基本読書

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押井守×笠井潔対談──『創造元年1968』

創造元年1968

創造元年1968

この二人にいったいどういう繋がりがあったんだっけか?? と思いながら読み始めたのだが、かつて一度対談をしたことがあること、笠井潔さんが1948年、押井守さんが1951年生まれと大体同世代であること以外にたいした繋がりはなかった。

ただ、重要なのは「大体同世代」なことである。中でも1968年あたりの政治運動/闘争をめぐる状況の中にいた経験は二人の中に強く残り、創作の動機にも反映されてきたなど世代だけでなく作品における共通点も多い。かつての対談時も、新作アニメ記念にも関わらず二人共〈68年〉をめぐる問題に終始したこともあり、今度は時間制限もなく〈68年〉論を徹底的に語ろうやということで本書ができたのだという。

単なる半世紀後の回顧談なんだろーかと最初こそ思うが、笠井潔さんによるまえがきでは『かつて廃墟の東京を欲望した想像力は、戦後社会がカタルシスなき廃墟と化した時代にもリアリティを保持しうるのか。かつての革新官僚の孫が再建しつつある権威主義的統制権力に、廃墟の想像力は根底から対抗しうるのか。こうした自問が、本書の底部では木霊しているはずだ。』と語っており、たぶん木霊しているとは思う。

たぶんというのは、権威主義的統制権力がどーとかさっぱりよくわからなかった/感じなかったからだが──まあ、二人の68年との距離の取り方、自分の内へどのように取り込んでいったのかについては理解できた。僕は二人とも作品が出たら読んだり読まなかったり程度のフォロワーだから、68年論をガッツリ楽しむというよりかは、それを発端とした二人の創作のルーツとその発展してきた過程を知り、「世代の実感」や「同世代ならではの視点」に触れられる対談として楽しませてもらった。

笠井×押井が語る小松左京論、光瀬龍論や、富野由悠季(特にガンダム)や宮﨑駿らを政治的観点から語るのも68年という問題設定あってこそのものだろう。現代(の若者語りやアニメ作品語り)語りについては、「明らかにおかしいか認識が10年ぐらいズレてるよな」と思うところが多いのだけれども(2006年ぐらいから情報が更新されてない感がある)、そのズレは自分の中にはないものなのでおもしろく感じる(二人とも理屈は明快に語るから、どこがどうズレているのかもわかりやすい)。

もっとガッツリ書こうかとも思ったけれども、ざっくばらんに語っていく本で話題(や疑問点)を一個一個取り上げていくとキリがないしこんなところでやめておこう。どちらにせよ二人、もしくは二人のうちどちらかのファンしか買わない本だろうし。