円城塔先生によるどちらかというとわかりやすい作品。円城塔先生の作品はどれも好きだが、好き度はだいぶばらける。たとえば『これはペンです』『Self-Refrence ENGINE』は超傑作だと思うが『後藤さんのこと』は微妙だ。芥川賞受賞作も、『これはペンです』と比較すると一段落ちる(念を押しておくけど、客観的な完成度の話ではない。主観的な好き度の話です)
そういう意味で言えば、この『バナナ剝きには最適の日々』はだいたい中間より好き度が上よりだろうか。もう少し具体的に書くと、『烏有此譚』より上で『オブ・ザ・ベースボール』より下か同じぐらいだ(わかりづらい)。しかし改めてみるとあまり作品数多くない。ほとんど中短編集だ。
まあ置いといて。作品傾向としては異星人を何百年、下手したら何千年も一人っきりで探索し続ける無人探査機(矛盾が!)という真っ当なSFあり『バナナ剥きには最適の日々』。文章の自動生成についての論文のような小説のようなものあり『AUTOMATICA』。研究者小説とも読める、しかも珍しくちょっとしたロマンスも感じ取れる話があり『捧ぐ緑』。詩的な文章で一ページに収まったショートショートが15個集まった物あり『equal』。
と多種多様だ。おもちゃ箱のようで楽しい。特によかったのは表題作である『バナナ剥きには最適の日々』と『AUTOMATICA』かな。前者は宇宙でたった一人、悲しむことも怒ることも、悲しむべき出来事が起こったときはその記憶も抹消されてしまって、ただ何もない真っ白な気分だけを抱えて同じようにほぼ何もない宇宙を巡り続けるこの寂寥感が良い。
はやぶさでわけのわからない映画が大量生産されたりするのを見るに、無人探査機というものに、どうも人は感情移入しやすいようだ。無人探査機なんてそうはいっても僕の脇においてある本棚とか、もっと類似物で言うと冷蔵庫とかとあまり変わらないようにも思える。
しかし昔から「行きて帰りし物語」に代表される物語性を無人探査機は持っていて、ようするに人は「物語性」こそに「人間性」を仮託しているのかもしれないなと考える。冷蔵庫には冷蔵庫と関わってきた人との物語はともかく、冷蔵庫自体の物語性はないものな。
『AUTOMATICA』は文章の自動生成について語る話だ。普通に考えたら文章の自動生成について重要なのは「どれだけ有意味な文章を生み出し続けられるか」だと思うのだけど『AUTOMATICA』ではまた違った視点を設ける、これが面白い。最後の仕掛けもしゃれが聞いていて良かった。
他の作品、たとえば『エデン逆光』などは過去に一度読んだことがあるのだけど、今回読んでようやく何を言っているのかわかった。
円城塔先生の作品、最初はなんじゃこりゃー! 意味がわからん! といって最初から読むのを放り出しそうになるんだけど、うーんと少しだけじっくり取り組んで読もうとすると意外と「こういうことかなあ」っていう一応の読みができるようになって、面白い。と最近思えるようになってきた。
小説にも色々あるが、円城塔先生のような物を書く人は他にはいない(少なくとも僕は知らない。まあそれ以前の問題で、誰か何を書こうがそれはその人にしか書けないものになるんだけど。)。そういう絶対的なオリジナリティっていうのがあるから、ちょっとがんばって読んでみようかなという気にもなる。
他の人にもそこまでしろ、というわけではないが(そもそもじっくり考えないとよくわからないのは僕の頭が悪いせいでもある)、「意味がわからんー!」と投げだしてしまうのではなく、この「どちらかというとわかりやすい」短篇集で、円城塔作品へのとっかかりをつかんでおくのは悪くない。
今まで円城塔先生の作品を読んだことがない、あるいは諦めてしまった人も、ここから再度はじめてみたらどうか。
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/04/06
- メディア: 単行本
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