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情報理論のレンズを通して浮かび上がってくる生命像──『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く』

生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く

生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く

どのように生命が生まれたのか、というのは依然判明していない。地球や火星のような環境で有機物の発生シナリオ自体はいくつも存在するが、その真ん中に大きな断絶があって、どうしても生物にまでたどり着かない。本書『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く』は、その書名に入っているように「情報」をキイとして生命を読み解こうとする試みについての一冊である。未だそれは単なる有機物と生命の間の断絶を埋めるには至っていないが、生命そのものの見方を大きく変える視点である。

 情報が世界を実際に変える「起因」としてのパワーを持っていることを、科学者はようやく理解しはじめたばかりである。ごく最近になって、情報、エネルギー、熱、仕事を結びつける諸法則が生命体に適用され、DNAのレベルから、細胞の機能、神経科学や社会組織、さらには惑星レベルにまで当てはめられてきた。情報理論のレンズを通して浮かび上がってくる生命像は、解剖学的構造や生理機能を重視した従来の生物学の説明とは大きくかけ離れているのだ。

さあ、「情報」が何やら凄いのはわかったが、それはいったいどう、「生物」と関わっているのか? という話である。いくつか軸はあるのだが、本書における最初の中心的なテーマは『生命と非生命を分け隔てるのは、「情報」である。』である。凄そうだが、これはそう難しい話ではない。生物は繁殖をして増えるが、それは当然ながら前世代の「情報」が次世代へと受け継がれていくことなので、『したがって生物学的繁殖の本質は、継承可能な情報が複製されることだといえる。』ということだ。

それだけだと単なる現状の言い換えに過ぎないが、実際にはここから生物が行う様々な動作を情報を通して説明していくことになる。そもそも情報とは何かをシャノンの理論から解きほぐし、思考実験マクスウェルの悪魔とそれが現実に適用されてきた過程を説明し、生物がDNAを複製する際に行う情報操作がいかに驚異的なのか──と段階を踏んで、生命がもたらす高度な情報処理能力について解説していくことになる。重要なのは、生物の諸機能がいかに熱力学的に効率がよいのか、という視点だ。

というのも、この世界にはエントロピーは増大し続ける熱力学の第二法則があり、生物が局所的にでもそれに抗うため=廃熱によって自らを焼き殺さないためには、エントロピーのコストを減らし、生命の情報管理機構を超効率的にしなければ成り立たない。『もう分かったとおり、生命体は休むことを知らないマクスウェルの悪魔のようにがたがたと動く微小マシンを大量に持っていて、それによって生命は活動している。それらの微小マシンは、超効率的な巧妙な方法で情報を操作して、無秩序から秩序を生み出し、熱力学の第二法則による興ざめの制約を器用にかいくぐっている。』

人類はプログラムする要因して生物を改変することができるか

そうした記述を経て、本書は次のテーマ──生物とは単に「情報」が詰まったバッグではなく、情報処理機構である「コンピュータ」である──に移っていくことになる。ここでは論理学と数学的観点からの「生物」像が描かれていくが、おもしろいのはこれが行き着くところまで──細胞の回路図が解き明かされ、配線しなおすことができるようになったら──いったら、どうなっちゃうんだろう、という未来像だ。

たとえば、ボストン大学とスイス連邦工科大学によって開発されたBLADEと呼ばれる手法では、遺伝子発現の制御に利用できるとにらんでいる複雑な論理回路を作っている。これによって、既知の生物の回路を再配線できるようになれば、モジュールの誤動作や回路接続の切断など情報の取り扱いのミスに起因する病気(がんとか)は、細胞を破壊するのではなく配線し直すことで治療が可能になるかもしれない。

著者は、こうした情報生物学ともいえる分野は、コンピュータテクノロジーと同じ道をたどっているという。今はまだ生命の「機械語」に当たるゲノムが解読できるようになった直後に過ぎないが、これからは現代のエンジニアがRubyやPythonのような高レベルの言語を使ってコンピュータを操作するように、バイオエンジニアも生物、細胞をより高度なレベルで操作する言語を使うようになるのでは、と語るのだ。

細胞がたとえば、汲み出すプロトンの数を増やして膜電位を制御すると言った場合、遺伝子のコドンで書かれた「機械語」のコードを見てもたいしたことは分からない。一つの単位としての細胞は、もっとずっと高いレベルで動作して、物理的状態や情報の状態を管理し、複雑な制御メカニズムを発動させる。それらの制御プロセスは適当に進められるのではなく、ソフトウェアエンジニアが使う高レベルのコンピュータ言語と同じく、独自のルールに則っている。そして、ソフトウェアエンジニアが高度なコードをプログラムし直せるのと同じ要因、バイオエンジニアは生命システムのさらに精巧な特徴を設計し直せるだろう。

おわりに

と、だいぶ盛り上がってきたこれでもまだ本書全体の40%ほどを紹介したにすぎない。ここからさらに、生物におけるネットワーク理論、生物の形態形成における謎、がんや意識、自由意志といったものを情報生物学的観点からみた時の解釈──などに話題が果てしなく広がっていくことになるが、あまりにもカロリーが高いので紹介もこんなところで締めておこう。引用部をきちんと読んでくれた方には明らかなことかと思うが、非常に熱量の高い文章が全体を一貫しており、とにかくその情報量の密度が濃いこともあって読んでいて疲れるのだが、それだけ得るものも大きい一冊だ。