基本読書

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これから、どんどん楽しいことがありますよ──『ダマシ×ダマシ』

ダマシ×ダマシ (講談社ノベルス)

ダマシ×ダマシ (講談社ノベルス)

久しぶりのXシリーズ新刊にして、シリーズ最終巻。シンプルにしてレトロ、なのにどこか新しさを感じさせる、そんなシリーズの極みのような一冊だったなと思う。単純な会話や描写がひたすらにおもしろく、キャラクタの一人一人が素敵で、S&Mから続くシリーズの中では最も"隣にいそう"と感じさせる人たちの物語だった。道中はもちろんながらも、ラストへとなだれ込んでいく時の会話の、その全てが愛おしい。

簡単にシリーズ総評

文庫版の装丁も大好きだし、森博嗣さんがこれまで書いてきた全シリーズを通しても個人的に特別なシリーズといえる。シリーズの開始時点で、中心人物である小川令子は愛する人を失って、重い精神的なダメージを抱えている。それが探偵事務所に就職したことから、事件解決へと邁進し人との関係性を広げて、傷がだんだんと癒えていく。特に劇的なことが起こるわけではないのだが、人間の生活と関係性。さらには再生を丁寧に描いている。そのシンプルさ、その繊細さがたまらなく好きなのだ。

精神的なダメージって、言語化も数値化もしにくいものだ。その上常に意識にのぼっている物でもない。忙しくしていれば忘れていられる──が、ふとした時に思い出し、辛くなったりする。粘着力が衰えていくテープのように、はっきりと"傷が癒えた"といえるような瞬間が訪れることも、実際はほとんどないだろう。このXシリーズは、そうした言語化しにくい精神的な領域、その変化を、丹念にすくい上げてきた。

言語化しづらい悲しみ。そこからの再生。悲しみや憎しみという言葉では表現しきれない、色々なものが入り交じった感情。Xシリーズは10年をかけて刊行されてきたが、それだけではなく、この作品の前後には何十年にも渡る時間と、キャラクターらの関係性が積み重なっている。だからこそ、何気ない一つ一つのやりとりの背景は時に重く、台詞として表現されない動作であっても、そこに表現された"複雑な感情"が読者の側には強く残る──あるいは、そこに勝手に多くの感情を読み取ってしまう。

最もシンプルなシリーズだったといえるだろうが、そこで表現されていた物、その情報量はずっしりと重い。本シリーズから読み始めても充分にその重さは堪能できるが、是非他のシリーズにも手を出してみてもらいたいところだ。では、『ダマシ×ダマシ』について軽く。最終巻というのを抜きにしても、抜群の出来。

イナイ×イナイ PEEKABOO Xシリーズ (講談社文庫)

イナイ×イナイ PEEKABOO Xシリーズ (講談社文庫)

ダマシ×ダマシ

三人の女を騙したやり手の結婚詐欺師、犠牲者の一人から依頼を受け、小川らが結婚詐欺師の調査を開始した時、とうの結婚詐欺師が死体で発見されてしまう──果たして殺したのは誰なのか。目的は怨恨か、はたまた──。とそんな感じの話だが、謎がどうこうよりもお互いがお互いを騙し合っている、"何がウソなのか""誰がウソをついているのか"というのが入り組んでいて、かつスマートなのがおもしろい巻である。

たとえば、結婚詐欺師は当然ながら女性らを騙している。しかし、その中に本気の女性はいなかったのか? お金を騙し取られた女性らは、本当にただお金を騙し取られただけなのか? というあたりから始まって、小川は調査の成り行きで「自分も結婚詐欺の被害にあった」と周囲を騙すハメになるし、依頼人は依頼人でウソをついているしで、作中ほとんどの人間が何らかの形でウソをつき、誰かを騙している。

また、ウソまみれの本作だからこそ、ウソではない"本当の言葉"の意味と価値がより引き立つ、というのも素晴らしい。それも、最高の場面で"本当の言葉"がくるんだから……(みなここで鷲掴みにされただろう。)。ウソに話を戻すと、最後までに、いったい何度作中人物の"ウソ"に引っかかったかわからないぐらいだが、中でも最大の驚きをラストのエピローグに持ってくるのも──これまたたいへんにうまいよね。

再生

あとはやっぱり、再生の話について。再生というか、時間の経過が多くを解決してくれる、ということなのかもしれない。どれだけ辛いことがあっても、次の日はやってきてしまうし、延々と泣いているわけにはいかないし、仕事もしないとご飯が食べられないしで、やるべきことはいくらでも降って湧いてくる。そうやって目の前の物事を処理していくうちに、だんだんと傷が癒えていくこともある。

そうやって、騙し騙し生きているうちに、成り行きでなんだかとても素敵ことが起こる(あるいは、最悪なことも起こる)こともある。そういうのって、言葉にするとほとんど何も言っていないに等しいんだけど(ようするに時間が経過すると何かが起こったりするし、起こらなかったりするというだけだから)小説として、それも巧みな物語として体験すると、その端的な事実が、少しだけ重みを持って実感できるのだ。

『これから、どんどん楽しいことがありますよ』とは作中での小川の台詞だが、彼女がこれを言っている、というのがもう感無量。本当に、心の底からそうであったらいいなと思うし、仮にそうでなかったとしても、そう言える強さを持ったのだ。