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ゲームと共に育ってきた人たちへ──『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』

現代ゲーム全史  文明の遊戯史観から

現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

いやーこれはもうすさまじい力作で、ノンフィクションとしては間違いなく今年ベスト。現代ゲーム史として傑作なのはもちろん、数十年の歴史を通して「現実と仮想が融け合っていく」様相を提示し、ゲームの進化を通して人類文明の変遷を辿る新しい文明論としても素晴らしい作品だ。500ページを超える大著にも関わらず、最初から最後まですべてがおもしろく、買って一日で読みきってしまった。*1

ゲームで語る世界の変容の全体性

本書は「現代ゲーム全史」と名付けられているように、主に日米における20世紀後半から現代に至るまでのゲームの進化史を膨大な量のゲームと共に辿りながら、いかにゲームが人類社会を変容させてきたかを丸ごと語りつくさんとする一冊だ。その射程は序章の宣言『「現代ゲームの全史」を僭称する本書が物語ろうと試みるのは、そのような世界の変容の全体性である。』からして明らかなように、実に広い。

 これらまったく異質な技術的営為とカルチャーが併存・交雑しつつ、情報技術によって結び合わされているために、デジタルゲームの短い歴史は、およそあらゆるタイプの遊びを包摂するとともに、そこから東西古今の文かと文明が生成されていった人類史そのものの本質を濃縮してエミュレートしているとも言える。

「現代ゲーム」と時代を限定しても、その期間に存在する変化、文脈の膨大さから「本当に捉えきれるのか」と読む前は疑問に思っていた。アドベンチャー、RPG、アクション、恋愛、格ゲー、音ゲー、STG、位置ゲーに同人ゲーム(まだまだある)、どのジャンルも歴史を詳細に語るには一冊以上の本を必要とするだろう。むろん、そういう意味では本書は完全に精緻なゲームの進化史というわけではない。

とはいうものの、本書は横軸としてロジェ・カイヨワが提起した古典的な遊びの分類体系(競争、運、模擬、眩暈)を用い、縦軸としては見田宗介が提起した約15年おきに変化する「理想」、「夢」、「虚構」という3つの時代区分を用いることで、600点以上もの作品においてざっくりとではあるが同時代的な構造を把握することを成し遂げている。そこからさらに飛躍と分化が行われる90年以降については、VRやARといった技術上のコンセプトに由来する「仮想現実の時代」及び「拡張現実の時代」の両区分を用いて、ゲームが変容/融合してきた現実の有り様を見事に捉えていく。

各フレームによるゲームの歴史

見田宗介の時代区分などは、基本的にはゲームを取り上げいく際の枠組みとして機能している。たとえば政治改革による「革命」、技術革新により全てがうまくいく「夢」の時代が終わり、人々が現実世界の積極的な変化に関心を持たない〈虚構の時代〉がきたが、『インベーダーブーム』で一般化した現実逃避の営みであるデジタルゲームはまさに時代の特性を体現する申し子のような存在であった、というように。

ゲームの進化による〈虚構の時代〉の次にくるのが、スーファミ世代のゲーム機をはじめとする『作り手側のイメージデザインがゲーム上の表徴として再現できる度合いが大幅に高まり、受け手の側も画面上で展開される出来事をそのままの具象として鑑賞しうる態度が次第に強まっていく』流れにある〈仮想現実の時代〉である。

そんな状況で発売された『ファイナルファンタジーⅣ』を筆頭に、外部を必要としない自己完結的なゲームとして『ウルティマオンライン』など無数のゲームを取り上げながら〈仮想現実の時代(1990〜2004年)〉のモードの特色を確立期、発展期、移行期という感じでそれぞれ文化とゲームの相互作用の語りが続いていく。

圧巻の600点以上のゲーム語り

なんといっても圧巻なのはそうした文化を背景とした600点以上のゲーム語りだ。

たとえば〈仮想現実の時代〉から〈拡張現実の時代〉への橋渡しを担う先駆的な作品の一つとして、FFⅨやドラクエⅦが発売されたプレステの末期に発売された『高機動幻想ガンパレード・マーチ』が取り上げられる。AIの制御する戦友たちと行われるプレイヤーにとってはままらない戦闘の表現的な新しさなどを提示したのち、「ゲーム外」で行われた「ゲーム内の謎を語り合う掲示板」でのやりとりが本作の世界観体系に組み入れられてしまうという『ガンパレ』特有の「現実のユーザコミュニケーションをゲーム内に取りこんだ」まったく新しい体験がテンション高く語られていく。

まさにゲームで描かれる虚構とネット上でリアルタイムに進行した現実の出来事との垣根を取り払い、プレイヤーたち自身が「何をさせられていたのか」を自ら探求するという、他のメディアではなしえない究極のメタフィクションが実現していたわけである。

このテンションがインベーダーゲームからシェンムー、Ingressまで全てに配されているわけで、文明論とかテクノロジー論とか抜きにしてとにかく数と熱量が凄い。しかもゲーム史的にいかに新しかったのかを中心に、ユーザがどのように熱狂したのかという「体験」も含めて取り上げていくので、プレイ済みのゲームについては「そうそう!」と頷きつつ、未プレイのゲームについてもその手触りがよく伝わってくる。「システム」と「体験」というコアな部分を抽出しているのだ。

VRやAR、AI

これから先、AI技術の発展があればゲーム内の人物はよりリアルになり、シナリオの自動生成技術の完成度が上がれば、ゲームは無限の魅力的なストーリーを提供してくれるようになるはずだ。そうした状況は「仮想がより現実化している」ともいえるし、ARのような技術に注目すれば「現実は仮想化している」ともいえ、社会文化を大きく変えるだろう。というより、その三つはまったく同時に起こっていくのだ。

本書の後半ではDSやPSPやソシャゲ(元祖位置ゲー、コレクションゲーなど)、実況ブームや艦これを筆頭とするブラウザゲームの流行によるコミュニケーションツールとしてのゲーム、その流れを組むスマホの普及による『Ingress』などを取り上げながら拡張現実の時代を語り、終章ではこれから起こるVRやARが渾然一体となって進化する状況を指し「複合現実(Mixed Reality)」の時代だと説明してみせる。

そこまでいくと物語はゲーム史、一般的なゲーム論を超えて、いま・ここから地続きのSF的想像力の世界の素描に踏み込んでいるが、読み終えた時にはノンフィクションでありながらもよくできたSF作品を読みきった時のような満足感が残る。

おわりに

少年の頃はファミコンでマリオを遊び友達とポケモンを交換し、大人になった今はPS4でオープンワールドを駆けながら現実でスマホ片手にポケモンを探している。いわばゲームと共に大人になってきたわけで、本書を読んでいくうちに「ああ、自分はこういうたくさんのゲームと一緒に成長してきたんだよなあ」と心底しみじみとしてしまったというか、まるで人生/時代を再体験していくような興奮があった。

「現代ゲーム全史」という歴史の本であるし、「ゲームとテクノロジー共に変容してきた人類史」として傑作なのは今更言うまでもない。が、まず何よりも、スタート地点こそみなそれぞれ異なるであろうものの、僕以外にも無数に存在する「ゲームと共に成長してきた人たち」に本書を読んでもらいたいものだ。

*1:読み終わってほくほくして返ってきたら出版社より献本いただいておりました。ありがとうございます。保存用にします。