シリーズ未読者向けの紹介
最初に簡単な「シリーズ未読者向け」への紹介をしよう。
著者の芝村裕吏さんは今だと刀剣乱舞でのシナリオや世界監修で有名かもしれないが、『高機動幻想ガンパレード・マーチ』をはじめとするAIを駆使した先進的なゲームシステム、現実のユーザコミュニケーションをゲーム内に取り組んでしまう新しいゲーム体験デザインなどで知られた著名なゲームクリエイターである。
そんな芝村裕吏さんが、ハヤカワ文庫で、SFとして「仮想世界ゲーム物」を描くという、それだけで最初はわくわくしてしまったものだ。実際、世界観設定からして特異で、オンラインゲーム内に「進化」のシステムを埋め込み、ゲーム内速度を現実の100倍に設定した結果、人工生命G-LIFEがすごい速度で独自進化を遂げ、逆に現実へと無数の技術投与を行う状況になっている。この世界では、国家の技術向上が「いかに有用な進化を生み出す仮想世界を所持しているか」頼りになっており、もはやたかがゲームではなく「ゲームが現実を変革する」状態となっている。
1巻で物語は爺とAIの恋愛を主軸にしながらゲーム内で進行し、2巻では日本国首相を主人公とし、日本の技術的優位を生み出している〈セルフ・クラフト〉をいかに守るのか、他国へどう対抗していくのかがゲーム世界と共に描かれていく。3巻では2巻で起こった未曾有の事態への対抗を現実とゲームの側からまとめあげてみせる。
「爺さんらが恋に冒険にと活躍する」、爺さん小説であるのも本シリーズの特徴のひとつだ。『老人にとって現実は〈セルフ・クラフト〉に劣る』とは作中人物の言葉だが、元気な爺さんというのもひとつの時代性の反映である。あと、ゲームが現実を変革していくさまをここまでダイナミックに展開しているのはめったにない。昨今流行りの異世界転生/仮想世界物でも、基本的に分断されていて現実が関わってくるものは多くないからね(僕が知っている限りでは本作ほどの物は一作もない)。
3巻のあとがきではグレッグ・イーガンの『順列都市』への言及もあるが、イーガン作品が好きな人は琴線に触れるものがあるはず。会話が多い、わりとライトな作品でありながらも中で描かれていく技術描写/考察はずっしりと重いのだ。「仮想が現実を超えた時、何が起こるのか」というのを、本シリーズは見事に捉えてみせた。非常にSF的なテーマであり、同時に現代的なテーマであったと思う。傑作である。
というわけで下記には既読者向けのネタバレ感想を書いていくので、よろしく。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
人が地球から消えるのに、それほど長くはかからなかった。
『人が地球から消えるのに、それほど長くはかからなかった。』という衝撃的な2巻の1文の処理が、まさかヒトがヒトでなくなるという方向性だったのには驚いた。SFではよくあるネタなのだけど、本シリーズでそこまで行くとはまるで予想していなかったのだ。それでいて納得感はちゃんとある。3巻での文言は、『地球から人間が消えるのに、それほど長くは掛からなかった』で、「人間」が強調されている。
現実を救うために、ゲームを使う
壊滅状態になった地球/人類文明を、いかにして立て直すのか?
「よくできたゲームは、異世界と変わりがありません。〈セルフ・クラフト〉は日本が保有する異世界であり、異世界の特性を使えば日本を、あなたがたを救うことが可能です」
読み終えてみればこれ以外ないよな、というぐらいに見事な解決策。1巻から執拗と言うほどにゲームが現実を変革していく様を描いてきていたのだから、現実に危機があればゲームに──、現実とは違う「異世界」に助けを求めるのは当然であった。
異世界で得た技術は現実を変革し、現実はまた新たな異世界を生み、現実と異世界は相互作用で拡大を続けていく──。紹介ゾーンでイーガン作品好きな人は琴線に触れるよと書いたけど、コピーを〈セルフ・クラフト〉内につくりあげていく過程は『ゼンデギ』で、仮想世界まわりの話は『順列都市』で、現実の危機に対抗するために特殊な技法で危機をのりこえるための時間をかせぐというプロットは最新翻訳の『クロックワーク・ロケット』から『エターナル・フレイム』の系譜といえる。3部作にそのすべてを凝縮しているのが凄まじい(速すぎると批判も出そうだが)。
仮想が現実を超えた時、その成果を現実へと持ち帰ることによって現実はそれまでの現実以上のものとなって、さらに多用な仮想世界が広がり、それがまた現実の世界を広げていく──本作が示してみせたのは、そうした「仮想現実」の世界だったのだ。
「進化」の力
本シリーズにおいて、人間が直接的には関与しない、自然淘汰されて残る「進化」のシステムが技術的な革命を起こしていくのが、人間の意図を重視する姿勢を排除していておもしろい。3巻あとがきでも、『人間を複雑過ぎるものとして規定したいだけではないか疑惑』が持ち上がってきており、ゆえに人間は複雑な脳などの器官を用いなくても、その大部分の動きや処理を簡単に記述できるのではとしている。
直前に読んだマット・リドレーの『進化は万能である 人類・テクノロジー・宇宙の未来』は進化についての話で、今回SCWを読んで思想的に共鳴するところが多いように感じた。リドレーは芸術も科学的な発見も発明も、感染症が消滅しかかっているのも暴力が減っているのも「人間の意図やデザイン」の結果じゃなくて、「あらゆる物に作用する進化のシステム」が優れているだけなのでは? と主張してみせる。悪いことをしながら、良いことが進化するに任せるというのが、これまでずっと歴史の主要なテーマだった。
とは『進化は万能である』からの引用。ここでいう進化の具体的な説明は先日書いたHONZでの記事を読んでもらいたい。本シリーズには魅力的で強い個人が幾人も出て来るが、やはり個人の物語というよりかは、最終的にはこうした種から技術、文化とすべてに影響する「進化」の力そのものを、〈セルフ・クラフト〉を通すことで凝縮して描いた作品なんだということが最終巻を読んでの印象である。
また、このシリーズの展開は異常なまでに速いが、それも〈セルフ・クラフト〉の速度が速いことと関係しているだろう。展開が急なことに対して批判もあるかもしれないが、この速さは必然的なものであったといえる。
honz.jp
2桁の掛け算
翼は何度か「2ケタの掛け算を間違えているような気がして」と発言するが、これがなかなかおもしろい。ようは、「簡単なこと」だけど、これが出来なければ何事も始まりようがない「重要なこと」で、「簡単だけど間違えちゃいけない」ことなのだ。
ところが人間は時としてこの2ケタの掛け算を間違える。AIも間違えるんじゃないか? と翼はしきりに心配する。最後、翼が死の淵から復活し非人間になった時、『試しに二桁の掛け算をやってみると瞬間的に答えが頭の中に浮かび上がった。』という描写があるが、これなんかは人間が(すでに人間じゃないけど)、進化の末に小さな一歩を踏み出した瞬間というか、確固たる礎を築き上げた表現だろう。
おわりに
絢爛時代の話は「芝村裕吏だー行き着くところまで行き着いたな」という感想。
これまでコンスタントに早川から新作が出続けているので、次回作が早川からないってことはないと思うのだが、ここまでたどり着いてしまうと次作が一体何になるのか想像もつかない。絢爛時代を描くなり、世界間戦争を描くなりはできるんだろうか……。芝村裕吏さんは、マージナル・オペレーションや他作品も精力的に書いているが、今は何よりも早川からの新刊が待ち遠しい。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp