基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

五分後の世界/村上龍

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 そこで終わりかいな! と絶望的に突っ込んだ。続編があるのは知っていたけれど、そんな直接的な続編だったとは。上下とかじゃいかんかったんかいな。いや、それともこの物語はここで終わっているのかもしれない。続編は全然違う話でも、別に違和感はない。勝手に物語の結末を主人公が現世に帰る事だと思っていたけれど、最後に小田桐が時計を五分進めたことによってこの世界への順応を果たしたのだろう。要するにもう自分の世界に帰る事は目的ではなくなってしまったのだ。それならここで終わるのも頷ける。ちょっと調べてみたらやっぱり続編はこの話の続きじゃなかったようだ。納得。

 よく戦争の悲惨さを伝える媒体を見て、戦争がどんなにひどいものかよくわかった、戦争はいけないことだと思ったなんて言う事は簡単なのである。確かに一見すりゃ戦争は誰が見たってひどい。だがこの本を読んで、主人公が泥にまみれながら戦争をしているのを読んで、死というものになれていき口の中を蟻が這いまわっていても、考えることもできずに生き延びることだけを考えている状況を読んだとき、わかるはずもないのにわかるわかると思ってしまったのである。それは単純にわかったような気になっているだけだということもできるが、紛れもない描写の妙であり村上龍にしかできないレベルでの感情の、概念の伝え方であると感じた。主人公が戦争を受け入れていく過程がこれほどまでにわかりやすく書かれているものを始めて読んだ。実際正しいかどうか、わかるかどうかなんて関係なくて読んだ人間がどう思うか、いかに真に迫った感情を抱かせることが出来るかが重要なのだと読んでいて改めてわかった。

 こういう話には何か特殊な用語があてはめられているのかもしれないが残念ながら訊いた事が無い。こういう話というのはつまり、異世界に現代から人間が一人飛ばされてその世界で何とか生きて行こうとする話である。ファンタジー何かではよくあるし、架空戦記でもよくある。そういえば五分後の世界も歴史改編型の架空戦記である。普通こういった話で一般的なのは、現代にしか持っていない情報で、異世界においてのチートキャラとして活躍をするパターンだろう。だが五分後の世界では主人公はなんら特殊技能を持っていない。ただのAVを制作していたヤクザものである。科学技術を伝えることもできないし、戦争に参加することもできない。これはヒーローものではない。ただ単に現代の人間という目を通して、もし違う道を歩んだ日本があったとしたらそれはどういうものかを描写していく目だ、小田桐は。アメリカとの戦いにあくまでも屈せずに不屈の闘志で闘い続けている日本、物質的な豊かさとは無縁でも信じるものがあることの強さを示してくる日本人。今の日本とは全く別の日本を見せつけることによって、読者に危機感を誘発させる。ここに書かれているのはあくまでも別の日本の描写であって、目である小田桐は多くを語ったりはしない。可哀そうだ、とかこんな世界は間違っている、などとは言わない。

 ここから余談だらけ。日本沈没を彷彿とさせる紛れもない傑作であるのは事実なのだが、うーん。しかし一巻でまとめ上げようとするあまり説明が多かったりしてちょっと面倒くさかったような気がする。あと五分後の世界っていうタイトルからして、某ブラックキャットに出てきた未来をちょっとだけ見る事が出来るチートアイとかそっち系の超能力を持った人間が主人公の話かと思っていたら全然違ったなぁ。あとこの表紙、いったい何を表しているんだろうさっぱりわからん。何? 飛翔? 進化? 疑問点っていうか多分ちゃんと読んでないだけなんだろけど、小田桐ジョーは自分が出現したポイントに行ってどうやって元の世界に戻るつもりだったんだろうか。なんかの濃度が高くなっているっていう話だけど、そこに行ったら自動的に戻れるもんなのかなあ。あと司令部にとって何の得もない小田桐ジョー帰還作戦をサポートしてやるのはよくわからん。