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『暴力の人類史』のピンカーが語る、理性と共感によって未来がより豊かになっていく根拠──『21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩』

21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩

21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩

この『21世紀の啓蒙』は、『暴力の人類史』で一躍その名を轟かせたスティーヴン・ピンカーによる啓蒙の啓蒙の書である。ピンカーのいうところの啓蒙主義は、『わたしたちは理性と共感によって人類の繁栄を促すことができる』ことに原則をおく。

そして、本書でピンカーは、これまで世界は一時的な停滞や後退こそあれど、全体的には理性や共感、科学にヒューマニズムで進歩してきたし、これからもするだろうという「啓蒙主義」が間違っていないのだと擁護・主張する(だから啓蒙の啓蒙の書なのだ)。だが、ピンカー自身が『二〇一〇年代後半は、進歩の歴史とその要因について本を出すのにいい時期だとは思えない。わたしがこの本を書いている今、わが国、アメリカ合衆国はこの時代を否定的に見る人によって導かれている』と述べているように、そうした進歩を認めたがらない勢力も、現代では非常に多い。

たとえば、「進歩しているって? いやそれはお前の思い過ごしだ。トランプが台頭し、差別主義が増え、戦争が起こり対立が深まって、気候変動は年々ひどくなり、破滅に向かっている一方だ!」と悲観的なことをいう人間が湧いてくるが、本書では上下巻、約800ページを通してなぜそうした言質が間違っているのかを、確かなデータや研究を根拠にし、幅広い分野にわたってていねていねていねいに説明していくことになる。それを読むと、トランプが大統領になって以後でさえも差別主義的傾向が減っていること、気候変動もかつてよりもマシな方へ向かっていることもよくわかる。

「わたしたちは理性と共感によって人類の繁栄を促すことができる」という啓蒙主義の原則は、あまりにも当然で、ありふれた、古くさいものに思えるかもしれない。だが実はそうではないとわたしは気づき、それでこの本を書くことにした。古くさいどころか、理性、科学、ヒューマニズム、進歩といった啓蒙主義の理念は、今かつてないほど強力な擁護を必要としている。わたしたちは啓蒙主義の恩恵に浴していながら、あまりにも慣れすぎてしまった。

人間はそもそもの認知機構の仕組みからして、ポジティブな情報よりもネガティブな情報が色濃く記憶に残りやすくなっているから、自殺者や殺人のニュースに反応して「年々治安が悪くなっている」と感じてしまうのも仕方がない側面もある。だが、人間はそうした本能を理性によって乗り越えることができるのだ、ということを本作では示していく。『暴力の人類史』よりもさらに広範な話題を深くほっていくこともあって、間違いなくピンカーの最高傑作といえる一冊だろう。

理性、科学、ヒューマニズム、進歩

ちなみに、副題に入っている理性、科学、ヒューマニズム、進歩とは何なのかといえば、啓蒙主義、啓蒙思想家たちの考えや運動を主要なテーマに分類したものである。

「理性」は客観性に裏打ちされ、物事を道理にのっとって考える力だ。「科学」によって人類は懐疑主義、可謬主義、開かれた議論、経験的検証といった「客観的事実を積み上げる」ことが可能になって魔女が嵐を呼び船を沈めることができるといった根拠のない迷信を信じることから開放された。続く「ヒューマニズム」は、部族、種族、国家、宗教よりも、個々の幸福を重視する考え方であり、宗教以外の道徳基盤となった。「進歩」は、ヒューマニズムという目標に向かって、理性と科学を用いることで人類が前進してきたし、これからもしていくとする考えである。

先に書いたように、こうした理念に反対する勢力も存在する。ロマン主義運動では「理性は感情と区別できる」「時代や地域を超えて通用する価値がある」「平和と繁栄こそ望ましい目標である」といった考えを否定した。宗教やナショナリズムは、道徳的善や集合体の栄光を人の幸福のうえに置くことでヒューマニズムとぶつかることが多い。また、現代文明は進歩を享受するどころか衰退の一途をたどっているとする衰退主義。科学が物語か神話の一つにすぎず、世界を良くする力がないどころか人種差別や世界大戦が科学のせいだという価値観を持つ「第二の文化」主義などなど。

 こうした事情から、啓蒙主義ヒューマニズムにはまるで人気がない。知識を使って人々をより幸福にすることが究極の善だという考えは、人々の興味をそそらない。「宇宙、惑星、生命、脳に関する奥深い説明? 魔法でも使ってみせてくれないかぎり、そんなものは信じられないな」「命を救い、病気を根絶し、飢えた人々に食料を提供する? もううんざり」(……)というわけである。

実際には「進歩」している。

だが、それが実際には進歩してるんだわーーーーと実証していくのが本書の第二部にあたる。たとえば啓蒙思想の興った18世紀後半移行、世界の平均寿命は30歳から71歳へと延び、恵まれた国では81歳まで延びた。18世紀当時は生まれた子供の3分の1が5歳の誕生日を迎えられなかったが、現代では世界の最貧困地域でも6%である。

人類史に絶えず付き添っていた壊滅的な飢饉も、今では世界からほぼ姿を消した。今日の富裕国の貧困層のほとんどは、食べ物も衣服も住む場所もあり、昔なら金がいくらあっても手に入らなかったスマホやエアコンを持っている。国家間の戦争はまれになり、現在の年間線死者数は1980年代の4分の1以下、70年代の7分の1、殺人発生率も世界的に減少している(アメリカ人が殺害される確率は20年前と比べて半分になる、世界全体でも減少傾向は緩やかだが18年前と比べて10分の7になった)。

民主国家の数は増し(世界の3分の2が採用)、女性に参政権についても20世紀が始まる頃世界で一カ国しかが認められていなかったが、これも状況は大きく変わった。日本を筆頭にまだまだ女性差別の傾向は強いが、それが問題になる、問題にしようという運動が起こりやすくなっており、状況は着実に変化している。世界では識字率や基礎教育を受ける率が100%に向かいつつある上に、環境問題も改善している(汚染物質の排出量は減少し、森林の伐採も原油の流出も減った)。環境に負荷をかける人口増加も2070年頃を境にゼロになり、今後はむしろ減少していくとみられている。

 メディアの見出しはぞっとするようなものばかりだが、そして数々の危機や崩壊、不祥事、伝染病、存亡に関わる驚異があるが、わたしたちはその克服をゆっくりと味わえばいい。啓蒙思想はきちんと機能している。この二世紀半のあいだ、人は人類のさらなる繁栄のために知識を活用してきた。

もちろん、だからといって我々はこの状況にあぐらをかいて座っていれば自動で環境が改善されたり、差別がなくなっていくわけではない。科学的な前進や議論や運動、法整備、規制、条約などの工夫しなければならない。が、それを行うために、我々は理性と科学でヒューマニズムという目標に向かって進歩していく、進歩できるのだと認識する必要があるのだ。『わたしたちが完璧な世界を手に入れることは決してないし、そんなものを求めるのは危険だと考えるべきだ。だが、わたしたちが人類の繁栄のために知識を使うことをやめないかぎり、人類の向上に限界はない。』

「そもそも豊かになっても幸福感は増えないんじゃない?」というところから幸福学の領域に踏み込んでいたり、バイオテロや核戦争などの「すべての進歩を台無しにする滅亡の危機」は防ぎえるのか? と考察したり、「進歩がこの先も続くと期待する根拠はあるのか?」など、単純に過去と比べて今は豊かになってるよね〜〜〜というだけではない議論が展開されていくのも魅力。上下巻の大著なので、じっくりと腰を据えて取り組んでもらいたい!

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上