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田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』

良い本だ。読みながらいろいろなことを考えた。たとえば、言葉の限界について。放射線という言葉があるが、いったいどれだけの人がこの言葉の持つ意味を精確に説明することができるだろう? 放射線とは放射性物質から出る高いエネルギーを持った電子、光子などの流れだ。放射線が危険だと人がいうとき、それがどうしたメカニズムでどう危険なのか、ちゃんと説明できる人は、どれぐらいいるのか。

言葉にして、名前をつけることで失われてしまうことがある。放射線が怖い、とは放射線のことがよくわからなくてもいえる。言葉を知っているだけで理解していないことのなんて多いことか(僕も知らないことばかりである)。本書はそうした「放射性物質はどういうメカニズムで放射線を出すのか」「出てきた放射線はなぜ人体に有害なのか」「ベクレルシーベルトとは何を意味しているのか」「どの基準値から人体に有害なのか」などを精確に伝えようとようとしてくれている。

頭がさがる仕事だ。何も原発に限った話ではなく、飛行機で移動するときも、レントゲンをとる時にも、僕らは放射線を浴びているわけで、一般教養として知っておいたほうがいい知識だ。「病院で使っているものなのだから健康に害があるはずがない」と通常ならそこで判断を止めてもよさそうなものだが、本書で得られる知識でも「それがどの程度のリスク」なのがわかるようになる。

同時に科学の限界についても、誠実であろうとする為に考えさせてくれる。科学とは再現可能の問題だけでしか、取り扱い得ない。科学が本当であるのはどういう時かといえば、誰がいつ何度やっても同じ結果になる時である。だからこそ客観性が担保されるし、科学になり得るのであるけれど、それは再現不可能な問題の場合科学では取り扱い得ない、つまり限界であるということになる。

たとえば塔のてっぺんから鳥の羽根を(カラスでも鳩でもいいが)落とした時の軌道は、今でも科学では予測することができない。ハレー彗星がいつくるかは精確に予測できても、身近なところで起こる羽根の軌道は予測できないのである。これは物理現象の話なのでわかりやすいが、ことが生物になってくるともっと複雑になる。

たとえば薬を飲んで風邪が治ったからといっても、それが薬のおかげで治ったのか、あるいは単に自力で治したのか、判断できない。科学がこれを取り扱う時は、統計を使う。出来るだけ条件を同じにして、多くの人に薬を渡して、渡さなかった人たちと比較をするのだ。100人のうち99人までが治ったとしたら、その薬は効いたと判断するという具合に。

放射線が人体にどれだけ有害なのか、といった説明が人によって違うのもこうした統計の限界に起因しているように見える。被曝によってどれだけ癌の被害が増えたのか、今一番大規模な実験は広島・長崎の被爆者追跡調査になる。被爆者12万人を対象に、被曝をしていない人と比べてどれだけ癌の発症数が増えたのかとする比較検証だ。

これによると1Svの被曝で、癌になる人数が約1.5倍になる傾向がある(1Svは1シーベルトだが、それが何を意味しているのかは適当に調べて欲しい)。大雑把にいえばその後の傾向もみて(たとえば2Svだとだいたい1.8倍?ぐらいだ)被曝量が増えればそれだけ癌になる可能性も比例して増えていくように見える。しかし0.1Svまでの被曝量における癌になる確率はランダムのように見え、増えたのか増えていないのかわからない。

今国際的に標準とされている国際放射線防護委員会では、わからないものの「低線量でも癌のリスクと線量は比例するであろう」つまり増えたのか増えていないのか現代の測定技術と統計ではよくわからんけど、たぶんどんなに0.1Svでも被曝すればそれだけ癌になる確率も増えるだろうとする考え方を採用している。しかし当然わからないことなので「0.1Svだったら健康被害はない」とする科学者もいて、その辺が問題を複雑にしている。

そしてそこが科学の限界といえるのだろう。測定技術の限界ともいえる。ここまでくるとどの庵を採用するのかは科学的な理論ではなく社会的な理論になってくる。ちなみに事故などのない普通の状況では一般人の被曝量は(自然被曝量、医療被曝量を抜いて)年間1ミリシーベルト以内に抑えるようにと定められている(本書69P)

0.1Svが100ミリシーベルトなので、健康に被害があるのか無いのかよくわからんレベルの100分の1に抑えようというわけで(ちなみに住む場所によって1ミリシーベルト被曝量の変動はある)、かなりリスクをとらない、安全寄りの基準値のように思える。これをどの程度気にするのかは諸個人が勝手に考えることだ。

僕の親戚にも放射能が怖くて国外に出ていってしまった人がいるが、もちろんそうした考えだって間違いではないのだ。科学は統計の学問だと書いたように、被曝についていえば0.1Svで0.5%癌になる確率が増えると暫定的に決定されている。その0.5%に自分がなるとも限らないのだ。誤差とも言えるが、そのあたった人にとっては科学は全然役に立たないのである。

そんなにたくさん放射線関連の本を読んできたわけではないけれど(10冊ぐらい?)本書はその中でも身近な放射線について一番わかりやすく書かれており、かつ自分で今後の判断ができるような「放射線の基礎知識」を提供してくれる、良い一冊だった。

やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識

やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識