基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

羽月莉音の帝国

見たこともない風景、考えたこともない状況、加速度的にスケールアップしていく物語の規模、まったく想像の埒外にあるものの、現実に存在するルールにはのっとっている破天荒なアイディアの数々。全十巻の『羽月莉音の帝国』がみせてくれたのは、そうした『規格外』な物語だった。口をあけてぽかーんと放心してしまうような、そんな傑作だ。ガガガ文庫といういわゆるライトノベルレーベルから出ており、挿絵がつき、二次元絵が表紙をかざっているが、そうしたものに抵抗がない人間は手にとって確かめてみるといい。

至道流星は日本の小説家。講談社BOXからデビューした当時からビジネスを基軸に据えて物語を動かしていく作家だったが、本作でもその流れは健在。一言で物語を説明するならば、真面目に国を作る話。国を創るには基本的に宣言すればいいのだけど、土地を占拠するわけだから武力が必要になり、ひいてはミサイルと核が必要になり、当然資金が何百兆円必要になり、その資金を稼ぐ雪だるま式のマネーゲームが、理論的に行われる。

必要なのはここが自分の国であると独立宣言する勇気と、他国に圧倒的に認めさせるための軍事力。そして最終的には周辺国の同意だ。言うのは簡単だがこれを達成するためには途方も無いほどの困難があるのはいうまでもない。最初に大きな目標をぶちあげて後はそこに至るためのチェックポイントをクリアしていくという物語構造はジャンプなどの長編マンガでおなじみなものであり適度なところで巻数を区切らないといけないライトノベルと相性がよい。

まあそんなことはおいといて、建国を達成していく過程は圧巻そのものだ。神や魔法のたぐいはでてこない。超能力もない。しかし物語の規模は誰もが見たことがない場所まで到達し、国家同士の外交関係や政治権力、さらには特殊部隊に軍事とそこまで広がるかといった分野にまで及ぶ。最初はライトノベルだから〜と自転車にでものっている気分で読み始めたが実はジェットコースターだったみたいだ。

以下、いかに『羽月莉音の帝国』が破天荒な物語なのかについて語っていく。じゃっかん長め。さらにじゃっかんネタバレ有り。ここまでで読んでもいいかな、と思うのだったら読まないほうがいいかもしれない。とにかく面白いのじゃ。

段々とスケールアップしていく物語展開
段々とスケールアップしていく物語展開は『羽月莉音の帝国』のもっともわかりやすい特徴だ。革命部の革命活動も、最初は元手ゼロの状態からはじまる。いやそれどころかマイナススタートだ。ゴミ拾い、借金をして自動販売機の設置、コスプレ衣装作成で元手を稼ぎ、物語が進むうちに企業を買収しM&Aを繰り返し、銀行を買収、はては証券市場の創設……金の動きを支配する胴元にまで到達する。

当然ながら扱うお金の額も物語の進行に比例して、数万円から1000兆円といった桁外れの額のやり取りを行うようになっていく。扱う金額の多寡だけがスケールアップしていくわけではない。最初は純然たる金の動き、市場ルールにのっとって公明正大に活動を行っているだけだ。しかし扱う額が大きくなり、権力や暴力が支配する分野にまで介入が必要になってくると問題は政治にまで拡大する。

中国に手広く事業を広げてみれば自分たちとは関係がない事情で起きた暴動によって事業が混乱するなど、金のやり取りだけではなく政治的な状況も物語が進むたびにスケールアップしていくのだ。最初はヤクザとの小競り合い、中国では暴動に巻き込まれロシアでは起こした事業を奪われ、特殊部隊に狙われる……。

巻き込まれてばかりいるわけではない。目的は世界システムの変革、革命、それに伴う建国だ。最後は一国の特殊部隊なんて目じゃない、自分たちから宣戦布告しての、国同士の抗争に発展する。革命部帝国vs全世界だ。物語がここまで至った時に、世界がどうなっていて、どう群衆の反応が描かれるのか。そのディティールまで含めて圧巻だった。

国を作る物語
国を作る物語の先陣はいくつかある。僕が知っている中で一番有名なのは村上龍の『希望の国エクソダス』だろう。中学生たちがインターネットを駆使したビジネスによって最終的に土地を買い上げ実質的な国を作る話だ。物語の根幹となっているのも、腐敗しきった金融システムや政治状況に風穴をあけ、立て直す為には革命が必要なのだという、羽月莉音の帝国と、まったく同じ立脚点にたっている。

しかし『希望の国エクソダス』は実際的な意味での建国ではない。土地を買収して、コミュニティを自発的につくり上げる結果としての独立で、スケールも小さくなってしまった。実質的には国を作ったのと変わらないとしても。『希望の国エクソダス』もまた傑作だと思うけれど、僕は『羽月莉音の帝国』はそれを遥かに超えた傑作だと思う。いくつか理由もあげられるけれど、この記事で全部書く。

羽月莉音の帝国』は『希望の国エクソダス』では書けなかった実際的な意味での建国を目指す。土地を占有し、日本やアメリカや中国に「国」として認めさせるのだ。ぶっとびすぎていて、それだけに達成させていく過程はまったく想像もつかず、魅惑的な物語だ。しかし、説得力をもってそれが書き切れるのか? 物語は根本的に嘘である。嘘であるからこそ、その中で起こることには一定の説得力がなければならない。

実際的な意味での建国には金を何百兆と稼ぎ、最低でも核を配備し、ミサイルも必要だ。配置によっては軍隊も必要かもしれない。そのあたりのことを、たとえば「突然ドラえもんがやってきて〜全部うまくいきました」となったら進研ゼミの漫画のような、空虚な物語になってしまう。物事はすべてお膳立てされた上で成り立っていて、著者の都合の良い意図しかよみとれないと意識させられてしまう。そうなった物語は悲惨で、惹きつけられることもなく、瓦解していく。

作品への裏付けと、独創的なアイディアとディティール
至道流星作品共通の特徴だけれども、常に既存には例のない新機軸のアイディアを盛り込んでくる。たとえば現在最新作の好敵手オンリー1では神社や教会といった宗教法人は税金がかからないことを利用している。神社や教会であることを生かした新規事業を学生の女の子たちが盛り上げていく様が書かれている(ただし本作とは比較にならないほどつまらない)。

逆に言えば既存に存在しない、新しいアイディアでの金儲けを書いているからこそ既知のルールからでは想像も出来ない速度での成り上がりを達成できているといえる。物語序盤こそまっとうなM&Aが描かれるが(これもかなりウルトラCだけど)後半戦からは空前絶後の銀行を買収⇒買収した銀行の預金を使ってまた銀行を買収という連鎖によって次々と資産(と負債)を増やしていくような、「え? そんなんアリ??」と目を疑ってしまうような展開が起こる。

そして前代未聞の証券市場設立……、それもただの証券市場ではなく、どんな企業であっても毎月50万円払えば上場できるというまったく新しいアイディアだ。そのために必要なこまごまとした設定も綿密に組まれていて、実際に革命的な市場なのでは? とついつい信じてしまう。銀行の買収も、証券市場の設立も、どちらも夢のような話ではあるものの、現実に存在しているルールの延長線上にあり、つまりは可能なことなのだ。

一方政治的な圧力や国の暴動、経済の動きなどほとんどは一度現実に起こっていることの延長線上にあるものだ。たとえばバブルは何度も起こってきた。中国が国民の党への暴動を抑えられなくなってきたときにはたいていアメリカ、日本、台湾へ怒りの矛先を向け暴動を起こす。正直言って本作で起こることは一直線に物語の時間軸に沿って並べてみれば荒唐無稽な話の連続だが、でも今まで何度もあったことで、これからも起こることなのだ。

経済の世界的な破綻、民主主義の限界も昨今強く主張されるようになってきた。実際に崩壊の時は近いのかもしれない。その「かもしれない」を誇張し、起こしてしまい、既存にはまったくない、ただし延長線上にあるアイディアの数々で乗り越えていく展開には、物語としての興奮がある。

「実際にやったらどうか」とか「実際に出来るのか」といったことは、ここまでくるともう問題にならない。問題になるのはそうしたアイディアが「その世界観の中で」どれだけ尤もらしいかであってそこを詰めるのはディティールの力だ。大きな嘘は許容される。ドラえもんがいるのもOK。ウルトラマンがいるのだってOKだ。でも小さい嘘がいくつも積み重なったり、大きな嘘が何度も繰り返されると夢からさめてしまうのだ。

たとえば核兵器を一企業が得るためにはどうしたらいいだろう? まるで想像もつかない。著者がやるべきなのはこれを達成するために現実的にどうかではなく、どうしたら読者が納得できる形でディティールを積み上げるかである。もちろんすべてにおいてディティールを詰めていたらこんな建国物語は立ちゆかないので、どこを切ってどこを詰めるのかが重要になってくる。

個人的に驚いたのはディティールを書くにあたってビジネスや証券取引、買収といったポイントで著者の持ち味がいかされるのはわかっていたけれど、ミサイル関連の話や(どこに何を投資して、核を一企業が怪しまれずに製造するにはどうしたらいいのかといったディティール)国際紛争、政治のやり取り、アジテートの意図を含んだスピーチまで違和感なく書かれていたことだ。

至道流星さんはよくあとがきとかで自分もビジネスですさまじいことをやってきたんだぜアピールをしているのだけど、てっきり真実一割ぐらいのセールストークだと思っていたんだよね。だから国の歴史やどういう力関係で国同士が強調し対立しているのかといった事までもが整理され、わかりやすく物語に組み込まれているのを読み、著者はいったい何者なんだろうと疑問を抱くまでになっていた。

当初はビジネス書を書いたつもりの作品が小説のデビュー作になったという言葉どおり、本作でも経済や歴史についてお勉強になる記述がたくさんある。こうした知識も、非常に面白いところだ。

春日恒太というキャラクタ。〜虚と実を書く物語〜
本作にはいくつかの軸があるけれど、そのうちの一つが世界には表面と裏があるという暴露にある。主人公である革命部員たちはどんどん大きな物事に巻き込まれていくが、彼らは行動者、常に事件を起こす当事者側であって、事態を常に精確に把握している。買収がどういう意図のものであって、その際にどうしたやり取りが行われ、政治的にどんな圧力がかけられたのかといった情報だ。

一方マスコミや週刊誌、ネットに踊る情報はその表面をみただけのものだ。世の中にはマスコミや政府発表が民衆に対して伝える情報とはまったく別に、大衆を扇動し自分たちの意のままに従わせようとする力学が働いている。

そうした虚と実を表しているのが春日恒太というキャラクターだ。彼は瞬間記憶能力者として描かれ、何でも知っているが常に自分を神といって憚らない尊大な口を利き、自分自身を過剰に演出し他人を見下すことから革命部内で実務面ではまったく役に立たない人間として描かれる。しかし後半から、テレビ番組に出まくり、革命部の事業の顔役になったとたん彼にはアジテーターとして超一流の能力があったことが実証されていく。

尊大な物言いと実際に何でも記憶している超能力と、何より自信満々にしゃべることを裏から支えてきた有能な革命部員たちのおかげで中身が与えられ、テレビや文字からだけしか情報を得ない大衆は周りで春日恒太を天才とあがめたてあーでもないこーでもないと虚像に対してくだらないことをわめきたてるだけの存在として書かれる。

扇動する人間には扇動する人間なりの思惑がある。それは株価をさげたくないからであったり、はたまた相手を攻撃する意図があったりする。扇動でなくたって同じことだ。巨大な組織や大きな力が動く背後には必ず表向き見えているものとはまた別個の思惑がある

ブームにのっかって出されるクズみたいなビジネス書のような「虚」とは別に、世の中を実際的に動かす力学とでもいうべきものがある。こうした考えを「実はあれもこれも嘘だったんだ、陰謀なんだよ」と植えこまれて容易く信じると陰謀信者になってしまうが、その場の勢いに流されず少し立ち止まって、数字などをみて考えてみれば容易く暴ける「実」の部分もあると書かれていくのだ。

自らの目的の為にアジテート、大衆を思いのままに動かし、持ち上げ、英雄とまで言われた時期を経て最終的には「人類の敵」とまで呼ばれるようになる春日恒太は英雄と呼ばれるところから最悪の存在にまで急転直下でその評価を変えていくことでわかりやすく人の移ろいやすさ、マスコミや世間の動きの表面しかみていない態度を表現している。この世には正義などなく、ただひとときを支配する価値観があるだけだ。

世界のほとんどを覆っている「表面」、マスコミやクソみたいなビジネス書ではなく、日々苦痛を抱えながら通勤電車に乗っている様なサラリーマンまで含めて……、そうした裏面には実質的に物事を動かしている力学があり、ここには想像も付かないような力が渦巻いていると、現実がどうあれそう思わせるように物語は構成されているのだ。これはフィクションなのだから。

いうなれば本作品は世界の表面だけをさらって生きるな、革命を志せという、一種の春日恒太的アジテートの本なのだ。

羽月莉音の帝国 (ガガガ文庫)

羽月莉音の帝国 (ガガガ文庫)

羽月莉音の帝国 2 (ガガガ文庫)

羽月莉音の帝国 2 (ガガガ文庫)

羽月莉音の帝国 3 (ガガガ文庫)

羽月莉音の帝国 3 (ガガガ文庫)