著者のジェームズ・ローレンス・パウエルは作家のキャリアを歩んできた人物ではなく、MITにて地球科学博士号を取得し、大学長や博物館館長を担当、レーガン、ブッシュ政権下では米国科学委員会の委員もつとめた、ばりばりの地質科学者である。
構成など
本作は「報告書」と書名についているように、2084年に地球温暖化の歴史と過程をまとめるため、エジプト、アメリカ、オーストラリア、ブラジルなど様々な地域の人々にインタビューを重ねていく記録であるという構成をとっている。学者が突然書いたSF小説の大半は専門的知識を活かした現代への警告や可能性の提示であって、物語的にはなにも……というケースが多いが、本作もそうした流れに連なる一作である。
とはいえ、各地に住まう人々の声を通して地球温暖化の実害の話や、各地の人々へのインタビュー中に幾度もなされる「なぜ過去の人たちは未来はこうなるとかなりの根拠を持って断言できたのに、命がけの対策をとってこなかったのですか?」という問いかけは、まだなんとかできる2020年代という時代を生きる身にはしみる。
具体的にどのような世界になっているの?
で、具体的にこの世界ってどういう状況になっているの? といえば、数例をあげると、2084年のパリの凱旋門の気温は摂氏46度で、数分間でも直射日光を浴びると熱射病になるから通りに人影はない。アメリカ南西部は水不足が深刻化し、水力発電も使えなくなり冷房のために必要とされる電力も足りなくなり市民はカナダへの移住を強いられている。もっとも旱魃の激しい国のオーストラリアでは、すべての資源不足に対抗するために人口を減らす方針をとって、あらゆる避妊の手段を無償で提供し、人口を2020年の2570万人から2050年には1100万人まで減らしている──。
海面の上昇も大きな問題で、ニューヨークでは上下水道処理設備は海抜数十センチの陸地にあり、地下鉄路線は海面以下、3箇所ある空港も海抜3メートルから6メートルしかない。高くなった海面に嵐がくると、こうした施設はたやすく壊滅するので、この世界のニューヨークはかつての栄華はなくもはや災害都市といっていい有様だ。
エジプト第二の都市アレクサンドリアはその一部が海抜ゼロ以下で、2084年にはアレクサンドリアの海側の三分の一が海に覆われてしまっている。約200万人の住民のほとんどは都市を捨てカイロへと避難したが、残された土地には他からも人が集まってくるので人が住めないほどの人口過剰になってしまう──。こうした一連の流れが世界中で起こっているのだ。海面上昇と旱魃と災害の多発で人が住める領域が減り、各地で戦争が起こり、残された土地に人が集まって人口過剰で苦しくなる。
北は嬉しいんじゃない?
今普通・あるいは暑い地域であれば苦しいだけだが、寒くて人が住むのがやっとみたいな場所ではむしろ温暖化はありがたいんじゃないの? というのはよく聞く話である。だが、本書では実は必ずしもそうではないことも明かされていく。
たとえば、二年間以上地表の温度が零度以下だと永久凍土になり、地面は建物が建てられるほど固くなる。そのため、ロシアのヤクーツクのようにほとんどの家が永久凍土の上に建てられた都市では、(温暖化で)永久凍土が溶けると家屋は倒壊してしまう。ヤクーツクは人口約25万人の大都市だったが、2084年のこの世界ではこの土地は無人になっている。しかも、永久凍土には凍結された有機物や細菌が大量に眠っており、これが溶けると分解がはじまって、CO2とメタンが大量発生するので、北極の気温は他の地域よりも二倍の速度で二倍高く上昇するという恐ろしい予測もある。
国際情勢など
SF小説的というか、シミュレーション的におもしろいのは、地球温暖化で環境がどう変化したのかという直接的な影響のみならず、国際情勢がどのように変わっていったのか、といった間接的な影響を描き出している点にある。
たとえば、先にも書いたようにこの世界では国家としてのカナダは消滅している。これは、流れとしては次のようになる。まず、アメリカからカナダへの不法な移民が後をたたず、しかも不法移民はみな銃で武装していたので一大武装勢力となり街を占拠するまでになる。彼らを攻撃するカナダの政府軍にたいして、不法移民集団は国境に配置されていた米軍に援軍を要請し、なし崩し的に両国は戦争状態へと突入。当然カナダが敵うわけもなく、敗北してしまう──という流れになっている。
戦争はアメリカ・カナダ間だけではもちろんない。インドとパキスタンは2050年に核戦争を起こしている。パキスタンはインダス川の下流にあり、(インダス川の上流をおさえているので)水の支配権は実質的にインド側にある。この水の支配権をめぐる問題は温暖化云々より以前からずっと存在しているもので、1960年代には、この二国は河川の水資源を共同管理することを定めたインダス水協定を締結している。
が、その後も水をめぐって何度も問題が起きていることからもわかるとおりに、水不足が深刻化すれば、この二国は容易に戦争へとなだれ込んでいく。
インドとパキスタンの諸都市における地上爆発での死者数はかなり正確に推定できます。終戦直後の二、三週間に何人が放射性中毒で倒れたかも分かります。三十四年経った今、両国に落下した広範囲の放射能が原因で、癌などの病気で亡くなった人数も推定できます。第四次インド・パキスタン戦争で一億五千万人の命が失われたとの推定が妥当でしょう。(p159)
水が枯渇するとたやすく命が失われるので、温暖化が進行した世界で戦争が起きるのは当然といえるのだろう。本書で展開していく戦争の事例は、どれも過去からの因縁や水不足の根拠がある地域のものばかりで、かなりの説得力がある。
おわに
普通に日本で暮らしていると温暖化が進むといっても冷房の稼働期間がのびる以外にどんな不都合があるんだろう? とその苦境に想像が及ばないかもしれないが、本作のような形で世界中の被害状況と歴史がまとめられると、地球温暖化がどれほど我々の未来の生活に影響を与えるのかがまざまざと理解できるようになるだろう。
僕自身SDGsの本も読むし、地球温暖化関連の本も読んでいるが、知らないこと、想像の及んでいない箇所は多くあった。本書で描かれていくのは「未来はこうなる」という予言ではなく、「このまま何もしなかったらこの2084年が来るぞ!」という現代への警告であり、2020年代を生きる我々はできることをやっていくしかない。
ちなみに日本はどうなったのかな? と期待して読んでいたが、ほぼ言及なし。