基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス (新潮文庫)』

ストーリーをだいたい覚えていたので読んだことがあるのかと思っていたが、そうかディズニーのアニメで知っていただけか。僕はあのアニメ、たぶん小さい時に観たんだけど、とっても怖かったんですよね。もう、どの場面も恐怖の思い出とセットで記憶に格納されている。他の人はどうなんだろう? しかしまざまざと色々な場面が思い出せて、二十年近く前にみた映像なのにこれだけ記憶に残るのは凄い。

まずチェシャ猫が怖かった。笑顔だけが空中に残るなんて、恐ろしすぎる。あと現実が崩壊していくじゃないですか。おっきくなったりちっちゃくなったり。アリスに味方はいないし、両親も友だちもいない。それなのにやたらと首を切る! っていう怖い女王様が出てきたりして、もうほんとに怖かったもんな。顔が怖いんだよねーちょっと太ってるし。

だって、フラミンゴでハリネズミを打ったりするんだよ? 硬直してバットにされてるフラミンゴが可哀想で仕方なかったもん。とにかくあの現実感のない、理不尽な世界が怖かったなあ。

ただこうして初めて小説として読んでみると、原作自体はとてもコミカルなんですよね。首を切る! っていう女王様だって、アニメだとあんなに怖かったけど文で読むとギャグっぽい。結局誰もが「首を切ってやりました!!」といいながらもまったく切らないし、優しい。チェシャ猫もアリスにとっては怖い存在ではなくて、おしゃべりできるいい相手として描かれている。相変わらず消える時笑いの顔だけ残っていくけど。

理不尽で不可思議なことが起こり続けるのは、アニメの印象とそう変わりない。でもアリスがまたしっかりものだからなあ。それによくちゃんと考える子なんだよね。学校で習った知識を元にどうにかして理論を構築しようとするんだけどちっとも実際に覚えてなくて役に立たないところとか、無駄なんだけどがんばって自分の中にちゃんとした秩序を組み立てようとしていて可愛い。

認識の変革が何度も起こっちゃって(何しろ蛇になったりおっきくなったりちっちゃくなったりするもんだから)自分をなんていったらいいのかわからなくなって「女の子なんです」というところとか。そうか、いろいろかわってもそこだけは変わらないんだね、そこを本質として認識しているんだなと思ったりした。

あと随分辛辣なところもある。ふと入った家でコショウが蔓延していてみんなくしゃみしているところで虐待を受けている赤ちゃんがいる。そこから赤ちゃんを連れ出すんだけど、突然その赤ちゃんは最初は人間っぽかったのにいつのまにか子豚ちゃんになってしまっている。そんで子豚になったから逃がしちゃうんだけど、そこでこう言うんだなあ。

『あのまま育ったら、ずいぶんみにくい子になっただろうけれど、ブタとしてはわりあいかわいい方だと思うわ』そういってアリスは自分の知り合いでブタとしてならけっこう通用しそうな子どもたちのことを考え始めるんだけど、もうナチュラルにひどい。何一つ疑問を感じて、自己嫌悪に陥ったりしていないところがまたおかしい。

がんばって理性的に知識を総動員して考えようとするんだけど(穴に落ちてからずーーーーっと落ち続けているのでこのままだと地球の裏側にいっちゃうんじゃないかしら? とちゃんと考えるわけだ)まだろくな知識がないので考えることも出来ず、現実に起きていることを否定するのではなく受け入れるほかない。

コミカルな部分を強調してしまったけれど、アニメで観た恐怖という部分もしっかりとある。なんてったってただの少女が不可思議な世界にたった一人で立ち向かわなくちゃいけないのだ。孤独だし、意味不明なことは起こり続けるし。何かを飲めば身体が大きくなったり小さくなったりする。そうした恐怖と、一方で不可思議なことが起こり続けることへの好奇心・興味のバランスが、アリスというキャラクタを魅力的にしていると思う。

おかしな事件、不可思議な空想、認識は撹乱され何が正しいのかもわからない。ファンタジーよりもっと突飛なこの話はほとんど夢のようなものだ。でも悲しくて楽しく、物語として絶妙なバランスをとっている。そういう奇妙な夢だったし、だからこそこれだけ広く長く読み継がれてきたんだろう。

不思議の国のアリス (新潮文庫)

不思議の国のアリス (新潮文庫)