実は坂本龍一の事は名前と戦場のメリークリスマスっていう曲をどこかで耳にしたことがあるな〜〜というぐらいしか知らなかったのですが、タイトルの「音楽は自由にする」ていうのと本の表紙がかっちょよかったのでよんでみました。
本書の内容は氏の子供時代から、そして今までの自伝です。大半は思い出話みたいなものでファンでもない人間には大変つまらないんですが、なかにはやはり一流の音楽家らしく芸術について語っている面白い部分もあってそこは良かった。
ちなみにタイトルの「音楽は自由にする」は一読すると「何を? 誰が? 何が?」と思ってしまいますが、本書を読む限りでは氏の現在の音楽制作スタイルを表しているようです。「できるだけ手を加えず、操作したり組み立てたりせずに、ありのままの音をそっと並べて、じっくりと眺めてみる。そんなふうにして、ぼくの新しい音楽はできあがりつつあります。」(p.245.246)
で、一か所だけ付箋をはったところがあって、「音楽の限界、音楽の力」とだけ題された箇所です。そこが良かった部分なので少し長いですけれども引用/メモ.しておくことにします。
たとえば、今レバノンで戦争をしていますが、戦争で肉親が死んだとします。あるレバノン人の青年が、イスラエルの空爆で愛する妹を失ってしまう。そしてその青年が、悲痛な思いを、音楽にする。でもそれは、彼が音楽にしている時点で、どうしても音楽の世界のことになってしまって、妹の死そのものからは遠ざかっていく。
きっと文章でもそうでしょう。何かを文章にする時点で、文章としての良さ、文章としての美しさ、文章としての力、そういう、文章の世界に入っていかざるを得ない。(中略)
表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います(p.17.18)
そりゃあ、とある青年が戦争の悲痛な思いを音楽にしたからといってそれを聞いている人間にはそれを完全に理解することはできないですよな。それは当然。経験を全て別の物に移し替えることはできない。そこで行われる文章や音楽による抽象化、共同化というような過程は、たぶん現実に起こったことに対する比喩みたいなもんなんだろうな、とこれを読んでいたら思いました。
- 作者: 坂本龍一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/02/26
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 307回
- この商品を含むブログ (84件) を見る