いやーこれは良かった。『新書がベスト/小飼弾』の中の、「ちくまプリマー新書」の中のオススメとして挙げられていたので読んだのですが、わずか120P、1時間もかからないうちに読み終えることが出来るのも関わらずずっしりと重い。
面白かったのは『誰もが物語を作り出している』という部分と『小説にテーマは存在しない』という部分。
物語を生みだすのは作家だけだという認識が一般的かと思いますけれども、しかし日常生活の中で、私達はそれこそ日常的に物語を生みだしているのではないかと小川洋子さんは言って、それはいわれてみればなるほど、というものなんですよね。たとえば自分が父親の立場だとして、病気の息子がいるとする。しかしある時病気の息子は死んでしまい、その臓器が誰か別の人のところに移植され、最終的にこう納得する。「息子の命は間違いなく後世へと引き継がれていったんだ」。
現実を見据えて言えば、息子は死んでしまいました。しかし個人的な物語の中では、人の中、人の役にたって息子は生き続けている。そう考えることによって、事実がどうあるかに関わらず、安らぎを得ることが出来るでしょうし、納得することだってできるかもしれません。当然これは物語がもたらすいい例ですけれども、悪い例もあります。
たとえば、息子を実家へと帰る一人旅へと送りだしたとします。空港まで送っていき、飛行機に乗せ、降りたらおじーさんとおバーさんが迎えに来てくれるから楽なもんです。電車という案もありましたけれども、飛行機の方が早いし安全だろうと言う理由から飛行機を自分が選択する。しかし、その飛行機が事故にあってしまったら、その時悪いのは飛行機の整備をした人かもしれませんし、パイロットかもしれませんし、というかそもそもそういう複合的な要素が全て合わさって、そのような事態になってしまうわけです。
しかしその時実際に送りだした自分の立場からしてみれば、「自分が殺したんだ」という物語を導き出しても仕方がない。「パイロットが悪い」という物語を導き出すかもしれませんし、「整備士が悪い」かもしれません。どのような物語を導き出すにせよ、「誰かが悪い」と考えている以上苦しみ続けるでしょう。そう考えると、私達は誰もが日常的に物語を作りだしているのです。
そして『小説にテーマは存在しない』について。これも当たり前といえば当たり前の話なのですが、「一言で説明できるようなテーマなんてものがあるのなら、最初から一言で説明している」んですよね。本書には、こんなように書いている部分があります。
ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです。人間が悲しいと思ったときに心の中がどうなっているのかということは、ほんとうは言葉では表現できないものです。けれども、それを物語という器を使って言葉で表現しようとして挑戦し続けているのが小説なのです。
もちろん読者側としては、はい、と提示された物語を読んで、自分勝手に好きな意味を見つけ出せばいいわけです。むしろそこにこそ、物語の本領というものがあるのでしょう。一番最初に提示したような例がいい例で、自分にとって最良の形で、最良の物語を自分勝手に解釈すればいいのです。
であるならば、著者の側から「この作品のテーマは〜〜です」と明らかにしてしまうのは、あまり良い事であるとは言えないでしょう。もちろん世の中には色々な物語があって、啓蒙的な意味で書かれているものであれば自分から説明した方が良いこともあるのでしょうけれどね。
「物語」について書かれた本では、一番良い本でした。
- 作者: 小川洋子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/02
- メディア: 新書
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