基本読書

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喜劇の大傑作──犬は勘定に入れません−あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎

話の枕

コニー・ウィリス作品を読んだのは『航路』に続いて二冊目。『航路』にて受けた衝撃が忘れられずに、即座に手を伸ばしたのがこの『犬は勘定に入れません』。

『航路』が「死」を真面目に扱ったテーマ性と、死の解明という謎で娯楽性の相乗効果を生みだした歴史に残る悲劇の大傑作であるならばこの『犬は勘定に入れません』は娯楽のための娯楽、喜劇の大傑作といっていい。犬は吠えまくり川に落ち、猫はその気まぐれさで人間をあわてさせ、とうの人間達はくっつくくっつかないラブだロマンスだシェイクスピアだとどったんばったんとせわしない。一挙手一投足にいたるまで笑いに満ちていて、そのセリフ回しはほとんど反則の、神域の傑作だ。

あらすじ

物語の舞台となっているのは時間を自由に飛べるようになった時代で、主人公であるネッド君はヴィクトリア朝の花瓶の行方を捜して空襲直後の大聖堂で瓦礫を漁っている。しかし目的の花瓶が、どこにあるのか全然見つからずに、時間を縦横無尽に飛びまくっていたら「タイムラグ」と呼ばれる、酒に酔ったような状態に陥ってしまう。

狂ったような状況になって、強制的に2057年へと戻されるネッド君。しかし2057年にはネッド君を死ぬほどこき使う存在であるレイディ・シュラプネルがおり、ネッド君に安息は訪れない。なので、ヴィクトリア朝で休ませてあげよう、とネッド君は急速を目的としてヴィクトリア朝に送り込まれる。物語における主人公には魔王を倒す、犯人をみつけるといった「目的」が必要なわけだけれども、ネッド君の場合のそれは「休息すること」だった──。もちろんこのお話でネッド君がゆっくり休息して終われる訳もなく、時空連続体の崩壊を招きかねない大事件へと巻き込まれていく。

キャラクタの魅力

本作にはネッド君の他にメインヒロインのヴェリティと呼ばれる少女も出てくるのだが、彼女の魅力がとにかく本作を特別なものにしている。頭は良くユーモアの絵sンスは抜群で、本格ミステリマニアで会話の端々にその比喩が現れる。

たとえば「あなたはピーター卿で、わたしはハリエットね」って。ピーター卿とハリエットは探偵もののシリーズに出てくる二人で、作中で結婚するんですよ。そういうたとえを持ってくるあたり、なんともいえないものがある。「謎を解くのがきみだけじゃないよ、シャーロック」とか「笑止千万!」とか、セリフがまた独特なのだ。

「犬は勘定にいれません」だけあって、犬や猫といった動物たちの描写も素晴らしい。たとえば、ブルドッグで、川に落ちて必死に犬かきをしながら、でも全然前に進んでなくて絶望的な顔を浮かべているところとか、げらげら笑った。そう、この作品、というか作者のコニー・ウィリスの特徴かもしれないけれど、「表情」に対する言及が多いのだ。犬の表情にまで言及する。それがすごく的確で、犬をキャラクターとして引き立たせている。小説で、絵ではない。だから、単に「笑顔」の表現をする場面で説得力を持たせるには「状況設定」の正しさが必要になる。たとえばこんな感じ

 「泳げない?」僕はぽかんとした。「犬はみんな泳げるんだと思ってた」
 「たしかに。『犬掻き』という言葉は、カニス・ファミリアリスが本能的に知っている泳ぎ方に由来する」とペディック教授
 「シリルだって泳ぎ方は知ってるんだよ」テレンスが靴下を脱ぎながら、「でも自分じゃ泳げないんだ。ブルドッグだから」
 どうやらそのとおりらしい。シリルはボートに向かって雄々しく犬掻きしているが、口と鼻はどちらも水面下にあり、その表情は絶望的に見えた。

レビュー

タイムトラベルが主軸になっている以上、SFなのはたしかにそうだが、魅力はそれだけではない。ヴィクトリア朝という未開の地を冒険する冒険小説でもあり、ミステリでもあり恋愛小説であり(とにかくみんな恋愛をしている)そして言うまでもなく歴史小説でもあり、それらが混然一体となったところにこの作品の面白さがある。

しかも、そうしたジャンルをただ愚直に実行しているというよりかは、時にメタ的な視点を持ってジャンルを茶化し、遊び、踊るように自由に動かしていく。盗み聞きをしているときに相手が都合よく自分の知りたいことを言ってくれるわけがないのだ、お話の中ならありにしても、とかそういうことを主人公自身が言ってしまう。

しかしそれが後半から、ミステリィのお話の定型にのっとり、ラブロマンスの定型にのっとり、冒険小説の定型にのっとっていく場面は笑うと同時に鳥肌が立つような感動を覚えるんですよ。お話の定型を一度否定して見せた上で、「Yes!」と肯定してのける。自分達が運命のレールに載せられていることを半ば自覚しつつ、しかしここで行われるのは運命の肯定。わたしたちの運命は細部から成り立っている。

バタフライ理論、日本のチョウチョの羽ばたきが地球の反対側で竜巻を生むように、歴史は猫一匹で変わってしまう。猫一匹、犬一匹も超重要なキーポイントになる、だからこそ本書の一番初めに引用されている言葉は『神は細部に宿る』なのである。細部にまでこだわった結果が、世界で「生きている」と実感させるキャラクター達、そして世界を生みだした。あまりにもよくできている物語のせいで、読み終えた時に、長い間一緒にいた友人と離れ離れになる時のような悲しさとを覚えてしまう。『神は細部に宿る』本書には、まさにうってつけの言葉であろう。以下は名言集とか笑ったところとかをネタバレ満載で引用

 「……ありえないことを除外していったあと、最後に残れば、どんなにありそうになくても、それが真実だ」──シャーロック・ホームズ(コナン・ドイル『四つの署名』より)

 「よく言われることだが、猫は猫であり、それについてはいかんともしがたいようだ」──P・G・ウッドハウス

 「それにルールがぜんぜんないみたいなの。あったとしても、だれもそんなのまもってないわ──それに、なんでもかんでも生きてるから、もうすっごくややこしいのよ」──ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』

 「僕が来てるってどうしてわかった?」
 「わたしの居場所を知ったら、きっと来てくれると思ったから」ヴェリティはこともなげにいった。

 それまで私の意見に異を唱えた人は誰もいませんでした。まわりの人たちはいつも私の意見を大目に見て、私が何を言っても同意してくれました。従姉のヴェリティだけは例外で、一度か二度、間違いを正してくれましたが、でもそれは彼女が独り身で、求婚者もいないせいだと思います。もっと魅力的に髪を結えるよう手を貸そうとしたのですが、可哀想に、あまり役に立ちませんでした
 「数少ない味方に後足で砂をかけるとは……」と、思わず小声でつぶやいた。
 「『こうして私が結婚した今なら、ヘンリーさんがヴェリティのことに気づいてくれるでしょう』」とミアリング夫人が朗読をつづけた。「『ヘンリーさんに彼女を薦めようとしたのですが、悲しい哉、彼の目には私しか映っていませんでした。二人はきっといいカップルになるでしょう。美男美女でも、聡明な組み合わせでもないにしろ、ぴったりの取り合わせですから』」
 「味方全員かよ」

 ここはもうめちゃくちゃ笑ったなあ・・・。最期の最期までほんとにイイキャラしてるんですよねえ。手紙っていうのは、泣かせるときの必殺技でもあるわけですが、笑わせるときも必殺技になりえるんですな。

 「ネッド」ヴェリティが緑がかった茶色の瞳をまんまるにしてあとずさった。
 「ハリエット」僕はすでに輝いているネットの中へとヴェリティを引き寄せた。
 そして、百六十九年間にわたるキスをした。

 ここは感極まったなああ。今までずっと笑わせておいて、シリアスになると「そして、百六十九年間にわたるキスをした。」なんてとんでもねーロマンティックをストレートに決めてくださる。ドストレートですよほんとに。150km! バッターアウト! って感じ。