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絶対音感神話: 科学で解き明かすほんとうの姿 (DOJIN選書) by 宮崎謙一

「ほんとうの姿」と副題にあるように、「実際絶対音感ってどうなのよ」という一冊になっている。「どうなのよってなんなんだよ」と思うかもしれないが、たとえば「そもそも絶対音感ってどういう能力なわけ?」「何人に一人ぐらいの割合でいるんだ」「というか絶対音感って音楽をするうえで役に立つの?」「絶対音感ってどうやって生じるの? 子供の時に訓練すると絶対音感が得られるって言うけど本当?」といったことにちゃんとした答えを与えていきましょうということ。これがなかなかオモシロイですね。

絶対音感って言われると「はーなんかすごいですねー、音楽の申し子じゃないですかー、いやまじで音楽をやるために産まれてきたんじゃないですか?」みたいに思うわけですけど、実際は本書の結論を先取りしてしまえば「絶対音感は音楽的とはいえない能力であるということである。それどころか、それはへたをすると音楽にとって好ましくないように働くことさえあるというのが私の考えだ」というように、あんまり好ましくなかったりするようだ。

ただ僕のような反応がむしろ一般的であろう。「絶対音感=なんかすごい、音楽家」みたいな。こうした神話を科学で解きほぐしていこうというわけである。小学1年生の頃から大学卒業までピアノ教室に通ってピアノを引き続けていたのだが、絶対音感的な能力はまったくなく、歌えば誰もが耳を塞ぐぐらい音痴で、口笛を吹いただけで「音程外れてるぞ」と見知らぬ人間に不快げに注意を受けるぐらい絶望的なピッチ把握能力者の僕だがこれには勇気付けられた。

絶対音感とは何か

絶対音感とは音楽における音の高さを知覚する能力である。たとえばピアノの鍵盤で白いとこをぽこっと押した時に、音だけを聞いてその音の音高名を即座に、ほとんど間違いなしにいうことができた場合、その人には絶対音感があるといっていいだろう。また絶対音感のテストをする前に別の音とその音高名を基準として与えられていたりするとその基準音との高低差によって相対音感的に把握されてしまうこともあるし、音楽家は特定のピッチの音を覚えていることもあるので判定が難しくなってくるがまあその辺はいいだろう。

また絶対音感は音のピッチを把握する能力なので「耳がいい」わけではない。面白いのは、こうした絶対音感持ちの人達は音を聞くとそれぞれのピッチ・カテゴリーに紐付いた名前が頭に浮かんでくるため歌詞が覚えられないで困るといったことがあるようだ。ふーん。なんか純粋に音楽を楽しむには邪魔な能力なんじゃないかな。切り替えられる人もいるみたいだけど。

役に立たないの?

さて、絶対音感は役に立つのか? 役に立たないのか? 個別の音のピッチを判別する能力であるから、聞いた音楽を楽譜に起こしたりする際には役に立ちそうではある。それに聞いただけで把握できるんだからそれを再現するのも容易なような気がする。実際には現代には楽譜があるし再現するには覚えなくちゃいけないからあんまりそこでは意味がないか。あと音大に入る時などは聴音のテストがあるので、そこでは明確に役に立つようだ。でもまあ、それぐらいなんじゃないの? というのが本書の趣向。

音楽は絶対音高の集まりではなくて、調整のようなピッチの枠組みの中で初めて音楽的な意味を持つように成るのだから、絶対音高のような能力は別に音楽的才能にあんまり寄与しない。まあ、それは、そうなんだろう。またあまりに完璧な絶対音感を手に入れて特定のヘルツを明確に音高で紐付けすぎると、別の国のオーケストラにいったときなどに微妙に異なるヘルツ数のピッチに適応することに苦労するようになったりする。また大きな問題として絶対音感があることによって相対音高が不正確になるといったこともある。

具体的な問題レベルにまで説明を落としこむと、音楽はいったん演奏が始まってしまえば後は相対音高によって構築されるので、音程をつくっている音が基準ピッチからちょっとずれている場合に音程を認知することが難しくなったりするということらしい。そして実際著者の相対音感実験をみると、非絶対音感群の方が絶対音感群より正答率が高いという結果が出ている。国ごとによる数字の大きな違いなどもあって一概に「こうです」と結論付けることもなかなか判断の難しいところだが、ひとまず日本の学生ではこうした結果が出ている。

絶対音感は身につけられるの?

どうも子供の時なら身につけられる可能性が高いらしい。幼い時から専門の音楽教育を受けてきたと思われる学生が多い音楽専攻系では割合として60%といった高い確率で絶対音感持ちがいる。くそう、僕も小学1年生の頃からピアノをやっているんだが……とは思うものの、絶対音感を持つ人たちのほとんどが三歳から六歳までの間に音楽訓練を開始していたりと、「幼い」のレベルが違う。しかも日本には絶対音感プログラムのような、「どの子でも絶対音感を身につけさせます」系の教育があって、二歳から三歳からという条件があったりする。

詳細が明らかになっているわけではないが、やはり8歳ぐらいに成長してしまったらもう遅いようだ。残念残念。といっても本書の結論からいえば「相対音感を犠牲にしてまで身につける能力ではない」ということなので、別に残念じゃないか。本書には具体的な絶対音感を身につけるためのプログラム内容とかも書いてあるけれど、愚直なまるばつゲームの連続チャレンジみたいなもので「こんなん自我もあんまり芽生えてない低年齢でしか出来ないよなあ……」と思うような内容なので、意識もはっきりしていない子供にこうした無理を強要してしまう前に、こうした本を読んで勉強しておくといいのではないだろうか。

うちの親もそうだったけど、子供の為だという強烈な免罪符を手に入れると、子供の意志を無視してしまうことがあるものだから。ひと通り読んで「そうはいっても訓練次第では適応できるわけだし絶対音感が身につけるのもそう悪くないんじゃない」とも思ったが、その適応の難易度が実際どれぐらいなのかといった部分についてはこれからの課題なんでしょう。

絶対音感神話: 科学で解き明かすほんとうの姿 (DOJIN選書)

絶対音感神話: 科学で解き明かすほんとうの姿 (DOJIN選書)