基本読書

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人類のアンインストール権を賭けた卓球勝負──『ピンポン』

ピンポン (エクス・リブリス)

ピンポン (エクス・リブリス)

『カステラ』が第1回日本翻訳大賞の大賞を受賞し、日本でも名の広まった韓国作家パク・ミンギュの邦訳新刊である。これがいってしまえばいじめられっこの中学生二人が卓球をしているだけの話なのだが(と書くと『ピンポン』という書名もあり松本大洋作品を思い出すかもしれないが──)、とんでもなく異常でおもしろい。

なにしろ、突然空から巨大なピンポン玉が降ってきて、いじめられっこ二人が、人類を消滅させる選択権を得る卓球勝負を、「ネズミ」と「鳥」とするはめになるのだから。何を言っているのかわからないと思うが、異質なことが説明もなくぽんぽんと投入されるので読んでいてもよくわからない。しかしそれを物語として成立させているのがその類稀なる文体で、いじめの問題や卓球台といった非常に身近なものの描写が、素早い切り返しで人類や世界全体の問題/基本原則の話へと接続されていき、局地的な話でありながら世界を読んでいるとしか言いようがない広さを獲得していく。

 世界とは、多数決だ。エアコンを作ったのも、いってみれば自動車を作ったのも、石油を掘ったのも、産業革命や世界大戦を起こしたのも、人類が月へ行ったのも、歩行ロボットを作ったのも、スペースシャトルがドッキングに成功したのも、すっ、すっと追い越していくあの街路樹たちがあの品種であの規格で、あの位置に植えられているのも、すべて多数の人がそう望みそう決めたからだ。誰かが人気の頂点に立つのも、誰かが投身自殺するのも、誰かが選出されるのも、何かに貢献するのも、実は多数決だ。つまるところそうなんだ。

いじめられるのも、多数決の結果なのだ。釘ととモアイと呼ばれる中学生の少年二人は、揃ってチスという少年とその手下たちにいじめられている。殴られ、蹴られ、もはやそれが当たり前になってしまって、拒絶することが考えられなくなっている。では、チスが全ての元凶なのか。そうではない、彼を取り巻くクラスの41人が、それを望んでいるんだ──これを語るのは当事者の釘だが、彼の目には自分がいじめられるクラス内の世界における仕組みが、人類全体の仕組みと重なってみえる。

 原っぱにむかって歩きながら僕はつぶやいた。何? モアイが聞いた。いじめにあうってことはさ……はじかれてるんじゃない、取り除かれてるってことなんだ。みんなから? ううん、人類にだよ。生きていくって、ほんとは、人類から取りはずされていくことなんだよね。

そんな二人は、原っぱのど真ん中に鎮座する卓球台に出会い、卓球をはじめ、『卓球台は、原っぱおよび全世界の集約、みたいな感じでそこにあった。』というように、彼らはそこで卓球をするうちに、世界そのものへの仕組み、世界の命運を支配する戦いへと近づいていくことになる。彼らに卓球の哲学と技術を教えるのは、ラケットを買いにいった店で出会った、卓球人を自称するセクラテンという謎の男だ。

世界はいつもジュースポイントなんだ

このセクラテンがまたとびきりイカれている。適応できないんです、とセクラテンに対して釘が苦悩を語るシーンがある。みんな結局自分のことしか言わないし、話を聞いたら誰も間違っていないし、60億もいる人間が、自分がなんで生きているのかわからないまま生きていること、それが許せないんですと語る釘に対して、セクラテンはめちゃくちゃな世界の真実、原子宇宙の生成原理を語ってみせる。

 黙らずに、僕は泣いた。全力で話した後って、すぐに虚しさと寂しさが押し寄せてくる。ちゃんと……聞いたよ。やがてセクラテンが低い声で言った。ねえ君、世界はいつもジュースポイントなんだ。この世界の初めから今まで、私はずうっとそれを見守ってきたんだよ。そして、とうてい数えきれないくらい多くの人に卓球を教えてきた。どっち側であれ、この退屈な試合の結果を導くためにね。だけどまだ勝負はついてないんだ。この世界は。


 それだから良いとも悪いとも、いえないんだよ。誰かが四〇万人のユダヤ人を虐殺すると思えば、また誰かが絶滅の危機に瀕しているザトウクジラを保護する。誰かがフェノールを含む排水を放流するかと思えば、また誰かが一兆ヘクタール以上の自然林を保存する。たとえば11対10のジュースポイントから11対11、そして11対12になったらしいぞ、っていう瞬間にまた12対12でバランスがとれちゃうんだね。これこそ退屈な観戦だよ。今この世界のポイントはどうなってるか、知ってるかい?
 1738345792629921 対 1738345792629920。間違いなくジュースポイントだ。

『原始宇宙の生成原理なんだ。今や卓球が残っているのはここ地球だけだ。よそではどこでも、「結果」による別の「結果」を目指して進行するようになって久しいが、ここでは……まだそこまでは行っていない。』セクラテンがこれを比喩として言っているのか、本当に世界の真実なのか──といったことは読み進めればわかるとして、それ以外にもこの世界には不可思議なことが多すぎる。今年の一年生には爬虫類の脳を持った子が入学してきた平然と語られるし、ハレー彗星がくると言われていたのに実際に地球に落ちてきたのは、月よりも巨大なピンポン玉だったりする。

地球に巨大なピンポン玉が落ちてきて、世界は卓球界となり、始まるのは卓球だ。選ばれた選手の一方は釘とモアイ、対峙するのは人類の代表。勝ち残ったほうが人類を現状維持のままか、アンインストールするかを選択することができる。前回地球では、恐竜による卓球の試合が行われ、勝った二頭のイグアナドンが自身らのアンインストールを選択し、めぐりめぐって現在の人類がインストールされたのだという。

おわりに

果たして釘とモアイは人類代表と卓球勝負で勝つことができるのか、仮に勝ったとして、いじめられ、多数決でいじめの標的とされ、人類から取り除かれた二人は、人類に対してどのような態度を取るのか。度重なるジュースポイントを重ねてきた世界のポイントは、どちらに傾くのか──第1回翻訳大賞をとった著者×訳者再びということで、異常なまでに魅力的な文体を知らしめたくてちと引用を大目にしてしまったが、文章に酔いしれているだけで(展開あってのものだが)あっという間に一冊読み切ってしまうだろう。ほんとに素晴らしいもんを読ませてもらいました。

カステラ

カステラ