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スチームパンク×時間SF──『ねじまき男と機械の心』 by マーク・ホダー

ねじまき男と機械の心〈上〉 (大英帝国蒸気奇譚2) (創元海外SF叢書)

ねじまき男と機械の心〈上〉 (大英帝国蒸気奇譚2) (創元海外SF叢書)

ねじまき男と機械の心〈下〉 (大英帝国蒸気奇譚2) (創元海外SF叢書)

ねじまき男と機械の心〈下〉 (大英帝国蒸気奇譚2) (創元海外SF叢書)

優生学者が途方もない大きさまで育てた乗り物用のヤスデ、伝令用の犬、言葉を覚えて伝えるインコと異形の群れが跳梁跋扈する、我々のよく知る歴史とは決定的に分岐してしまっている19世紀のロンドンが舞台となる<<大英帝国蒸気奇譚>>シリーズの第二弾が本書『ねじまき男と機械の心』になる。一作目は同じく上下巻で『バネ足ジャックと時空の罠』があり、本作における歴史がなぜこうまで「本来あったもの」から逸脱してしまったのか、その原因ともいえる一連の騒動が語られる。

そう、時空は決定的に・誰かの仕業によって歪んで/変わってしまっているのであり、この時代の一部の人間はその事実を認識している=歴史とは幾筋ものパターンを持ちえるのだということを知ってしまっている。そんな世界だから、実は本書も時間SFに分類される作品だ。『ねじまき男と機械の心』という書名であるからには本書にはブリキでできたねじまき男が出てくるのであり、そこに心はあるのか、意識とは──といったなんか高尚っぽいテーマが展開されるかもしれないと思わせるし、実際ないわけではないけれどもメインはそこではない。

幽霊、神秘主義、予言者、洗脳、霊的なパウワー、蘇り操られる死霊や死者の大群とオカルティックな要素が乱れ飛び、同時に技術者、優生学者といった最先端技術を持った人間が機械人形やら遺伝子改変の化け物を無尽蔵に生み出し、革命による無政府状態化をもくろむ道楽者の集団がいて──と、様々な思想信条を持った集団が自分たちに都合のいいように運命を/歴史を書き換えんと世界をカタストロフへと叩き込んでいく圧倒的なカオス、それこそが本書の魅力だ。

オカルトvs科学という単純な構図でもなく、神秘主義的な瞑想と技術者の武器を手に霊的な力を持つ予言者との戦いに赴くなどオカルト+カルト科学vsオカルト+カルト科学とむちゃくちゃな様相を呈してくる。もちろん本書は歴史が変わって入るとはいえ19世紀のロンドンであり、著名な人間はこの世界にもきちんと生きていることがわかっている。ただでさえ異なる歴史を描いているにも関わらず、物語が進むたびにさらに大きな分岐を迎え歴史が大きなうねりに巻き込まれていくのがたまらなく面白い。

簡単なあらすじ

物語は前作同様、王の密偵バートンの元へ事件の種が持ち込まれることから始まる。謎の機械仕掛の男が広場にたっており、いったいこいつはなんなんだ、バートンくんちょっとみてくれたまえよと警官に呼び出されてきたのだ。機械の男はネジ巻きで動くようになっており、どうやら先程までは動いていたようなので、ネジを巻いてやれば途端に動き出すことになる。ところがその騒動の影で、大きな力を持つという黒ダイヤ<ナーガの目>が盗まれてしまい、ダイヤを巡るバートンの冒険が始まる──。

と、基本的なあらすじ/プロット自体にそこまで特徴的なところはなく、ただ強大な力を持ったアイテムを巡る物語なのだがその過程でつい先程書いたようにオカルティックな要素が乱立し、同時に技術者集団、その一部の派閥で無茶苦茶な思想と科学実験で世界に新しい技術を提供し続ける優生学者らといった魅力的な要素が世界に立ち上がってくる。面白いのは、予言者も技術者も道楽者もそれぞれ「科学的な発展に傾注する」とか「革命で無政府状態を目指す」とかそれぞれ「極端すぎる思想」が与えられていることだろう。普通人間はそんなに割り切れねえだろというところをいとも簡単にフルアクセルを踏んで突撃してくるのでこの世界はいつだって崩壊一歩手前だ。

たとえば下記に引用するのは優生学者がアイルランド大飢饉を終わらせようとして行った所業である。

 優生学者たちは植物学者のリチャード・スプルースと研究を重ね、特別に改良した種子を十二の試験場で育てていた。それらの種子は数時間以内に発芽し、予想もしなかったほど急速に成長して、二週間以内に完全に生育した。四月の終わりまでに、花が咲いて受粉した。五月中には、種子や胞子が国のほぼ全域に広がり、七月のはじめまでには、海岸から反対の海岸まで、アイルランド島はジャングルと化した。
 うまい説明はつかないながら、植物の繁茂は島内だけにとどまっていた。ほかの場所ではこの種子は発芽しなかった。これは思いがけない幸運だった。というのも、優生学者のほかのどの実験もそうであるように、改変には予想外の副作用がともなっていたからだ。
 新たに開発された植物は肉食性だった。
 この実験はまさしく大惨事となった。
 六月から七月にかけて、アイルランド全域で一万五千人以上が犠牲となった。毒性の棘が人間に発射され、巻きひげが人を絞め殺し、酸性の受益が肉を灼き、花が有毒なガスを発し、根が人体を突き刺して血を吸った。

こうしてアイルランドは人の住めない地になりましたとさ。ザ・地獄絵図。こんなことを平然とやらかして一切悪びれもしない集団がいて、しかもそれに対向するように霊能力者や予言者がそこら中に存在しているのだからこの世界の住人からしてみればたまったもんじゃない。しかも移動にわざわざド気持ち悪いヤスデに乗らないといけないのだ。こんな世界には行きたくない。

 異様な乗り物が、くねりながら次の角から姿をあらわした。彼らの方に猛スピードでやってくる。それはヤスデだった──本物の昆虫だ──優生学者が途方もない大きさまで育てたものだった。充分な大きさに成長させると、それを殺して、死骸を工学者の仲間に受け渡す。彼らが、体節で区分けされた細長い筒状の胴体の上半分を切り取る。中身は取り除いて、固い外側の殻だけが残ると、そこに蒸気駆動のエンジンを搭載して、たくさんの脚がそれで動くようにする。それぞれの体節の上に板をボルトで留めて座席を固定し、その上に死骸の上半分に似せた、アーチ状の天蓋をかぶせる。運転手は車の先頭の、頭の甲殻をくり抜いてしつらえた椅子に坐る。そしてこの驚くべき乗り物を制御する長いレバーひと組を巧みにあやつっていた。

このような異様な描写をきちんと随所でやってくれるおかげで、世界観への厚みが増し、歴史改変テーマのことの重大さ/恐ろしさ/面白さが際立ってくる。無茶苦茶な人間や昆虫が跳梁跋扈する世界だからこそ、運命を自分で切り開くために/他人の都合のいい歴史を展開させない為に戦いに赴くバートンの活躍は盛り上がるのだ。敵がオカルトで攻めてくるのならばバートンは神秘主義で立ち向かい、敵が優生学者の武器を使って仕掛けてくるのなら技術者の武器を使って抵抗する。これこそがまさに総合格闘技というものだ(それはどうなんだ)。

さいごに

僕は第一巻を読んだときはそこまでハマらなかったのだが(記事も書いていない)、二巻はずいぶんと惹きこまれてしまった。ちなみに、話自体は各巻きちんと完結しているので別段本書から読み始めても問題はないと思う。ただ前回の事件については当然ネタが割れてしまうし、「この世界がどのように我々の世界から分岐しているのか」についてけっこう大きなネタ/驚きが隠されているところもあるのでそういうのを気にする場合はきちんと第一巻から読んだほうがいいだろう。

バネ足ジャックと時空の罠〈上〉 (大英帝国蒸気奇譚1) (創元海外SF叢書)

バネ足ジャックと時空の罠〈上〉 (大英帝国蒸気奇譚1) (創元海外SF叢書)

バネ足ジャックと時空の罠〈下〉 (大英帝国蒸気奇譚1) (創元海外SF叢書)

バネ足ジャックと時空の罠〈下〉 (大英帝国蒸気奇譚1) (創元海外SF叢書)