基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

日々イノベーションが起こっているのに、多くの人が将来に悲観的なのはなぜなのか──『テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス』

昨今世を賑わしているのは、AIが人間の労働を代替してしまうがゆえに、どんどん人は解雇され仕事につけなくなってしまう、という不安や恐怖である。映画館のチケット発券が今ではほぼ無人化され、スーパーの品物の発注も人間からシステムに切り替わっている状況だから、AIによって(中にはAIじゃなくてただの自動化も多いが)人間の労働が削減されていくのは、実感のレベルでみなわかっていることだろう。

だが、これと同じことは産業革命の時代にも起こっている。機械化された工場が家庭内手工業に取って代わり、中程度の賃金の仕事はどんどんなくなった。工場経営者の資産は増え、逆にそれまで工場で働くためにスキルを最適化させてきたものはそれまでより賃金の劣る仕事につかざるを得なくなったせいで、格差は拡大した。当時の労働者は悪名高いラッダイト運動と呼ばれる機械撲滅運動をはじめ、暴れまわった。

今でこそ我々は産業革命がもたらす利益の大きさを知っているから、ラッダイト運動はそうした流れに反するものであって、間違いだったと捉えそうになる。だが、本当にそうだろうか。本書『テクノロジーの世界経済史』は、そのようにテクノロジーが我々の賃金や国家の経済状態をどのように変化させてきたのか、人々がどのような時に抵抗し、どのような時には受け入れたのかをたどる一冊である。

産業革命後を見れば、我々の生活・労働環境は随分と向上し、消えた仕事は新しくまた別のスキルを必要とする仕事として生まれ変わっただけだった。つまり、すばらしいことしかなかったように思える。だが──そうした転換は2、3年といった月日で成し遂げられたことではない。新しい職業、スキルの誕生には数十年の移行期間が必要で、産業革命が始まった頃に失業した人はただ賃金が下がり格差が広がっただけだった。つまり、その時生きていた人たちの多くは本当に苦しんでいたのだ。

ビル・ゲイツのパラドックス

ビル・ゲイツは、2012年に、イノベーションがこれまでにないペースで次々に出現しているのに、アメリカ人は将来についてますます悲観的になっている、これは現代のパラドックスだと語った。ビュー・リサーチ・センターの調査によると、子供時代の方が自分たちより裕福になると信じているアメリカ人は、全体の3分の1を少し上回る程度だそうで、その発言を裏付けている。だが、今起こっているのは産業革命と同じことであり、ゲイツのパラドックスはパラドックスでもなんでもない。

産業革命初期に、イギリス市民の生活水準はいっこうに向上しないどころか押し下げられた。確かに生産性は上がったが、ふつうの人々に進歩の利益が入ってくるまでに70年の月日がかかったのである。今、同じことが起こっている。労働は効率化され、人間がシステムに置き換えられ、転職しようにも元の職よりも賃金の劣る職にしかつくことができず、格差は増大している。『新しい発明によって新しい仕事が生まれるのはけっこうなことだが、それは「別の誰か」の仕事だ。』

自動化やグローバル化の影響で製造業の仕事のなくなった地域では、失業率が上昇する。税収が乏しくなれば公的サービスが縮小されるため、犯罪が増え、健康状態は悪化する。飲酒に起因する肝臓系の疾患や自殺などで死亡率が上昇する。婚姻率は低下し、片親家庭で育つ子供が増える。こうした子供の将来の見通しは暗い。中所得の仕事がなくなってしまった地域では社会的移動性が大幅に低下し、上の階層へ上がる見込みはまずない。そうなると、人々はポピュリスト政治家に投票するようになる。アメリカでもヨーロッパでも、自動化が進む地域ほどポピュリズムへの傾倒が強まっていることを多くの調査が示している。産業革命のときと同じで、テクノロジー敗者は変化を要求するのである。

将来的──60年、70年経った時に、また新しい職業とスキルが生まれて移行していくのかもしれないし、今回に関しては、それがない可能性もある。だが、長期的にはどうあれ、短期的に現代の労働者が苦しい状況におかれているのは事実なのだ。そんな状況では、将来について楽観的でいることは難しい。

技術への反抗と産業革命

本書では、技術を労働補完型と労働置換型に分けて説明している。労働補完型はその名の通りで、労働を補助し、楽にしてくれたり新しいことを可能にしてくれる技術のことだ。たとえば望遠鏡ができたことで我々はより遠くが見れるようになったが、それは誰の労働も置換していない。一方で、自動織機はそれを今まで手でやっていた労働者から仕事を奪い去る。あるいは、よりスキルの低い労働者でも可能にする。

読んでいておもしろかったのが、ラッダイト以前にも労働者は労働置換型の技術にキレて暴動を起こしまくっていて、政府はそれを受け入れて禁止せざるを得なかった時代が長く続いていたところにある。では、なぜ産業革命はイギリスで達成できたのか、と気になるところだが、その仮説の一つに「ようやくその時代のイギリスでは、産業革命による利益がコストを上回るようになったから」というのがある。

ようは、労働置換型技術は人間の労働を置換するわけなので、労働に比べて資本が相対的に安くないと経済的に意味をなさない。当時、イギリスではペストが蔓延していて、長期にわたる人口減、労働力不足を引き起こし、労働者が交渉力を持つようになっていた。賃金交渉をしだすと当然労働者のコストは高くなり、それが結果的に産業革命への舵をきらせたというのである。今では当時のイギリス人の給料はそこまで高くなかったのではないかというデータもあるが、なかなか魅力的な説だ。

中間層が減少し、格差が増大し分断された現代

産業革命、第二次産業革命を経て19〜20世紀に急速に普及したテクノロジーは、その多くが労働補完型で、新しい仕事を生み出し、大きな抵抗にはあわなかった。たとえば、自動車、トラック、トラクターは馬の仕事を奪ったが、自動車の運転や修理・保守といった仕事が増え、さらに産業革命を経てしばらく経ち、工場の規模が広がると、管理職や事務職が必要になって、中所得のホワイトカラーの仕事は増え続けた。

今は、その時生まれた中間層が、減少に転じている。アメリカでは1979年以降、労働生産性は時給の8倍のペースで上昇しているが、実質賃金は停滞し、失業者は増え、企業の生産した価値のうちどれだけが労働者に還元されているかを示す労働分配率も減っている。2017年に国際通貨基金は、先進国で業務の定型化の第一波が労働分配率低下の最大の原因となったと指摘しているが、この流れは止まらないだろう。それはポピュリズムの台頭に繋がり(自動化が進む地域ほどポピュリズムへの傾倒が強まっていることを多くの調査が示している)、政治の分断にも繋がっている。

今後、自動化されるリスクが高く働いている人も多い職種には、事務サポート、輸送、物流、調理、小売が挙げられる。これらの仕事に従事しているアメリカ人は多く、47%にも及ぶ。その仕事を追われたとして、すぐにエンジニアに転職できるわけでもなし。残された他の仕事も、代替されにくいのは清掃員や介護福祉士など、賃金が高いとはいえない仕事で、それ以外も代替されないために複雑な認知スキルを必要とするものになってきていて、しんどそうだなあという感想だけが残る。

おわりに

本書は別に未来を予測したり解決策(こっちは最後に少し述べられているけど)を提示する本ではないので、ほぼ現在の状況把握で終わるが、いま、どういう状況で過去の類似したケースから学べることは一通り網羅されているので、興味のある人は手にとってもらいたい。少なくとも、中間層の苦境は続くのは間違いがない。