基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

なんらかの事情

ねにもつタイプ - 基本読書 の続編エッセイ。たぶん翻訳家だけど、エッセイも書く岸本佐知子さんの最新エッセイ集で、その文章、発想はすごいの一言。異質な発想、異質な考えが一行で挿入され、そこから連鎖して途方も無いところにまで読者を引き連れていく。その切れ味は剣豪の一閃のようで気づかないうちに取り込まれてしまう。

たとえば『ダース考』という題名のエッセイはこう始まる。

ダース・ベイダーも夜は寝るのだろうか。

うっ、そんな疑問、考えたこともなかった。ダースベイダーはダースベイダーであって、たたたたーんたーんたたたたーんたーん! という音楽とともに現れ何やら悪いことをする、全身黒尽くめの変態、それ以上に発想を飛躍させたことがない。夜は寝るのか? え、あの服のままで? プシュー、プシューと言いながら? ダースベイダーはいったいどんな部屋で過ごしているのか? 想像は連鎖していく

執務を終えてダース・ベイダーは自室に下がる。黒マントを脱いでハンガーにかける。手袋を取って台の上に置く。ブーツも脱ぐだろうか。マントの下に着ている、あの鎧みたいなものも脱ぐだろうか。脱ぎながら、何を考えるだろう。私たちが夜、服を脱ぎながらぼんやりと心をさまよわせる、そんな瞬間がダース・ベイダーにもあるのだろうか。あるとすれば、それはデス・スターの完成の遅れを咎める悪の提督と無能な部下の板挟みになっていることについてだろうか。あるいはジェダイだった頃の思い出だろうか。それともそんな人間らしい感情はとうの昔になくして、空っぽの心に、ただぷしゅーっ、ぷしゅーっという呼吸音が響いているだろうか。

うーんこの連想というか、空想の詰めはすごい。いったいどんな人生を送っていたら、こんな空想ができるようになるのだろう。そして僕はこんなエッセイを読んでいくうちに、人生を楽しむいちばんてっとり早いやり方は、この岸本佐知子メソッドにあるのではないかと思うようになっていた。

岸本佐知子メソッドとは何か。それは日常のほんの些細なことをトリガーに自分好みの空想をのっけて世界を好き勝手に解釈する試みである。岸本佐知子さんはトイレが「自動水洗です」と喋れば便器に話しかけられた! と驚愕し空想をスタートさせ、車に「ガソリンが、なくなりそうです」と訴えかけられれば空想をスタートさせ、とにかく日常に空想トリガーをいっぱい持っているのだ。

そのトリガーは楽しげな時もあれば恐怖的なこともあるがただの日常を豊かにしてくれる。なるほど日常の些細な事をよくみ、よく感じ、そこから空想をスタートさせる。これが岸本佐知子メソッドか、じゃあそれをやればいいのか?? いや何も喋るトイレで空想をしろなどというハイレベルなことを要求しているわけではない。

たとえば最近僕が実践している空想はこんなことだ。仕事場はビルの4階にある。それ自体はとりたてて珍しいことではないが、たまに席を移動すると窓の外に別のビルの中が見えたりする。そこにはいつも同じ席で仕事をしている長髪の女の人がいて、後ろを向いて座っている。僕はペットボトルを捨てるたびにそこに行くので、その度にその後姿をみることになる。

「あの人は美人だろうか、何歳だろうか」「いや、美人に違いない。あそこには絶世の美女が座っているのだ」とそう思って毎日ペットボトルを捨てていると人生が豊かに成ったような気がしてくるじゃないか(しょぼすぎる)。

まあ、誰にだってトリガーの一つや二つあるもんだ。シュレディンガーの猫じゃないけれど、不確定なことだったら自分で好きに彩って、自分好みの世界を創りあげたほうが楽しい。本家にはなかなか敵わないとしても。

なんらかの事情

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