基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

黄泉がえり/梶尾真治

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 映画の原作だったとは知らずに手にとって読んだ。映画は死者が蘇るという設定だけで、映画にありがちなお涙ちょうだい人情劇が繰り広げられるのだろうなぁと勝手に想像してげんなりしてしまったので観ていない。テレビでちょっとぐらいみたような気もするが。突然死者がよみがえってくるということで、てっきり筒井康隆ばかりのドタバタSFになるのではと思っていたのだが違っていた。どいつもこいつも死者が蘇って、びっくりはするのだけれど凄く自然に受け入れている。突然町に何かがあふれかえるというと、ブラウンの火星人ゴーホームを思い出すがあちらとは対照的である。この物語の奇跡というか、SF的な超常現象はいったい何のためにあったのだろうか。この奇跡のおかげでロマンチックな雰囲気が出てはいるのだがその代償になんともいえない後味を残していく。死者が蘇ることによって起こる様々な出来事をいろんな人の視点から追いかけるのは面白い。死者にしか許せないものごともあるし、死んだからこそ生きる素晴らしさを理解することができる。性善説がばりばり採用されているので、みんないい人という登場人物がダメな人間にはとことん合わない作品でもある。

 何故か読みやすくて500ページ近くあるのにあっというまに読んでしまった。また事態がなかなか進展しないのでやきもきしながら次はどうなるんだ次はどうなるんだとページをめくるはめに。とにかく最後はどうなるんだろうというぐいぐいと読んでいるこっちを牽引していくパワーに満ち溢れている。

 内容に入っていくと、前半部の人がよみがえった事によって各人の死生勧の変化(どうせ甦るならば苦しいおもいなどしなくて今死んでしまった方がいいなど)が非常に印象的である。さらに死んだ事によって生が素晴らしいものだと認識するその魅せ方がとてつもなくうまい。後半部、死者が消える瞬間を認識し、それと同時に大地震が起こるということが判明してからの活動の数々は、日本沈没に通じるところがある。誰もが自分を犠牲にして熊本を救おうとする''彼''がSFだからこその愛の形を教えてくれる。

 
 ちょっと気になったあれこれを
 1.六本松が突然死者の力によっていい人になってしまう。
 2.周平が愛の力で残ってしまう。そのせいで秀哉は玲子とお近づきになれるはずだったのにダメに。
 3.何故みんないい人になってしまったのか? トラブルも山ほど起こったはずなのに(再婚した女の人の所にも元の旦那が戻ってきて修羅場ったり、殺したはずのあいつが復活して警察に密告したり)それらの問題が全く書かれていないのは何故なのか?


 1.はなんともいえなくて、何で突然ゴミクズのようだった人間が死者の超パワーによって突然憑き物が落ちたのかという疑問が。しかもそれがさも良かったことのように書かれていて、六本松はこれまたマーチンの勘とかいうわけのわからん要素によって仕事を得て、離れていた娘や嫁とも和解できそうになってとても不気味なのだ。悪い人間を全否定しているではないか。イイ人間になるってことはこんなにすばらいしことなんですよ、と伝えてきているようでとても気持ちが悪い。人格を強制的に変化させてしまう恐ろしさとかそういったものはこの作品の中では全く語られることがない。良かったねで終わり。

 2.死者は甦らない。現実では絶対法則である。ただお話の中なら自由であるから死者がいきかえって、そのまま現世に居続けても何の問題もないではないか、とはならないのではないか。確かに一時生き返らせることによって生きることの素晴らしさをときつけることはSFの醍醐味だが、最後はあくまでも現実に立ち返ってこなければならないのではないか。でないといつまでも幻想の世界にとらわれることにならないだろうか。もっともそんなこと承知の上で周平を愛の力で残す展開にしたのだからそこにはそれなりの理由があるのだろう。

 3.しかしこれよく考えてみれば設定を見返せばわかるような気もする。なぜなら強く思われている人しか甦ってこないからだ。甦ったらまずいなぁ・・・という人間は絶対によみがえってこないだろう。だがたとえば再婚した女の人の所に元の旦那が戻ってくるという展開は、本書では実際にあった出来事としているが三人で仲良く暮らしていると意味不明な一文でフォローされていただけで、他の仲良く3人で暮らすわけにはいかなかったケースは紹介されない。強く思われている人しか甦ってこないから都合の悪い人はこないというのはあくまで一人の視点から見た場合であって、他の人が甦らせる可能性が当然あるからだ。だから殺した奴がいきかえっていて自殺だと判定された人間が犯人の名を告げに行く展開も当然ありえるはず。それでも本書の死者の一般傾向からすると、もう死ぬ前のことなんてどうだっていいと天使のごとき論理を展開して警察にはいかないだろう。徹頭徹尾、いい人間で溢れかえっているのだ。

 いったい、あの''黄泉がえり''という現象は、自分たちにとって何だったのだろう。ある日、突然に始まり、そして唐突に去ってしまった。しかし、理由は自分にわからなくても仕方がないことではないか。
 雅人にとっては、父との再会。そして、母にとっても素晴らしい時間であったはずだ。そして、黄泉がえった死者たちは、生者たちに何かを、もたらしてくれた。ある人にとっては癒しだったし、ある人にとっては赦しだった。ある人にとっては理解。
 そう、奇蹟のプレゼントだった。そう単純にとらえることが一番いいのではないか。

 この物語を一言で語るにはやはり奇蹟の一言がふさわしい。この本を読んだ人間が考えなければならないのは、この本が何を言っているかではなく、この本から自分たちがなにを受け取ったかである。あ、これはまったく関係ない話だけれども、SFマガジン梶尾真治エマノン最新作を書いていた。まだ続いていたのだな。感動した。