基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

新しい現実を解読するための、新しい『1984』──『2084 世界の終わり』

2084 世界の終わり

2084 世界の終わり

本書はアルジェリアの作家ブアレム・サンサルによる7番目の長篇にして、日本では初めての邦訳書になる。また、その書名からもわかるとおりに、明確に『1984』を意識して書かれたディストピア小説でもある。『現実はもう、オーウェルの『1984』の説明では補いきれなくなっていました。』と語る著者が、新しい『1984』を描くために導入した世界観は「宗教が支配する全体国家」というもの。

現実はもう、オーウェルの『1984』の説明では補いきれなくなっていました。わたしたちが見ている全体主義的な幻想世界には、アラー、預言者、そして絶対に過ちなど犯さない聖人や代理人たちとちった新しい登場人物が、いつのまにか入り込んでいたのです。……わたしはすぐに感じました。わたしたちには新しい現実を解読するための新しい『1984』が必要だと*1

『服従』のウェルベックが絶賛したというが、それはそうだろうなという作品だ。神ヨラーとその代理人であるアビを信奉し、信仰によって国民を都合よく制御・制限する宗教国家アビスタンと、その中で暮らすうちに現状/国家への疑問を持つようになった主人公の"境界を探る旅"を描いていく。プロット自体はそこまで派手なわけではないが、淡々と描かれていく宗教国家の様相、段々とそのおかしさに気がついていく精神の描き方は繊細で、宗教が持つ力の大きさをまざまざと実感させてくれる。

それに加えて現在も文学作品が政府による検閲の対象であるというアルジェリアの状況と、"その状況下で書かれた小説"ということそれ自体が興味深い。アルジェリアでは作家の行動は自由ということになっているが、電話は盗聴されメディアは体制によってコントロールされているから、著者がイスラエルをブックフェアで訪問した際はメディアによるバッシングと、それに煽られた国民の怒りが彼に向かったという。

エッセイでは直接的な体制批判もしているというし、批判が禁じられているわけではないのだが、本書はディストピア小説を通した抵抗のようにも読める。

新しい現実を解読するための、新しい『1984』

大まかな世界観は先に説明したが、もう少し詳しく紹介してみよう。まず書名こそ2084年となっているが、これはアビスタンで信奉されている神の代理人アビの生誕年、もしくは啓示を受けた年とされ、舞台となる年代はさらにその後年である。

幾度も行われた"大聖戦"時の核使用によって大地は荒廃し、科学技術や科学的思考法の大半が国家からは失われ、現代で治療できる病気──たとえば肺結核などが治すこともできずに、療養中にみな死んでいったりする。主人公となるアディも結核を患いサナトリウムで日々を過ごすうちの一人であるが、ある時そこで国家には"境界"、つまり"国外"があるのだという噂話を聞いてしまう。

世界はヨラーとアビの庇護下にあり、国家の向こうには何もないのだと誰もが納得している。しかしアティはサナトリウムで考え続けていくうちに、境界があるとすれば、では境界の向こうには何があるのだろうか……? と考え、本来禁止されている居住区からの脱出を敢行する。世界の歴史を知るものとの接触を続けることで、だんだんとこの国家の虚無と、世界はもっと広いのだという単純な真実を知ってゆく。

 アティとコアは訳がわからない。驚いてお互いを見詰めあう。びくびくしているといった方が近い。ふたりは気づいたのだ。世界を発見するということは、複雑さの中に入っていくことだ。そして世界が謎や危険や死の潜む真っ暗な穴であると感づくことは、すなわち、真実の内には複雑さしか存在しておらず、目に見える世界や単純さはそれを隠すためのカモフラージュにすぎないと発見することなのだ。ならば理解するなんて不可能ということになる。なぜなら複雑さは理解しようとする者を必ずや最も魅力的な単純化へと導いて、それを阻止するからだ。

というのが大まかなストーリーラインである。アティは宗教が世界を説明する単純な説明を用意してくれていた世界からより複雑な世界に踏み込み、そうすることで疑問は疑問を呼び、「もっと先を、境界の外を見てみたい」と願うようになる。

『1984』パロディ

本書は書名が1984パロディなだけでなく露骨に1984ネタを使っていてそれがおもしろい。たとえばオーウェルは『1984』を結核を患いながら書いたし(アティも同様に結核から生還する)、サナトリウムの城砦の門には、なぜか「1984」と彫られている。体制組織である正義の同胞団によって用いられる『「服従とは信仰であり、信仰とは真実だ」』などのキーセンテンスもやっぱり1984を思い出すところだ。

他にも1984ネタは数多く取り入れられいて、最初はこういうの、無理してパロって入れているのかなと思いきや……とまあこんなところでやめておこう。この手の世界の真実が明らかになっていく系の物語って、不必要にもったいぶって世界の謎の大半が解明されなかったりするものだが、この一冊で少なくともアビスタンについて、情報的にはだいたいのところが開示されるので安心して読んで欲しいところだ。

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

*1:とは訳者あとがきから引用した著者の言葉である。