基本読書

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ジョン・ル・カレ×クリストファー・プリーストと評された、EUが崩壊したヨーロッパを舞台とするSFスパイスリラー──『ヨーロッパ・イン・オータム』

この『ヨーロッパ・イン・オータム』は本邦初紹介のイギリス作家デイヴ・ハッチンソンによるSFスパイ長篇となる。本作は西安風邪の蔓延によってEUが崩壊し、みながみな好き勝手に小国を設立するようになったカオスなヨーロッパを舞台にしたその先見性のある内容と巧みな筆致も相まって(刊行は2014年)著者の出世作となり、〈分裂ヨーロッパ〉シリーズとしてその後も続篇・スピンオフが続いている作品である。

EUが崩壊し小国が乱立するようになったヨーロッパを舞台にしたスパイ小説、それもジョン・ル・カレ✗クリストファー・プリーストと評される──などと聞けばそれは期待も高まるが、読んでみればたしかにこれはおもしろいしプリースト感もある!

読み始めたばかりの頃は、運が悪く能力も微妙な新米スパイが、それこそル・カレなどを引き合いにだしながらくだを巻き巻きお仕事をがんばるお仕事小説として楽しんでいたのだが、次第にすべての雲行きが怪しくなっていき、いったいこの世界のスパイは何を目的に情報を集め、物をある国から国へと動かしているのか──? という根源的な謎と問いかけが浮かび上がり、物語を駆動していくことになる。

中心人物であるルディの父親が公園に臨時政府を樹立し”独立”を狙うことが明かされる章など、この特集な世界ならではの人の価値観、文化面も読み進めていくと浮かび上がってきて、スパイ小説としてだけではなく、SF的にも存分に楽しませてくれる。以下、あまりネタが明かせないので短めだが詳しく紹介していこう。

世界観、あらすじなど

先に少し書いたが、物語の舞台は西安(シーアン)風邪によるパンデミックの影響で数千万人の人間が死に、崩壊に向かいつつあるヨーロッパ。EUから次々国家が離脱していくが、分裂はそれで終わらず、ロマノフ家の、ハプスブルク家、グリマルディ家など名家の子孫らが独自のポケット国家を乱立。一年で12以上の国家が現れては消え、はては『ギュンター・グラスの作品を信奉する人びとが運営する都市国家──より正確には村国家が生まれたこともあった』──というほどの事態になっている。

乱世とでもいうべきヨーロッパなので、まともとはいえない状態にあるようだ。治安は各地で悪化し、国境が入り乱れているので国境紛争も絶えない。ルディは、ポーランドのレストランでシェフをつとめている人物だが、彼も生まれ故郷のエストニアからバルト諸国の飲食店を渡り歩いてきた。彼は物語開始時点ではただのシェフにすぎないが、ある時その経歴と語学力などをかわれ〝森林を駆ける者〟(クルール・デ・ボワ)と呼ばれる謎の密輸組織にスカウトされることになる──。

森林を駆ける者とその仕事

森林を駆ける者はもともと(ヨーロッパ分裂前から)郵便業者であった。機密性の高すぎるもの、そもそも違法なものを世界中へと運ぶ組織。その仕事は、ヨーロッパが分裂した今ではより重要性が増している。国家が乱立しているので国境紛争は日常茶飯事であり、そうなると荷物は届いたり届かなかったりするからだ。

クルールらは基本的には荷物や情報を確実に届ける業者だが、違法なものや人を運び、手段を用いることもあるのでその時は密輸業者・秘密組織といえる。ルディは実入りを求めてこの仕事についたわけだが、語学が堪能なのが買われたぐらいでもともとただのシェフだったわけだから、最初は覚えることの連続だ。たとえば無駄に作戦用語の数々は別の単語に置き換えられている。「偽の身元」は「レジェンド」。「特派員」は「組織外の雇われ・下っ端」、「ピアニスト」は「ハッカー」などなど。

ルディはそうした用語を覚えるだけでなく、尾行者をまくコツ、荷物を秘密裏に受け渡す方法、都市から都市へと秘密裏に脱出する方法を学んでいく。このあたりは『キングスマン』の序盤など、見習いスパイものをみているときのおもしろさがある。

理不尽ともいえる失敗の連続

本作をスパイ小説として見た時に特徴的なのは、スカッとするような諜報活動の成功が作中ではほぼ起こらず、かわりにルディが理不尽極まりない失敗に晒され続けていくところにある。たとえば、最初の任務としてルディは先輩諜報員についてOJT的な指導を受けるのだが、任務中に裏切られ別組織にとらわれ悲惨な拷問を受ける。

その後も鉄道路線国家〈ライン〉の領事館への潜入や、ドイツ国境を突破しようとする連絡員の救出など、彼は表向き簡単そうな任務に従事するが、ことごとく失敗するか想定外の事態に巻き込まれ命からがら逃げ延びていくことになる。その失敗はほとんどは周囲の人間の行動に巻き込まれての結果であり、最終的にはルディ自身も理解せぬまま異常な事態/失敗に巻き込まれ「これは何が起こってるんだ?」と読者も何が起こっているのか理解できずに唖然とするのだが、最終的にはそのすべて──物語の序盤から散りばめられてきた違和感にも──に答えが与えられていくことになる。

おわりに

そもそも、この世界には無数の秘密組織、諜報員が存在するようなのだが、それはなぜなのか? また、ルディらの組織はもともとは機密性の高い物を輸送するだけの組織だったが、今では何らかの大きな目的を持って多くの諜報員を動かしているようにみえる(ルディが従事してきた仕事と、彼が巻き込まれた理不尽な事態の数々がそれを示唆している)。であるならば、クルール・デ・ボワの目的はいったいどこにあるのか? など、このヨーロッパが分裂した世界だからこその物語が終盤では展開していくので興味が湧いた人はぜひ読んでみてね。

短い章が短篇のように区切られているので、スイスイと読みやすいのも良い。