先日TOHOシネマズにいったらチケットを売る6,7人の店員たちが1人を残して全員消えていた。
それでチケットが買えなかった……わけではなく全部、自動券売機になっていたのだった。いちおう人間も一人は残っていて、その担当の人だけが唯一チケットを売っている人間で、あとは全部システムに置き換わってしまっていたわけだった。みな特に違和感なく買っていて、僕は「どんどん人間がいなくなるなあ」と感慨深く思いながらチケットを自動券売機から買った。
システムが人間の労働を奪っていて雇用がなくなってきていることなど完全に当たり前、大前提の話だと思っていたのでアメリカの失業問題を論じるときに「ソフトウェア技術」が雇用を減らしている問題のうちの主要なひとつであるという論調がないことに驚いた。むしろ傍流の考え方だそうだ。え、マジで?
本書の説明を鵜呑みにするならば、どうやらマジらしい。失業問題について、専門家によると説明は大きく3つにわけられるという。1つは景気循環説。今はただ単に景気が悪いだけであって、景気がこれからもっとよくなったら職も当然増えるよとする。2つめは停滞説で、経済を進歩させるようなイノベーションが起きなくなってきたせいだとする。
またこれの変種にインドや中国などの今までは主要経済の蚊帳の外扱いだった国がどんどん参入してきており、なおかつグローバル化にともなって賃金や労働機会がならされてしまって、ようは競争がフラットになった結果だとする考え方もある。この考え方の場合いつかはどこかの水準で止まるだろうということになる。
そして3つめが本書で主張を推し進めていく「テクノロジーに人間が置き換えられたんだよ派」である。農業においてトラクターが導入されて馬が農業から消えたように、テクノロジーが現れたことによって人間が労働環境から消えるだろうというのだ。
かつて有名なラッダイト運動(機械が労働機会を奪うとして破壊活動に勤しんだ)のとき経済学者たちは、「機械によって既存の仕事はなくなるが、新しい仕事がその分生まれるのだ、だから失業を心配する必要はない」といって、たしかにそれは、その時は正しかった。自動車の登場で人力車も馬もほぼ消失したがその代りタクシーやバスといった業種に置き換わっていったように、ある仕事がなくなってもある仕事が新たに起こってきたわけだった。
それにしてもコンピュータがいかに人間の労働を置き換えてきたかを述べる前にアメリカの職の状況が大雑把に語られるのだけどこれがまたけっこうたいへんだ。アメリカの経済は2011年7月で11万7000の雇用を創出したといったそうだが、移民などを含めた人口の伸びにはまったく追いつかず、2007年から始まる不況で失業した1200万人の雇用を賄うにも全く足りない。
経済学者の試算によると月に20万8000件のペースにたっしても大不況から発生した労働市場の需給キャップが埋まるのが2023年になるという。2011年7月時のほぼ倍であって、そんなんどーしろってんねんといったところだろうな。そして今や再び景気は上がり始めたというのに雇用状況は改善されない。けっこう参っているみたい。
またアメリカの国民一人当たりGDPは不況時にガクっと下がったものの、その後着々と増え続けているにも関わらず実質中央値は逆にがしがし下がっている。中央値とはなにかといえば、年収300、400、500、600、700、800、900、4億の人間がそれぞれいたとしたら平均年収はだいたい5000万になってしまうが、中央値だとだいたい600万だね、みたいなそんな感じだ。ようは単純に真ん中の650万ぐらいだね、となる。
ようは富の総量としては増えていっているが、中間層はどんどん貧乏になっている。富の一極集中が起こって、格差ががしがし広がっているわけだ。日本なんか目じゃないぐらいに圧倒的にこれは起こっていることで、正直日本で産まれてよかった、と感謝してしまう。まあ日本もすぐ後を追うだろうけれど。『端的に言って、中間層の労働者はテクノロジーとの競争に負けつつある』
これについては面白い仮説が提示されている。コンピュータが仕事をうばっていくにあたって、奪われずに人間の方が勝っているのは「肉体労働の分野である」というのだ。階段を登るという単純な動作ひとつとればうまくこなす機械はいるが、階段をのぼって物を運びテーブルを拭いたり外を掃いたり庭を綺麗にしたりといった雑多な仕事の数々は機械にはまだ苦手な分野なのである。
そして当然まだまだ知的かつ創造的かつ高度な技術を必要とするような分野はまだコンピュータに置き換えられてはいない。そこで肉体労働をするわけでもなく、かといって高度な技術を有するわけでもない人たちの所得ががしがし下がっているのではないか、といったところだろう。ふうむなるほど。
この原因になっていることとして、コンピュータが人間を置き換えているのはその前提になっているのだが、もう少し踏み込んだ意見として「コンピュータの進化が早すぎるからだ」としている。コンピュータの進化が早すぎて、企業も人間の能力も追いつかず、けっきょく「取り残されて」しまったのだという。
本書では「コンピュータが仕事を奪い去っていく世界でも楽観的になれる」として、今後どうしたらいいのかの提言を行なっているがその骨子にあたるのは「人間が、機械を、使う」ということになる。とにかく人間に高度な教育を施して、機械を制御させる。それこそが人間の生き残る道だ、ということになる。それはスキル面での話もそうだし、社会制度や産業構造の話でもある。
コンピュータが人間の能力を置き換えていくんだったら、置き換えられない人間の能力を磨いていって、勝負するしか無い。その為に教育に投資し、移民やビザの取得を絞り、ギャップを埋めていかなければいけない。この結論はもっとずっと前、人間の能力を道具で置き換えていた頃から変わらない事実なわけであまり新しくない。
そして実際には今起こっている問題とは「そんなものはもうなくなってしまうんじゃないか」ということではないだろうかと僕はひとつ疑問に思う。
みな「何としても人間は働かなくてはいけない」という大前提にたって機械によって置き換えられていく仕事をみているが、「働かなくてもみんなが持続的に生きていける社会を構築できるのだったらそれが最善」だということを忘れているようにも思える。人間が目指すのは永遠に働ける社会ではなく、「いかにして労働などという無粋なものを人間から外すか」ではないか。
そういう意味で言うと、ちょっと中途半端なところもあるけど、でもわずか150ページの本としては内容が詰まっていて、主張は明確で、たいへん素晴らしい一冊だった。こちらもオススメ⇒はじめにコマンド・ラインがあった『チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来』 - 基本読書
- 作者: エリク・ブリニョルフソン,アンドリュー・マカフィー,村井章子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
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