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ポストゲノム世界のための声明文──『遺伝子‐親密なる人類史‐』

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上

  • 作者: シッダールタムカジー,Siddhartha Mukherjee,仲野徹,田中文
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/02/06
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
遺伝子‐親密なる人類史‐ 下

遺伝子‐親密なる人類史‐ 下

  • 作者: シッダールタムカジー,Siddhartha Mukherjee,仲野徹,田中文
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/02/06
  • メディア: 単行本
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自身で臨床も行うがん研究者のシッダールタ・ムカジーによる『がん‐4000年の歴史‐』とかいうド名著がこの世にはあるわけだけれども、本書『遺伝子‐親密なる人類史‐』はそのムカジーによる新刊である。がんを深く掘っていけばそこには遺伝子(『「遺伝子」とは、遺伝の基礎単位であり、あらゆる生物情報の基本単位だ。』)がいるわけで、まさに正統後継作というか、よりパワーアップした一冊といえる。

『本書は、科学の歴史上最も強力かつ危険な概念のひとつである「遺伝子」の誕生と、成長と、未来についての物語である』と、ムカジーが引用部で「危険な」という形容を使っているように、人類史における”遺伝子”はその有用性でいっても飛び抜け、同時に強大な破壊力を有している。悪しき遺伝子を残さないようにする優生学は言わずもがな、遺伝子を操作が可能な時代へと突入しつつある我々現代人類は、自分自身を”どこまで変化させるのか”という問いかけにさらされているのだ。

ムキムキの犬をつくったり、ブタの遺伝子をヒト化して、育てた臓器を人間に移植することで異種間移植の技術も可能となるだろう。ヒトの胚に対する改変もすでに実施されている。遺伝子に起因する病気を治すことができる。なるほどなるほどけっこうなことだ。だが、たとえばあらかじめ頑強な身体や、知能に関連する部分を増強するといったことが可能になった場合、それはどこまで許容されるのだろうか?

本書で、ムカジーは『がん‐4000年の歴史‐』と同じくごくごく個人的な話──彼の親戚の叔父が躁うつ病や統合失調症を発症していること、双極性障害と統合失調症には強い遺伝的な関連があることの紹介からはじめ、遺伝学の歴史を語っていく。それはメンデルのエンドウ豆実験からはじまり、ダーウィンの進化論やナチスの暴挙などを経由し、DNAの発見、エピジェネティクスにES細胞、そして現代科学の最先端であるゲノム編集技術まで、遺伝子の科学的な発見・発展史だけでなくそれがヒトの社会にどのようなインパクトを与えてきた/いくのかまでが本書の射程の中にある。

マット・リドレーによる『フランシス・クリック: 遺伝暗号を発見した男』など、遺伝子関連の良書はたくさんあるが、本書はその中でも最良の部類の一冊だ。

遺伝子の歴史

遺伝子の話ってわりに地味なんだけど、本書ではきちんとした科学的な解説と、社会に与えた影響がセットで語られていくので、”遺伝子を解明する”ことの破壊性がよくわかる構成になっているのが良い。たとえばメンデルが交雑によって生み出される子孫の数学的な関係性を解き明かした、そのわずか62年後には、アメリカで優生学が蔓延し、裁判所の承認を経て精神障害患者への断種が行われることになったのだ。

DNAへの理解が進み、遺伝子改変が現実的になってきた時に行われ、遺伝学の転換点となったアシロマ会議の臨場感たっぷりの描写(『つまりわれわれは、遺伝子について考える段階を卒業し、遺伝子を使って考える段階へと進んだのだ。』)や、解明が進むと同時に立ち現れる無数の問題──「自分ががんになる確率が高いとわかった場合、ただ恐怖に打ち震えるしかないのか」、「ある種の統合失調症や双極性障害で特定された遺伝子の幾つかが、”ある種の能力を増大させてもいる”という遺伝子探査の限界について」など、無数の側面から遺伝子の歴史を描き出してみせる。

そして冒頭にも述べたとおりに”遺伝子改変後の世界”という未来について。自分、もしくは自分の子どもが”なんらかの病気になる”遺伝子を持っているとすれば、それを直したいという気持ちを抑えるのは難しい。それが手軽にできるようになってしまえば、そのあとに起こるのは”個人の選択”という大義名分によって推進される遺伝子管理だ。だが、その前に考慮しなければいけないことは山ほどある(先にも書いたとおり、ある種の欠陥が、同時に特異な能力に繋がっているケースなど)。

病気はしだいに世界から消えていくかもしれないが、それと同時に、アイデンティティも消えるだろう。悲しみは消えるかもしれないが、やさしさも消えるだろう。トラウマは消えるかもしれないが、歴史も消えるだろう。ミュータントはいなくなるが、人間の多様性もなくなるだろう。弱さはなくなるが、傷つきやすさもなくなるだろう。偶然は少なくなるが、選択の機会も避けがたく、少なくなるだろう。

おわりに

遺伝子を知ることが我々の”運命”を知ることなのだとするならば(病気や人格の形成などは遺伝子だけでなく環境との相互作用によって決まるが)、遺伝子改変は”我々はどのような存在であるべきなのか”の再定義へと繋がるだろう。

それをいかにして定義すべきなのか、その道筋はいまだ見つかっていないけれども、本書の終盤ではそうしたポストゲノム世界に向けた声明文として、まずは13個の基本的な教訓・原則が語られている。上下買うと5000円を軽く超えてきてけっこうなお値段がするけれども、遺伝学の歴史をまるごと手におさめ、しばらくはこの世界の道標となってくれる本なのだから、安いものだろう(と自分を納得させて買った)。

あわせて読みたい

ちなみにシッダールタ・ムカジーの近著ではTEDトークを元にしたTEDブックスブックスの『不確かな医学』が実体験を中心としつつ「医学の法則」をみつけ、解説していく一冊でさらっと読めてオモシロイのでこちらもオススメ。

不確かな医学 (TEDブックス)

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  • 作者: シッダールタ・ムカジー,野中大輔
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2018/01/16
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ゲノム編集技術に関しては『CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見』が詳しく、またそれがもたらす破壊的な効果がよくわかる。人体改変が現在どこまでいっているのかについての近著では『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』が網羅的で、素晴らしい。
CRISPR (クリスパー)  究極の遺伝子編集技術の発見

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  • メディア: 単行本
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Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で

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