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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

図書室の魔法 by ジョー・ウォルトン

 すべての読書家におすすめする作品。

 読書家、とりわけ小説読みは多かれ少なかれ孤独なものだ。多く読めば読むほどその傾向は深まっていく。なぜなら楽しいことがたくさんあるこの世界で文字を一人で読んで多くの時間を費やす人間はそう多くはないし、いたとしてもジャンルがかぶることは多くないからだ。日本に同好の士が数千人しかいないなんてことはざらで、偶然を期待して出会うにはあまりに確率が低すぎる。

 文字を読む行為が基本的に他人の介在を必要としないこともあいまって、小説読みというのは孤独なのだ。とくに小学生中学生高校生の頃なんかは世界が狭いし。仮に読んでいる人がいたとしてもジャンルが重なることなんて滅多にない。それはその後も同じだけど、自由に出かけていけるからね。僕がネットに文章を書くのは自分が小学生から高校生だったころの孤独がインターネットで少しでも癒せればと思うからだ。せめてネットぐらいには孤独な読み手に共感し、読み方を提示し、面白かったところを教え合える味方がいてもいいではないか。

 僕も思えば小学生の頃から乱読家だったが、本の話をしたことはまったくといっていいほどなかった。ネットに触れられるようになった時は大層喜んだものだ。ここには自分以外にも自分と同じように読んで楽しんでいる人がたくさんいるんだ! と。ただしネットも万能ではない。たとえば僕は自分がありったけ楽しんだものを人が十行ぐらいの「楽しかった〜〜」程度の感想で済ませていることにいらだちがあった。「おい!! その本から得られる情動はそんなもんじゃねえだろうが!!」と。だから僕は未だにあの頃の自分に向けて書いている。全力で共感し全力で肯定する為に。

 話がそれた。本書『図書室の魔法』は、1979年ー1980年の英国を舞台に、複雑な環境と読書好きが故の孤独を抱えた、SF好きの少女の日記だ。家庭環境は複雑でトラウマ級の悲劇を山ほど抱えて物語は始まる。死さえもちらちらと垣間みえるその精神状況の中で、しかし常に希望としての読書という行為が語られていく。

けっこうシビアな話

 本作は読書好き、本を読むことの楽しさを啓蒙するだけの物語ではなく、実はけっこうシビアなお話だ。本作はずっと少女モリの日記という体裁で進んでいくからあまり大げさに書かれることはないが、それでも日記の断片だけ読んでいても「え、それはどうなの……」と思わず心配になってしまうようなしんどいハメにあっている。日記なので盗み読まれることを懸念してもっとひどいことが起こっていてもおかしくはない。

 その結果として「いつ死んでもおかしくないような不安定さ」が感じられるようになっている。まあなんとも精神的に不安定なのだね。すぐ後に書くが、正気なのか狂気なのか判断に困るような設定もある。家庭環境としては、母親とは決別し一度もあったことのない実父に引き取られ、実父と共に暮らしている叔母3人には煙たがられ寄宿舎に入れられている状況。そこでも途中編入したのではいい目ではみられない。当然周囲にはなじめず家でも様々な困難にぶちあたる。

 かといって一方的に苦難に押しかけられている悲劇のヒロインなのかといえばそうでもないところは特筆しておく必要がある。モリは周囲を見下しているなかなか嫌な奴だし、3人の叔母を一方的に自分の敵のようにみなしている。根暗な性格かと思いきやそうでもなく、ただプライドが高いのだろう。セックスにもわりあい積極的で奥手というわけでもない。しかし打算的で計算のできる人格だからこそ、日記に書かれている記述はいろいろ考えながら読む羽目になる。

 3人の叔母に煙たがられているというのも全てはモリの主観であり(なにしろ日記なのだから)読者はその裏を推測することしかできない。読んでいるだけでは3人の叔母を勝手に魔女扱いして自分を攻撃してくると思い込んでいる、極端に被害妄想の激しい痛い女の子という感じしかしない。たとえば「魔法」とタイトルに入っているが、本書のそれは指輪物語などに代表されるような「ある程度再現性のある魔法」とは一線を画する。

 何しろ魔法が存在するかのように振舞っているのはモリ一人であり、フェアリーがいるといっても他の人間は明確にそれを知覚することはない。自分で儀式のようなことをやって魔法が効果を及ぼしたんだとモリが考える場面があるがそれも「偶然そうなっただけ」なのか儀式が効果を及ぼしたのかなんてわかるはずもない(目の前で超自然的な現象が起こるわけではないのだ)。自分が母親からの魔術的な攻撃を受けているとしきりに恐怖を覚えているが、それが自身の思い過ごしではないことを証明する証拠はどこにもない。

 実際にそれは本当に魔法であり、フェアリーも実在するのかもしれない。一方で彼女が日記におりまぜたちょっとした遊び心、自分の精神を、世界観を守るための最後の砦だったのかもしれない。いじわるで狂ってしまった母親を認めたくがないために幻想を現実に織り交ぜ、自身の不遇な境遇を自身に納得させ改変させる力を持っていると錯覚させるために魔法の概念を信じ込んでいるのかもしれない。

 少女のあまりにも不安定な精神性と、同時に描かれていく極端な合理性、思考能力の高さのアンバランスさがどこまで読んでも「精神疾患的な何か」なのか「本当に実在している概念」なのかの判断を保留させるようになっている。真相は文字の中。だが元々小説は虚構なのだ。虚構の中で何が本当で何が嘘なのかを論じることは時と場合にもよるが、今回の場合は不毛だと思う。

 これはSFとファンタジーが好きな、本好きな少女の空想が入り混じった世界観そのものだ。空想の世界に入り浸っている読書家にとって、その世界は実在しているものとなんら変わりがないのだ。中つ国は存在すると僕は胸をはって言えるし、それはモリも同じだろう。よく構築された世界は、人物は、現実の人間以上に確かに存在するのだ。たくさんの場面を、僕も虚構によって支えられてきたのだから。

 今でこそ様々なしがらみから自由になりつらいこともほとんどないが、学生だった頃には我慢できないことが多々あった。そうすると決まって読書量が増えたものだ。つらいことがあって逃げ出したくなったり、逃げられない状況をなんとかやりすごすために、虚構によって力を蓄えることで、なんとか現実をやり過ごしてきた。それは「逃避」なんて言葉ではすまされなかったように思う。なんとか現実で抵抗を続けるための緩衝材であり、生きていくために必要な武器だった、つまり、現実と虚構は一体化していた。

 だからこそ本を心の底から愛し、人生の糧とし、のめりこんでいく本作の世界は、僕にとってはとても居心地のいい世界観だ。

読書感想録としての読み方

 少女の読書日記はどれも率直に書かれておりそれを読んでいるだけでも至極楽しいものがある。読書家ならわかるだろうが、毎日毎日いろんな本を読むので日記を書くと自動的に読書日記になってしまうのだ。僕もこのブログはほぼ日記だからね。日記にその日食べたものを書く人がいるが、それと同じように読書家の日記には常に読んだ本のことが描かれていくことになる。

 最初はよくわからないけど、といっていたゼラズニィにだんだんハマっていく様だったり、1979年という時代を考慮してまだティプトリージュニアが「女性作家」だということが知られておらず「男性作家」と認識していたり、何度も何度も大好きな指輪物語の話が出てきたり。現在ではとっくに評価の定まっている銀河ヒッチハイク・ガイドを全く知らない状態で読み始めて「全然読む気がしなかったのにこれ、おもしろじゃん!」と気がつくところなどにやにやしてしまう。

 そうそう、冗談みたいなタイトルだけど、面白いんだよ!!笑 こうした「その時代ならではの驚き」があるのがひとつの醍醐味だ。面白いのが、物語が進むに連れてモリはより深い読書家の道へ入って行くこと。最初は学校の図書室で本を借り、父親からのお小遣いで本を借り、その後に街の図書館で借りることができるようになる。そして図書館では自分と同じような読書家たちとの出会いを果たし、週に一度の「自分が読んでいるような本を相手も皆読んでいる」というとても幸福な読書会に出席できるようになる。

 僕などは未だに一人で本を読み特に反応が返ってくるわけでもないブログを書いているわけだからこの『わたしが読んだ本をわたしと同じくらい熟読していて、発想がどんどん飛躍してゆく人びとと語りあうのは、採鉱に気分がよかった。』というのはとてもうらやましいが笑 でもそこで語られる感想も含めて、最終的に本作の中で挙げられる冊数は176冊にも及ぶ(がんばって数えた)。

読み終えた時に読みたい本があっと増えているだろう。少なくとも指輪物語を読んだことがなければ、真っ先に読んでみたくなるはずだ。それぐらい大絶賛だから。

読書家の孤独

 読書家は孤独だと書いたが、その孤独は同じように孤独だった過去をもつ存在によって癒やされるのかもしれない。僕もこの孤独で周りを見下していてそれでいて重圧やつらい環境に負けないように気張って、本を愛し本に救われてきた少女に共感しないわけにはいかなかった。しかもSF好き。それはまるきり学生時代の自分の映し身だ。トールキンの創りあげた世界に耽溺し、ティプトリージュニアの創りだす繊細な世界と感情に感動し、ル・グインの視点にふれて驚愕する。

 世界にはつらいことで溢れているけれども、読むだけでどきどきして冒険に行った気になったり、まったく新しい視点で世界を見ることになったり、楽しくて楽しくて顔がにやにやしてきてしまうような素晴らしい本もまた同時に溢れている。僕は今までの人生、楽しいことがたくさんあって、大満足であるけれども、常にその時々で夢中になった本があった。つらいことがあっても面白い本があれば生きていくことが出来る。

 そしてそうした素晴らしい本たちは今も出続けていて、読みつくすことなんてとても出来やしない。読書家にとって生きるとはそのまま読むことであり、終わりなく読み続けることでもある。本書の終わりまで到達した時に、読書家ほど少女の力強い「生きるということ」への宣言に強く共感することだろう。ラスト一文を読んだ時に自然と涙が出てきたし、これが、これこそが、読書家の本なのだと思った。

 『図書室の魔法』は、とてもいい話だった。さあ、次は何を読もうかな。

図書室の魔法 上 (創元SF文庫)

図書室の魔法 上 (創元SF文庫)

図書室の魔法 下 (創元SF文庫)

図書室の魔法 下 (創元SF文庫)