基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

娯楽とテーマ、その幸福な両立──航路

傑作すぎて涙が止まらない。この数年読んだ中でも、これ程腰を据えて泣かせてくれた作品はなかった。 コニー・ウィリス “航路” - three million cheers. さんの書評を見て、へー面白そうだなーぐらいの軽い気持ちで手に取ったら、不意打ちとしか言いようがないパンチの重さに頭がくらくらした。ありがとうございます! わたし結構涙もろくて「犬が死んだ」と書いてあるだけの文を読んだだけですぐに泣いてしまうのだけれども、300ページもの間泣き続けたのは初めてですよ。3時間、もしくは4時間もの間、泣かせられて、しかも嫌な気持ちにならない。条件反射的に泣いてしまうと、大抵クソッと思うんですよ。テクニックも何もないのに泣いてしまった! って。だけど、この作品はもちろん違います。どんな立場の人間が、どんな状況で心境で年齢で読んでも、絶対に面白い。

ストーリーを簡単に紹介しておくと、臨死体験をテーマにしている。臨死体験とは、心停止などを起こし死にかけ、そこから復活した時に語る体験談のことである。その体験談にはある共通のパターンがあり、主人公のジョアンナはその医学的、科学的な解析を仕事にしている。ジョアンナとは対照的に臨死体験は神、あの世の証明であるという説を唱えて本を大々的に売り出している胡散くさい男、マンドレイクも出てきたりして、ジョアンナと対立する。ジョアンナがその研究過程で主にすることは、患者への聞き取り。臨死体験を起こした時に、その人が何を見たのかを出来るだけ、話を作ったりしてしまわないようにして聞きだす。しかしそれにも限界がある。患者の数には限りがあるし、マンドレイクによって「話をねつ造」されてしまうこともある。行き詰ってきたところでリチャードという研究者が、人工的に臨死体験を起こす機械を使って、一緒に研究しないかと言ってくる。ジョアンナはその提案に乗り、自分自身を実験台にしながらも「臨死体験のその先へ」辿りつこうとする。その道のり、航路が、本書全体のあらすじだ。

テーマ的なところにも触れておこう。ジョアンナとリチャードは、臨死体験という入口から『死と生』の謎を暴こうとする。この世に謎はたくさんあるけれど、もっとも大きな謎といえば死だ。なぜなら、死んだあとどうなるか、だれにもたしかなことはわからない。死んだ人は別にして。しかし、死んだ人はおしえられない。それでもわたし達は死に近いところにまで行くことはできて、そこまで行った人はギリギリでメッセージを残すことが出来る。届きそうで届かない場所から送られたメッセージ、その解読。そこから生まれるジリジリした感覚がこの作品の全編にわたっていて、『あとちょっとで届くかも知れない!!』そう思って、必死になってよみすすめることしかわたし達にはできない。そして、最後にジョアンナとリチャードはこの『航路』でちゃんと目的地へとたどり着く。その点については、絶対の安心を持ってもらっていい。

上下巻にわかれていて、合計800ページ以上にもなる本書はそのほとんどを、ジョアンナが臨死体験を研究する場面に費やしている。ジョアンナは臨死体験をした人々へ念入りに話を聞くのだけれども、正直にいってくれなかったり、まったく関係が無い話が延々と繰り返されたり、または話をまったくしてくれなかったりする。本書が異質なのは、そのまったく関係が無い話を全部小説として書いてしまうところにある。結果無駄に長くなっているようにも読めるのだが、実際にはわたし達はそれを読む/読み飛ばす ことによって「ジョアンナの心情」に強く感情移入することになる。この感情移入の仕掛けは本書においては随所にしかけられていて、たとえば「ジョアンナの一日を全部書く」のもそれにあたる。決して場面も時間も飛ばずに、一日一日ジョアンナの生活を書き続ける。そうか、そういう技もあるのかとびっくりした。こんな尺を取った演出、小説じゃないとできないだろう。事実、今挙げたような例に限らず本書は小説的な技法が凝らされていて、構成と共にずば抜けて優れている。

前半部で行われるやり取りが、ただ単に読者に感情移入させるためのものかといえばそんなことはない。なんてことはないように思えた単なる雑談、お話も、物語が進むごとに複雑に絡み合い、メタファーとして機能し、なんだろう、説明が難しいのだけれども、どこかの時点で『ひとかたまりになってぶつかってくる』その質量と、そこまでの蓄積があまりにも大きくて、思わず言葉を失ってしまう。わたし達はジョアンナを通じて臨死体験を経験し、さらにそこから突き抜けて『死』を経験する。ぶつかってくる何か、それはひと言でいうならば『死』であり、その答えである。蛇足だけれども、以下にネタバレ満載の名セリフ集を引用しておいた。

航路 上 (ヴィレッジブックス F ウ 3-1)

航路 上 (ヴィレッジブックス F ウ 3-1)

航路 下 (ヴィレッジブックス F ウ 3-2)

航路 下 (ヴィレッジブックス F ウ 3-2)

「ああ、くそっ」
──墜落機から回収されたフライトレコーダーに残る最期の言葉の最大多数

「死が船だってことがありうると思うかい?」
──トム・ストッパードの戯曲 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』より

「あしたの朝また会おう」
──ジョン・ジェイコブ・アスターの最期の言葉。タイタニックの救命ボートに花嫁を乗せて

「自分にこう言えたらどんなにすばらしいだろうとときどき思うことがある。『死はもう終わった。もう二度とあの体験に直面させられることはない』と」
──チャールズ・ドジスン(ルイス・キャロル)の死の直前の言葉

 「完璧なメタファーだ。処女航海の最中、どこからともなくとつぜん現れて立ちはだかる。すぐ近くに来るまで目に見えず、気がついた時には、針路を変えても避けられず、以前からずっと警告があったにもかかわらず、思いがけず襲ってくるもの」

 臨死体験は、死に対する防御ではない。その反対だ。まったくなんの防御もなく死と直面し、死にまつわるあらゆる恐怖の中で死を理解すること。ミスターマンドレイクやミセス・ダヴェンポートをはじめとするみんなが、光と親族と天使を選んだのも不思議はない。死の現実は、あまりにも恐ろしくて考えることもできないのだから。

 タイタニックの教訓は、望みがないとわかっていながらも人々が努力をやめなかったことだ。SOSを打電し、折り畳み式ボートを下ろすためにロープを切断し、下層デッキに下りて郵便を運び出し、犬を檻から逃がす──彼ら全員が、なにかを救おうと、だれかを救おうとしていた。自分を救うことができないとわかっていても。

 メイジーは帆布の下に潜り込み、そこで一瞬動きを止めて認識票を握りしめた。それから、うしろをふりかえった。
 「あなたがだれだか知ってる」とメイジーはいった。「ほんとはエメット・ケリーじゃないんでしょ。それはただのメタファー」
 ピエロは手袋をした人さし指を大きな白い口に当てて、しーっという身振りをした。
 「まっすぐヴィクトリー・ガーデンまで走るんだよ」
 メイジーは彼に笑顔を向けた。
 「だまされないもん。ほんとはだれなのか知ってるんだから」
 そういって、メイジーはせいいっぱいの速さで闇の中へと駈け出した。

 「子供が闇を恐れるように、人は死を恐れる。
 子供が闇に対して本能的に抱く恐怖は種々様々な物語によって増幅されるが、死についても同様のことが言える」──サー・フランシス・ベーコン

 死の謎は生の謎と表裏一体の関係にあるからです。タイタニック号の機関士たちは最後の瞬間まで船の明かりを灯しつづけようと奮闘し、世界貿易センタービルから脱出する最後のエレベーターの場所を若者に譲った老人は「わたしはもうじゅうぶん人生を生きたから」といい、ハートフォードのサーカス火事に居合わせた道化師たちは自分の命を危険にさらして子供たちを救い、ポンペイの灰の下から発掘された女性は、死から自分の子供を守ろうとするようにその体におおいかぶさっていました。
 死に直面した人々の勇気、自分の命が助からないとわかっているときでさえ、なにかを、だれかを救おうとする決意は、人間のもっともすばらしい特質であり、たぶんあらゆるものの中でもっとも大きな謎でしょう。──あとがきより