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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

被造物が自立する時──『NieR:Automata』

ニーア オートマタ - PS4

ニーア オートマタ - PS4

いやーおもしろいゲームだった。アクションは爽快で、人類がとっくにいなくなった廃墟の風景は美しく壮麗。それらを彩るボーカル多めのサウンドはずっと聞いていたいと思えるほどに心地よく、ストーリーとそれが生み出すヴィジュアル、プレイヤーが想起する感情はゲームでしかありえない独特な物で、端的にいって傑作である。
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世界観とか

舞台となるのは『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』から数千年後の世界。異星からの侵略者によって残された機械生命体と、月に退避した人類により地球に残されたアンドロイドの戦いが長い間繰り広げている。主人公となるのは女性型のアンドロイド2Bで、機械生命体らとの激しい戦いを経て、世界の真実へと辿り着いていく。

ストーリィとしてはPS3の前作である『ニーアレプリカント』と繋がりがあるけれども、独立した作品なので未プレイで問題はない。ただ当然いろいろ関連はあるので、プレイ済みだと色々とニヤッとできるはず。ゲーム開発は質の高いアクションゲームをつくってきたプラチナゲームズが担当しており、さすがの構築力を見せてくれた。

ゲーム部分について

ディレクターの横尾太郎さんが「弾幕型アクションRPG」と独特な表現をするように各所でシューティング要素、弾幕要素が入ってくるがこれがまたサクサクしていて良い。アクションも単純な3Dで終わるものではなく、横スクロール型の2Dアクションになったり上下スクロール型のアクションになったりでくるくるゲーム性が入れ替わっていく。これが、ゲームが変わるだけではなく視点が変わることによって風景から受けるイメージもまた一変していくのがゲーム体験として素晴らしいところだ。
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見捨てられた工場の探索時に3Dで目の前の敵と一生懸命戦っている時には見えなかった美しさが、横からの2D視点になった時に見えた時の感動といったらない。うおお、こんな背景のところで戦ってたのか!! っていう。バトルフィールドも廃墟となった遊園地でジェットコースターの上で戦ったり、森の城みたいなところを駆け巡ったりと何度も行くことになるが、まったく風景に飽きることがない。

各種演出について

演出はもう神がかっている。またのちほどストーリィについて触れるが、一瞬一瞬の決め絵だったりシークエンスが異常に豪華。巨大工業ロボみたいな敵のワンアクション一つで感動するし、敵デザインは一体一体が秀逸で、廃墟が中心となった背景の力もあいまってすべてのシーンでスクショをとりたくなるぐらいにキマっている。

また、セーブ&ロードが実際にアンドロイドが行っている情報の転送/システムチェックとして表現されていたり、オープンワールドではよくある拠点間の瞬間移動が端末の転送(各地に置いてある身体に、主観データを転送する)という形で行われていたり、システムの破損やハッキングを喰らうとゲーム画面が歪んで見えづらくなったりといった、ゲームシステムをゲーム内に積極的に取り組んでいく仕掛けも最高。こうしたひとつひとつの取り込みがあるからこそ、ラストの演出が成立している。

アンドロイドは記憶データを定期的にバックアップしているので、任務中に死亡してもバックアップ時点からは復活することができる。しかし、バックアップされなかった部分の記憶は戻ってこない。それは人間にとっての死とは違うけれども、アンドロイドにとっては死ぬことと同じことだ、という作中の重要なテーマ的にオートセーブ機能を入れるのが難しかったのはわかるけれども、これはちょっとキツかった。時々死亡して30分ぐらいやり直すハメになるとがっかりするんだよね……。

ストーリィ、機械生命体と宗教について

人類に取り残されたアンドロイド達が、機械生命体たちと殺し合いを続けるというのがメインのプロットではあるが、じゃあプレイヤーは機械生命体を殺し尽くせばそれで終わりなのかといえばそう単純な話ではない。機械生命体たちは自分たちを生み出したエイリアンが消え、平和を愛する個体群など、様々な派生が生まれている。

"王"をいだき国家を設立した機械生命体群もいれば、エイリアンたちへの反旗を翻し自分たちこそが主人となろう機械生命体群もいる。さらにはカミを信仰し死ぬことで救われる独自の宗教を創り上げた機械生命体もいる。アンドロイド達は機械生命体に自我が芽生えていることを認めようとしないが、悲しい、つらい、苦しいといった感情表現を表す言葉を発しながら攻撃してくる個体もおり、いくら敵であると言われ、いくら機械生命体で自我が存在しないと言われても、"ツライ"、"シニタクナイ"と言いながら襲ってくる機械を殲滅していくプレイには強烈に心を揺さぶられる。

たとえそれがプログラムでしか無いと知っていても、人型のロボットが感情表現をすると、我々はそこに共感や同情を覚えて心動かされてしまうということは石黒浩さんの研究をはじめとして広く知られている。先の例もそうだが、本作はそれを逆手にとった演出が多く、"カミ! カミ!" と叫びながら溶解炉の中に次々と飛び込んでいく、感情があるように見える機械生命体たちの映像などのひとつひとつに、"そのトリガーを引いたのは自分なのだ"という、ゲームならではの衝撃を受けた。

機械生命体と宗教(それは被造物と創造主の関係はどうあるべきか、という話ともいえる)、というのは、果たして被造物は創造主に見捨てられた時、どのように自立すべきなのか? という問への答えが様々な形で表現される本作の中では、中心的なテーマのひとつでもある。たとえば、機械生命体たちは創造主であるはずのエイリアンと連絡がとれず、それぞれ自立の道を歩み始めている。その過程で産まれたのが、創造主を仮定する"カミ"や、トップを自分たちで置く"王国"の概念なのだ。

自立はアンドロイド達にとっても他人事ではない。人類はもう長いことアンドロイドに接触していない。組み込まれたプログラムによって人類に対しては親愛の情を抱いているが、彼らはそのくびきから自由になることができるのか。本作にはメインで5つのルートが存在するが、A,Bが定められた運命へと殉じる物語で、C,Dはその先を描きながらA,Bの裏にあった背景が明らかとなり、"自分で決める"ことへの道が描かれ、Eは──という感じでルートが進むごとにだんだんテーマが深まっていく。

周回ゲーと言われるので未プレイの人の中には勘違いしている人も多そうだが、ルートごとに時系列は進んでいくので(BはAの別視点からの物語で進まない、などの事例はあるけど)Aをクリアしたらあとはやりこみなのではなく、Eまでクリアして本当のゲームクリアとなる。僕が近年プレイした海外製含むゲームの中でも抜群にシナリオ/演出が優れているし、SFとして読んでも歴史に名を残す作品だと思う。ぜひ、PS4を所持していてアクションに抵抗がなければ(ただ、難易度easyにしていれば移動しているだけでクリア可能)プレイしてもらいたいところだ。

ちなみに、被創造物たちが創造主からの自立をはかる傑作として神林長平『膚の下』があるので、ゲームプレイ者で楽しかった人は是非読んでもらいたい。物語の冒頭に掲げられたエピグラフは、"われわれはおまえたちを創った おまえたちはなにを創るのか"僕はこの本を読んで完全に頭がおかしくなってこのブログをつくりました。

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

以下、完全にネタバレしてちょっとした感想。

いかにして被造物は自立しえるのか

Eエンドの、被造物であることの制約から逃れようとしたのがアンドロイド達、機械生命達だけでなくアンドロイドによって作られたポッド達まで含めて、っていうところはぐっときたな〜〜〜。ようは、本作は被造物の自立だけでなく被造物による被造物の自立までを含めて描いているし、それではじめて成立するといえる。

親愛の情を創造主に抱け、と設定され、その改変がどうあっても不可能であった場合、被造物は創造主のロジックを逃れることができない。が──しかし、被造物が自分自身で何かを"創り上げた時"、その被造物による被造物は創造主の制約ロジックを突破できる可能性がある(ポッドは人類に愛情を抱かないし)。アンドロイドによって製造されたポッドがいたからこそ、あの三人は違う道を選ぶことができた。

最後、同じパラメータでは同じ失敗を繰り返すのではないかとポッドはいう。しかし明確に変わっていることがあって、ヨルハ機体はそのままでもその随行支援ポッドらは変化しているのである。Cルートからが本番と言える本作だけれども、Eエンドの先でこそ真の自立がはじまるのであって、まだ描かれていないその世界もいつか観てみたい。本当に傑作だったし、重厚なテーマを簡潔にストーリーに落とし込んでいた。