基本読書

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現代語訳 武士道/新渡戸稲造

ちくま新書から、新渡戸稲造の武士道が新しく訳されて出ていた。内田樹先生が帯を書いていることもあってつい手に取ってしまう。特に期待していなかったがこれが面白い。「日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか」に対する答えが、この『武士道』になっている。つまり外国への日本文化の指南書であり、またこれまで「こういうものだ」と明確に規定されてこなかった武士道を改めて規定しようとする一冊である。

今竜馬伝が長編ドラマとしてテレビでやっているけれども、たぶん坂本竜馬がやったような明治維新に際して、腐敗しきった現状を一度ひっくり返して、新しく一からやっていこうとした竜馬のやり方を誰もが望んでいるのだろう。というか日本人は、「立ち戻るべき場所」を求めようとしているのだ。「こうやったらよい」という明確な方法がない状況で、「とにかくここまでは大丈夫だ」という指針、方針を求めている。そのモデルが坂本竜馬なのだろう。

本書は、明治維新を成功させ、さらには驚異の成長力を見せた理由として当然武士道を挙げているのだがしかしそれは多分こっちが望んでいるような形ではない。私たちが異常なまでの成長力を持って他国を真似して、いった原動力は確かに武士道なのだが、その中でも「名誉の回復」が特に重要だったのではないかと言うのだ。

武士道において一番重要視されるのがこの「名誉」である。武士は極端に名誉を傷つけられるのを恐れた。背中から攻撃するのは名誉を損なうこと、臆病者だと言われること、金を儲けること、数々の要素が名誉を傷つける物として挙げられる。そして大抵名誉を傷つけられたら武士は相手を斬らなくてはならなかった。そして相手を斬ったら当然自分も切腹しなければなかった。文字通り名誉を傷つけられるのは命がけだったのである。

そんな土壌がある中で、明治維新を起こして、その後爆発的な成長をしたのはこの「名誉」のせいだったのではないか、周りの国から圧倒的に武力でも文化でも引き離されていることに対する強烈な「恥」を感じる日本人の武士道こそが、人々を死に物狂いで駆り立てたのではないかというのが本書の主張である。『劣等国と見下されることを容認できない名誉の感覚、──それこそがもっとも強い動機であった。』(p.182)

つまり現代において坂本竜馬的な革命、または「方針なき時代に武士道に立ち返る」としても、それはかつてのような成長をもたらさないだろう。もはや日本は列強の仲間入りをし、劣等感を感じるほどの存在ではなくなってしまった。そもそも「武士道へ立ち返ろう」は本書の主張ではない。武士道は限定的な封建制の中でのみ存在しえた道徳であり、事実本書が書かれている1899年ころにはもうすでに消え始めていたそうだから。

しかし新渡戸稲造は、武士道は独立した倫理の掟としては消えるかもしれないと言いながも同時に滅びることはないだろうと書く。誰も武士道を持ちださなくなっても、教訓を教えるものがいなくなっても、人知れずして私たちの行動様式に強く影響を与え続けるだろうというのだ。たしかに本書に書かれた武士道の特質のほとんどは、今の日本人の特質に強く表れているように見える。

たとえば武士道においては忍耐が美徳とされ、その訓練によって物も言わずに耐えることが植え付けられた。そして目上の物、自分以外の人間への礼の教えが私たち自信の悲しみや苦痛を表に出すことで人の喜びや静穏を邪魔してはいけないと要求する。家族よりも主君を大事にしろと教えた忠義はそのまま会社への忠誠となって残っているし、名誉を重んじ恥を極端に恐れる精神性は今の日本にも残っているだろう。

往々にしてそのような日本人の精神性は美徳というよりかは欠点として計上されるけれども、武士道という観点から見直せばそれは美徳なのである。この『武士道』の主張はだから、「武士道に立ち返ろう」ではなく「現代のわれわれに残っている美徳を見直そう」というものではないだろうか。

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

現代語訳 武士道 (ちくま新書)