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連日連夜爆破テロが起きるバグダードの日常を、名もなきフランケンシュタインの怪物が駆ける、中東✕SF──『バグダードのフランケンシュタイン』

この『バグダードのフランケンシュタイン』は、アラビア語からの翻訳、しかもシェリーの『フランケンシュタイン』の流れを汲む物語である。SFと帯には書いてあるものの、実態としてはファンタジィ、幻想小説としての色合いが濃い長篇小説だ。

原書は2013年刊行だが、物語の舞台になっているのは2005年頃のバクダード。この当時のバクダードは荒れに荒れている。イラク戦争を経てサダム・フセイン政権は打倒され暫定政権が立てられたものの、現政府勢力と旧政府勢力の抗争は激化。米軍、スンナ派、シーア派と多数の勢力が入り乱れてカオスになっていて、そこら中で爆破テロが起こり、身内が次々と爆発・四散していく、過酷な状況だったようだ。

本書は、そんな悪夢的なバグダードで日々を暮らさざるを得ない無数の人々の日常と、イラクやバグダードで暮らす様々な主義主張と来歴を持った人たちの集合体ともいえる「バグダードのフランケンシュタイン」の物語を描き出していく。

名前がとっつきづらすぎて誰が誰だかまったく覚えられなかったり、あまりイラクの政情や勢力に詳しくないこともあって最初は状況を把握するのに戸惑ったが、一度把握してしまえばイラクの切実な物語とその日常が立ち上がってきて、たいへんにおもしろかった。最近はイスラエルSF短篇の傑作選である『シオンズ・フィクション』もおもしろかったけれど、やはり異国の物語には異国の切実さがある。

バグダードのフランケンシュタイン

さて、バグダードのフランケンシュタインとは何なのか。よく勘違いされているが、メアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン』におけるフランケンシュタインとは、怪物の名前ではなく、怪物を作り上げた人物の名前である。フランケンシュタインはドイツのインゴルシュタット大学で自然科学を学んでいた科学者であり、その追求の果てに、生命を持つ動物の構造に興味を持ち、ついに生命発生の原因をつかむに至る。そうやって、フランケンシュタイン怪物は生まれたのだ。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:シェリー
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版
一方、バグダードのフランケンシュタインはどのように生まれるのかというと、そうした科学者の探求の果てにではなく、爆破テロ犠牲者らのばらばらになった肉片の寄せ集めからである。古物商であるハーディは、爆破テロでバラバラになってしまった友人を悼み、彼をせめて完全な身体にしてやろうと、友人のバラバラになった肉片をかき集め、さらには足りないパーツを追加の犠牲者から補おうとする。だが、最後のパーツである鼻をつけた後、古物商の仕事に出ている最中に自身も爆破テロに遭遇。てんてこまいになっている間に、遺体はいつのまにかこつ然と姿を消していた。

ハーディがいない間に、爆破テロに遭遇して死んだ21歳の男の魂が遺体と遭遇し、その中に入って遺体を動かしたのだ。原典が純粋な科学の末に生まれた存在だとしたら、こちらは魔術的・霊魂的な観点から生まれたフランケンシュタインの怪物となる(フランケンシュタインの怪物というのもおかしいのだが)。魂が入ったとはいえ、その実態は様々な身体の寄せ集めであり、「名無しさん」は自身の構成パーツである肉体たちの憎しみを一身に受け、その復讐のためにバグダードを駆け回ることになる。

ある種のダーク・ヒーロー物として

名無しさんが自身の創造主であるハーディを殺すかどうかを逡巡したり、いったい自分はどのような存在なのかとアイデンティティ・クライシスに陥るシーンもあるのだけれども、大まかな作品傾向として、僕は本作をダーク・ヒーロー物として読んだ。

名無しさんは爆破テロによって四散していった街の無念を背負い、イデオロギーが錯綜した状況で唯一「全体の意思」を吸い上げられる存在である。高い身体能力を持っていて、銃撃を喰らっても(死体だから)まったくダメージを受けない。そうした身体を駆使して、肉体の怨念に突き動かされているのか、自身の一部を殺した誰かを執拗に狙い、一日数人のペースで殺していくのだ。復讐を遂げるとその部分の身体は彼の身体から自然と離れていくのだが、また別の死体を継ぎ足していくことによって、永久機関、不死身の化け物のようにして復讐の連鎖を繋げていく。

そうした活動を続ける名無しさんのもとには、彼に賛同する協力者も現れる。前政権で大統領直属の魔術師集団の責任者を務めていたという〈魔術師〉。便活巧みに思想に理屈の通った背景を与えてくれる〈ソフィスト〉。他にも、名無しさんを次のような理屈で最初のイラク国民とみなしている若い狂人(『ルーツや部族や人種や相反する社会階層など、多様な構成要素からなる人間たちのいわば屑の寄せ集めである俺は、かつて実現したことのない、不可能な混合を具現しているわけだ。だから、俺こそが最初のイラク国民なのだ。彼はそんなふうに思っている。』)

名無しさんを救世主だと思っている長老の狂人、救世主の出現に前もってあらわれる大災厄をもたらす道具だと思っている年長の狂人など、とにかくみな名無しさんに自分の理想、自分の思想を反映して、宗教のように群がってみせる。当然そんな勢力を問わない辻斬り、暗殺を政権側も各勢力も許すわけがなくて、名無しさんを追う占星術師の長がジンや女悪魔を使うことで犯人の「名前」のオーラを見つけ出し──と、バグダードを舞台にした魔術戦じみた抗争が展開していくことになるのだ。

おわりに

今回の紹介では省いてしまったが、名無しさんサイドの話はそこまで多くなく、描写の大半は名無しさんの登場によって引き起こされたバグダードの市井の人々の生活の変化、感情の変化に当てられている。期せずして創造主となってしまったハーディ、名無しさんを亡くした息子と誤認する老婆、彼を取材するジャーナリスト……。

国に戦火が広まって、気をつけていてもあっけなく死んでしまう。『しかし人生は続くのだ。マフムードは独り言を言う。』というように、非日常が日常化してしまった世界で彼らは生きていかなければならない。そんな日々を、イラク国民の多層的な構成要素から成る名無しさんを通して、丁寧にすくいとってみせた作品だ。まさにバグダードの、そしてイラクの物語であるといえる。