基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

オブ・ザ・ベースボール/円城塔

オブ・ザ・ベースボール

オブ・ザ・ベースボール

 いや、これはなかなか・・・。今までの短編の中じゃ一番わかりやすい。オブ・ザ・ベースボール。それはいつも出てくる計算関係の難解さが無かったせいだろう(作品自体はわけがわからないが)。この作品に出てくるものといえば理解不能な謎と、生身の人間が二人と、バットとユニフォームだけにすぎない。あくまでもここにあるものは現実と大差ない。理解不能なものはここでも理解不能なものとして書かれている。うん、つまり人が降ってくる現象のことだが。前半部はほぼすべて人が降ってくることについてごたごたと説明のような経過のようなようするにいかにこれが理解不能な現象であるかを延々と説明している。一つ疑問に思うのが、これだけぐだぐだと色々なことを細部にわたっていかにこの現象がわからないかについて説明しているのだが、何故レスキューチームがバットにユニフォームなのかを特に説明していない。中でもバットだ。救助するのにバットは必要ないだろうという問いが出てこない。そしてそこが面白いのである。最後のためてためて解決したあの壮快感はまさに野球で思いっきりスイングをした時の感覚だ。

 あーでもこーでもないという説明も当然円城塔らしくて面白いのだが、始まってからずっと気になっていたのはこの物語のオチのつけ方だった。正直いって謎だらけの本書である。まず人が降ってくる、まずこれが理解不能。何故かレスキューチームがユニフォームとバットを持っている。理解不能。誰も助けることができないのに毎日ニートのような生活を送っているレスキューチームの存在意義が謎。とにかく何から何まで謎だらけ。そして結局その謎は明かされることはない。本当に意味があるのかどうかすらもわからない。となればこれオチに期待するのが当然というものである。「俺」の独白で物語が進んでいくので、当然最後は「俺」がレスキューチーム始まって以来、初めてのレスキューを行うオチであることは疑いようのない事実だ。だが当然謎だらけの本書の上に、円城塔のことだから何をレスキューするのかさっぱりわからない。そう、円城塔だと何が来るのかわからないというこのわくわく感。円城塔にしか出せないわくわく感だろう。円城塔だったら本当に何でもありだ。何をといっても、人間が落ちてくる事はまず決まっている。それはこの短編の中の絶対的ルールだろう。それはまず外してこない。自由さが認められるためにはルール、不自由という概念がなければならない。さて、それがどうなるやらということである。そして落下者が落ちてくる。

 俺の使命は、落下者を打ち返すこと。

 落下者を発見してから「俺」がひたすら走りつづけ限界を超えて果ては自分の使命を自覚してあらゆる意味で無意味な行動をとることに何か意味があるのではないか。この無意味というのは何か重要な意味を持っているようでもあり、もっていないようでもある。この物語には意味がない。レスキューチームがバットを持って歩く意味がない。何故ならバットを持っていたところで落ちてくる人間を助けることはできないから。「俺」が落ちてくるやつを打ち返す意味もないが、しかしひとが落ちてくる現象があり、レスキューチームというユニフォームとバットを持ったチームが存在して、頑張ったら届きそうな場所に落下者がいるのならばそれは撃ち返さねばならない。それがバットの役割であり打者の役割だからだ。人生に意味はなく、人にあるのはそれぞれの役割だけなのではないかという意味で解釈した。

 オール。ライト。
 全ては正しく間違っている。
 カモン。

 何物にもとらわれない自由。老人が落ちてくるのならばそれは老人が落ちてくるという意味でもあるし、静止している老人に向かってこの宇宙が落下していくことでもある。世の中は一見ありとあらゆる法則に支配されているようで、その実見方をちょっと変えただけで法則は根底から覆される。

 俺の残したノートの頁を操ってみて、ここから先のことは記されていない。先のことは先のお楽しみという訳なのだろう。もしかして努力次第によって俺は墜落の運命を避けられるのかもしれないが、俺の直観はその見込みを否定している。俺はここから、それともそもそもの最初から、どうしようもなく落下を始めているのだろう。
 俺の手の中のノートの最後はこう締めくくられている。
 「オールライト。カモン」
 俺は見はるかしてどこまでも続きかねない道の上、規則正しく歩を踏み出しながら呟いてみる。
 「オールライト。カモン」

 人生は不条理なものであって、だれしもが生まれた瞬間から少しずつ死に始めている。人生には色々なことが起こるが、ここでの対抗策はオールライト。カモンだ。この世に起こる事は何もかもが正しくて、そして間違っている。ならば起こることに対して全て正しいとして、受け入れていくしかないのだろう。自分の死さえも当然のものとして、それがどこからともなく堕ちてきて、しかも何故か自分にバットで撃ち殺されるという不条理極まりないものだったとしても受け入れることが出来た瞬間に自分で自分を撃ち殺すことができるのだ。

 どう考えても題名はキャッチャーインザライ。

す・・・すげぇぜ。何がすげぇって今までで一番何が起こっているのかさっぱりわからなかったんだぜ・・・。文章がおかしくなってしまうくらいわけわかんなかったんだぜ・・・。この短編に関して言えばわからなかったことを列挙していくより、わかったことを列挙していったほうがよほど効率がいいぐらいだ。ということでその通りにする。
わかっていること一覧。
1.タイトルは「つぎの著者につづく」である。(たぶん)
2.書いている人間は円城塔である。(たぶん)
3.語り手は作家である。(かなり怪しい)
4.カオスである。(断言)
5.実際の世界というよりも概念空間の話のようだ。(適当)

やっぱりわかっていない・・・。特にラスト数ページは一体何が起こったんだろういうぐらいに理解不能で本当に日本語の文章を読んでいるのかどうか怪しくなった。頭の中に残った情報といえば上であげたような分かっていること一覧以外には皆無だ。自分なりの受け取り方をするのがこういう場合の対処法だと思っていたけれど、それにはまず言語を理解するところから始めなければならない。日本語の本を読むならば日本語を知っていなくてはならない。そしてこの短編に関して言えば言語を理解することができるのかどうか・・・・。うう・・なんか恐ろしくなってきた。

  • まとめ

 今までで一番わかりやすい短編と、一番わかりにくい短編がごっちゃになっている。いったい何故こんな一冊の本になってしまったのか。一冊の本を読んだというよりも、別々の本を読んだ感覚が強い。まるで別の作品(そりゃ当然)なのだがどう考えても円城塔にしか書けない、書かない内容なので統一感は取れている。しかし薄いなぁ。なんか寂しくなってしまうよ。いつかこんなノリで芥川賞をとってしまうのだろうか。その時はきっと、とてつもなく複雑な気持ちを抱くだろう。