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『戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)』梶井厚志

ゲーム理論の入門書といった位置づけの本書だが、半分以上は行動経済学の分野の解説になっている。どちらについてもたいへん有効な一冊で、共通しているのは現実の設定を抽象化および単純化し、わかりやすい関係を抜き出して戦略を立てる為の思考法を教えてくれる。こういうのを一冊読んでいると人間の行動への見方とか、自分の行動戦略といったものが一変すると思う。普通に生きていたらなかなか見えてこない、まったく違った角度からの「視点」を提供してくれるからだ。

たとえば「人の行動はインセンティブによってわかる」という考え方が経済学にはある。『ヤバい経済学』の著者は、インセンティブを理解することが、どんな問題もほとんど解決できる鍵になるとまで言い切っている。インセンティブとは動機づけ、誘因などと訳されることが多いけれど、ようは「行動を起こす理由」のようなものだ。これを理解することで人間の行動への理解があっというまにクリアになる。

空き缶の投げ捨て、タバコのポイ捨てはよく問題になるが、そんなことをする人間は絶対悪なのだろうか? そういう人もいるだろう。怒る人もいる。しかしシンガポールの街中にはゴミが落ちていることがまれであるという(聞いただけだから実際に見たわけではないが)。それならばシンガポールは善人ばかりかといえばそんなことはない。ただシンガポールでは、ごみを捨てたのが見つかるとかなりキツイ罰則があるのだ。

他にもこんな例がある。アメリカで導入された一発勝負のテストは、学習のレベルが上がるし生徒にも勉強するインセンティブが与えられるということで設定された制度のひとつだ。出来の悪いやつが進級しなくなれば上で良い生徒の邪魔もしなくなる。しかしテストに回数制限がある限り生徒には「ズルをする」インセンティブがある。そしてこのテストの導入に依って、生徒の点が悪かった場合「教師もペナルティを受ける」ようになった。

生徒の点が悪かった場合、先生は監視されたり昇給や昇進が遅れたりする。逆に生徒がいい成績をとると、先生は昇給だ。当然、褒められる。そうすると必然的に、先生はズルをするインセンティブがかなり強く与えられることになる。バレないように生徒に答えを教えて、落第者を出さず点数をわざととらせてやれば、自分にとってもハッピーだ。

インセンティブが人間の行動を決めている。なれば、インセンティブの構造を変えてやることによって人の行動を変えてやることもできる。むしろ、インセンティブの構造を変えなければ、変えられないといってもいいぐらいだ。これには幾つもの技術、手管がある。「ご褒美をあげるから」といって餌でつったり、あるいは罰でつったり。でも最適なバランスは都度都度違っていて、設計は念入りにやらなければならない。

その為の手段が本書にはいろいろ載っている。たとえばコミットメントは自分の将来の行動をあらかじめ表明しておくことだ。店に予約を入れておくことで、席がないといった事態を避ける事が出来る。その代わり急にいけなくなったら違約金をとられるかもしれないが。結婚式にド派手なお金をかけたり、指輪に給料の3ヶ月分ものコストをかけるのは、「これだけのコストを払ったんだから裏切ったりしないよ」というコミットメントでもある。

そうした手練手管を使って構築するのが「戦略」であるといっていい。戦略なんて大げさにいっているけれど、どの高校にいこうかな〜と考えるのだって人生戦略だし、今日のご飯何にしようかな〜だって極端にいえば生活戦略だ。もちろん商品のリリース時に値段をいくらにするか、あるいはコンセプトを何にするかといった狙いも戦略になる。

ゲーム理論とは大雑把にいってしまえば、現実の関係を詳細に記述し分析するものではなく、ざっくばらんにモデル化し、抽象化し、要点のみをあーでもないこーでもないと動かしてどのような選択をとったらどのような結果が待っているのかを大雑把に把握するための理論であると本書を読む限りではいえる。

現実の戦略では数学のように全てが決まりきった動きをするわけではなく、不確実な動きをする「相手」の行動が自分たちの行動に大きな影響を与える。たとえばAという雑誌が経済で特集を組もうと考えている時に、Bという雑誌も同時に経済で特集を組もうと考えていたら、読者はわかれて共倒れになってしまうかもしれない。

経済の特集を組んだ場合の読者数は8万人いたとして、政治を特集に組んだ場合の読者数は2万人だとする。物事を非常に単純化して世の中に雑誌がA誌とB誌しかいない、特集も経済と政治の2つしかないと考えた時に、B誌との取り合いをモデル化して考えると 両者経済の場合⇒どちらも4万人 片方が政治の場合⇒2万人 両者政治の場合⇒1万人 片方が経済の場合⇒8万人 とそれぞれ読者を得ることが出来るとかんがえられる。

そうするとA誌の立場にたってみれば、たとえB誌と競合することになっても経済の特集を組んだ方がいいことになる。政治を選んだ場合最高でも2万人、最低だと1万人になってしまうが、経済を選べば最低でも4万人になる。これはめちゃくちゃ単純化した例だが、ゲーム理論とはこのように現実に想定される「相手の行動を予想し、それに対して自分の行動が適切かどうかを判断する」ためのツールとして使用することができる。

このようなモデルをつくることで自分自身の戦略が捉えやすくなり、さらには相手の戦略をかんがえることもできる。相手は相手で最適な戦略を打ってくると想定し、その可能性を考慮してこちらの行動を決定する必要も出てくる。もちろんコレは完璧なモデル化など不可能だが、本来もっと複雑であるはずの意思決定プロセスを単純化して解明、把握するためのものなのである。

相手の戦略を予想し、こちらのとりうる戦略をリストアップし、さあどうしようかといったところで最初に述べてきたようなインセンティブやコミットメントといった人間行動への理解、または誘導の技術が必要になってくる。本書が述べているような事例は、普通に生きているとまず間違いなく意識しないものだけど、知っていると「すべてがまったく違ってみえる」たぐいの視点だ。

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)