだけのことが必要なのだ。

偽装摘発請負人

さて、履歴の削除を請け負う専門家もいれば、偽装を摘発する専門家もいる。何しろ自分が死んだことにして金儲けをしようとする人間はけっこういるのだ。その最たるものが近年では9.11事件の時で、何人もの詐欺師が偽の死亡届を出し、保険金を得ようと画策してみせた。何しろ、9.11被害者には、肉片のような身体のごく一部しか残っていない人も多く、"死んだ"と言い張れば実際には追求するのは難しい。

死んだことを証明するために、金をかけて架空の人物の葬儀までやった詐欺師までいるが、多くは調査班によって判明したようだ。しかし、気づかれずにやりおおせた者もいるだろう。その数がどの程度存在しているのか、結局はわからないところに(いないことを証明するのは難しい。物語の中に偽装死が多くあるのもそのせいかもしれない)、偽装死をテーマとして読む場合のおもしろさがある。

9.11の件は特殊事例だが、普段はどのようなケースが多いのだろうか? 舞台になるのは発展途上国が多いという。役人は薄給だから買収しやすいし、協力者も金で集めやすい(死んだ際の目撃者として必要)。死亡証明書の医師のサインもすぐ手に入るし、死体も多いから、死体安置所にいって「こいつは自分のおじさんです!」といえば手軽に新鮮な死体が手に入る。ハイチやナイジェリアでは「デス・キット」と呼ばれる必要書類がセットで売りに出されているようだ(数百ドル程度らしい)。

このデス・キットを買うと、書類作成だけではなく、親類縁者が嘆き悲しんでいるところや葬列が墓地に向かうところなどを撮影したビデオまでをつくってくれるという。金によってエキストラの数が増えるから、ものすごく真っ当にビジネスとして成立していることがわかる。まあ、出来の悪いビデオになると、同じ登場人物が何度も服を変えて出てきたり、死体が汗をかいていたり呼吸で胸が動いていたりする。

そんなキットがあるのなら保険金詐欺が横行しそうなものだが、アメリカではその数は少ないという。その理由のひとつは、バレることだろう。死亡する2年以内に保険金を上げていると、自動的に調査対象になる。人間、欲張りなので金額を最大化しようとするものだが、一定金額を超えるとこれまた調査対象になってしまう。結局、死亡保険金詐欺をしたいのならば、まず金額をある程度に抑え、何年も前から準備をしておくことだろう。実際には、判明していない保険金詐欺は多いのかもしれない。

プライバシーコンサルタントも私立探偵も偽装死なんて割に合わないからやめとけやめとけという。成功すれば保険金でかなりの金をもらえ、保険金が目当てでなければ追求もゆるやかで、かつ究極の形でやりなおすことができる。とはいえそれまでの全てとわかれを告げなければならないし、調査されればバレる可能性も高い──。

おわりに

それでも著者はなお諦めずに偽装死の体験者や、マイケル・ジャクソンは生きていると信じている人へのインタビューを行い、最終的には実際に自分で金を払って"死亡証明書"を手にするところまでいってしまう。彼女は結局、フィリピンで交通事故にあって死んだことになった。果たして彼女はまんまと"死亡"できるのか──。

本当に偽装死は割に合わない行為なのか? プライバシーコンサルタントも私立探偵も、法の下で真っ当に仕事を立場をする存在として、割に合わないと言っているだけなのではないか? その結末については、読んで確かめてもらいたい。「人が書類上死ぬ」とはどういうことなのかをいろんな側面から知ることのできる一冊だ。