- 作者: ウラジーミルソローキン,Vladimir Sorokin,松下隆志
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/09/26
- メディア: 単行本
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近著である『氷』『ブロの道』『23000』からなる三部作は近年読んだ中でも異様な傑作で、ソローキンの小説にはソローキンを読んだときにしか呼び起こせない特殊な感覚(それは彼が作中でよく描くように、常軌を逸した恍惚感)を伴っている。つまるところこれは、もはやソローキン中毒といってもよいものなのである。
というわけで『テルリア』だが、これがまた凄い作品だ。特にわかりやすく説明があるわけでもなく世界からは当然のように大国が消失し、無数の小国に分裂している。その上なぜかはよくわからないが世界には巨人や吸血鬼が当たり前のように存在し、50の章はそれぞれ異なった視点から、まるで短篇小説のように描かれていく。ある章は戯曲のようで、ある章はわけのわからん祈りで埋め尽くされ、ある章は一切の改行がなく、それぞれ異なる文体で綴られる。一言で読了後の感想を書けば、いつもと変わらずヤベー本だが、今回はパズルみたいにヤベー本だったな……という感じ。
訳者解説によると、作者はインタビューで『世界がバラバラに砕けはじめた以上、それを唯一の言語と線的な展開で描くことは不可能です。世界が破片でできているのなら、それは破片の言語で描かれねばなりません』と説明していたとか。知能レベルが極端に劣るものの章では世界が単純に綴られていき、ハイソサエティの視点に沿った章では世界は言葉豊かに語られていきと、章ごとの文体の違い、視点の違いは、確かに我々の知る世界よりも分裂しているこのテルリア世界にはよく合っているようだ。
世界観とか
最初に説明しておくと、何かのキャラクタが一貫して活躍したり、一つの事件が進行するといった線形のプロットは存在しない。描写から読み取れる情報としては、かつてモスクワだった周辺には啓蒙的神政共産封建制をとる、モスコヴィアと呼ばれる国家が存在している。他のロシアのあった地域にはリャザン帝国、ウラル共和国など生まれ、ばらばらに分裂。ヨーロッパもワッハーブ派(イスラム教のスンナ派に属する)によって打ち砕かれ分裂しており、端的にいえば世界はバラバラになっている。
「とくに今、戦後の一新した世界においては。このユーロアジア大陸を見るがいい。イデオロギー的・地政学的・テクノロジー的ユートピアの破綻後、大陸はついに恵まれ啓蒙された中世となった。世界は人間のサイズとなった。民族が自己を見いだした。人間はテクノロジーの総和ではなくなった。大量生産は晩年を送っている。我々が人類の頭に打ち込む釘に、一つとして同じものはない。人々は再び事物の感覚を見いだし、健康的な糧を口にするようになり、馬に乗り換えた。遺伝子工学のおかげで、人間は自分の真のサイズを感じることができる。人間は超越論的なものへの信仰を取り戻した。時間の感覚を取り戻した。我々はもうどこにも急がない。重要なのは、我々が地上にテクノロジーの楽園などあり得ないと悟ったことだ。(……)」
と、作中で行われるこの世界への雑感とでもいうべき箇所について、長めの引用を行ってしまったが、ここはいろいろと示唆的なセリフである。この世界には巨人や小人がいるとは先に書いたとおりだが、これは遺伝子工学の恩恵によるものかもしれない(吸血鬼も、そうしたライフスタイル/外見のスタイルを選んだということなのか)。
作中のテクノロジーレベルについてはよくわからず(大量生産は衰退し、テクノロジーユートピアは破綻したとはいうものの)、電脳と呼ばれるモバイル機器であったたり、自律行動するロボットなどはよく登場する。また、もっとも重要かつ繰り返し登場するのは「テルルの釘」と呼ばれるアイテムだ。テルルとは原子番号52の元素(ちなみに、実在する)。だが作中ではテルルはもっぱら釘として用いられ、これを頭に打ち込むと、人間に安定した多幸状態と時間喪失感覚を引き起こすことが判明し、国連からは重い麻薬と認定され所有および製造は罪にとわれるようになっている。
とはいえ世界中でこっそり使われているようで、これを頭に打ち込む職業の人間は”大工"と呼ばれている。何しろ頭に釘をうちつけるわけなので、死亡率がも高い。釘を打ち込むものたちは、おおむね決死の覚悟でのぞむわけだが、その効果のほどは単純な多幸状態という言葉ではとても言い表せぬ。ある者は望みが叶うといい、ある者は「とばりの向こうに入り込んだ」と、ほとんど異世界/別世界への旅を果たすかのように表現する。多弁な人間は『テルルは一つの世界を丸ごと授けてくれる。堅固で、本物らしい、生きた世界を。』と証言している。会いたい人に会うことができ、望む人生を体験することができる(イエス・キリストの弟子になったり)
ある意味では、この世界は自由なのだろう。それぞれの権利と指向性を持つ小国に分裂したことでより、自身にとって最適な国家を見つけやすくなった。そのうえ、テルルの釘を用いれば、自分の望む、理想とする世界へ行くことができる。テルルに魅せられたものはテルルの釘を打つために働き、人生の目的を得る。自分の望む世界で引きこもるというのは、誰にも迷惑をかけない究極の自由のひとつだろう。しかし、終点ともいえるそんな状況が続けば、人類は滅亡してしまうんじゃあなかろうか。
おわりに
それが幸せなのか不幸なのかという価値判断は本書の中には含まれていない。ただ、この世界はそういう状況にある世界なのだ。章ごとにまったく異なる文体を構築していく訳業は、めちゃくちゃ大変だっただろうなあ……。なんでも今年刊行されたソローキンの新刊『マラナガ』は本書と世界観を同じくする作品らしいので、こちらも邦訳を楽しみに待ちたい。