いやーたいへん素晴らしかった。オタクが愛の為に自分のコレクションを諦める話。この三作の中ではいちばん好きな作品になってしまった。しょうじき2の話は微妙に思っていて、まああの流れだと3はもう……と悲観的な気持ちで見に行ったのだけど、良い意味で裏切られた。アベンジャーズ後の世界で、アイアンマン3は前二作とはまたまるっきり違った話をみせてくれたのだ。
簡単に解説しておくとアメコミ原作のアイアンマン映画3作目。アメリカにはたくさんヒーローがいて、かれらはみな「元から超人的な能力を持っている」だったり「蜘蛛に刺される」だったり「超金持ちでかっちょいい兵器を持ってる」だったり、とにかく様々な理由で超人的な力を手にするのだが、アイアンマンの主役であるトニー・スタークはその中では「自分で超強力なスーツを創った」人間であり、エンジニアヒーローであるといえる。
誰もが持てるわけではない超人的な生まれ持った能力をもっていないにも関わらず、エンジニアとしての才能だけでスーツを創ったのだった(それもある意味超人的才能なのだから大差無いような気もするけれど)。一作目はそのままスーツをつくりあげることが物語になっているし、二作目も同様。三作目でもトニー・スタークはエンジニア……というかメカニックとしての力を存分に魅せつけてくれる。
前二作と比べると敵はかなりどうでもよい感じだった。まず敵の動機がよくわからないし、説明もされたのだかされてないのだかよくわからない。ヒーロー物として敵が何をしたいのかよくわからないというのはかなり致命的な上に、しょうじき、話の筋は長い割にあまり一本線が通っているわけでもなく、余計な小道がいくつも入り込んでいる印象を受けた。脚本はかなりひどいといっていいだろう。
だがそうはいってもこの作品、超面白かったんだよね。スーツの概念が変わって、二作目で提示されたテーマはあまり主点にはおかれないものの進展している。ようはトニー・スタークのような個人の超越的なヒーローに安全を任せっきりにするのはやばいでしょ、システムの方がいいでしょ、という話で、まったくそのとおりなのだったが、本作ではそれにたいする当たり前の回答が出ている。
テクノロジー描写
あと毎度おなじみの未来テクノロジー描写だが、これがよかった。SF映画では未来ガジェット(人工知能とか、謎の触れる立体映像とか)がよく出てくるものの「それ実際にあったら絶対使いづらいだろ」としかいいようがないものたちで、あくまでも「雰囲気の奴隷」のような残念なものが多い。アイアンマン3のトニー・スタークが使う未来テクノロジーは実際に使えそうなんだよね。
たとえば人工知能が会話相手になって、行動予測をしてさまざまなものを算出してくれる。場所を調べたらそこまでのルート、人を調べればそれに関連した人間。朝コーヒーを飲むのが日課であればコーヒーを入れてくれるだろうし、こぼしたら吹いといてくれといえば吹いてくれる。また誰かが家の前までやってきたら即座に家の前にある監視カメラ映像が、多角的にすぐそばにうつしだされるなどなど。
うーんしかしこれがよくて他がダメなのはなんでなんだろうな。未来テクノロジーで絶対出てくるのは、3次元表現なんだよね。たとえば地図が盛り上がって見えるなんてのは当たり前の話で、電話の相手が立体映像で出てくるってのとかは定番。それをどう表現するのかって話なんだけど。
人工知能がいるってのはひとつ大きなポイントなんだよねえ。ようは起点がみれるというさ。突然三次元映像が出てくるんじゃなくて、人工知能が「ああ、着ましたよ」とか「こんなのはどうです」とかいってぽんぽん出してくれる。トニー・スタークはそれにたいして「うーん、これを出してくれ」といってインタラクティブなシステムになってる。
ようは3次元表示つったってそれを出すのがパソコンだてどうにももっさりしているわけで、発生によるやりとりインタフェースが「ものすごく使いやすそうだ」っていうのが、大きなアドバンテージになっている、のかもしれないと思った。
不眠症でパニック障害のヒーロー
アベンジャーズ戦で大量の異星人と戦ったトニー・スタークだが、その時の恐怖が残っていて不眠症になるわ、異星人の話をするだけでパニック症の発作が起こってまともな行動が不可能になる。アメリカ人は日本と比べるとかなり精神障害を患っている人が多くて、気軽に精神科にいくというが ⇒図録▽メンタルヘルスの国際比較 そういう身近さはあるんだろうな。
本来は笑ってはいけない場面なのだろうが、小さいこどもに異星人の話をされてパニックになってしまい必死になっているトニー・スタークの絵はかなり笑ってしまった。ヒーローに弱点はつきものだが、それが不眠症であり、精神病だというのはなかなか新しいのではないか。いや、ほんと冗談じゃないんだけどね。以下若干読んでしまうと驚けなくなってしまうかもしれないネタバレがいくつか。
エンジニアヒーロー
前二作と比べるとあまりスーツを着ての戦闘シーンは多くない。ほとんどの場合トニー・スタークが生身か、それともほんのちょっとだけスーツを着て戦う場面になっている。で、先程もちょっと書いたけど、スーツの意味がかなり進化しているんだよね。今までは基本的にトニー・スタークがきて、彼がヒーローになるための無敵スーツだった。今作ではもう完全にスーツはトニー・スタークの手を離れたのだ。
まず彼が手をかざしただけで自由にスーツの装着先を選べるようになった。たとえば危ない時は隣の女性に装着させるように指示すれば、女性を守ることが出来る。ようは遠隔操作ができるようになったわけで、これがアイアンマンという概念を大いに変質させる。「世界を守るのはシステムか、トニー・スタークか」といった二項対立のようになっていた二作目での問いが、三作目で「アイアンマンをシステムにする」という解決策で世界が守られる。
ようはスーツをいっぱい用意してそれを全部遠隔操作で動かせばトニー・スタークが中に入っている必要はないのだ。多くのオペレーターとスーツを用意して、遠くからすべてをコントロールすればいい。本作でほんとに感激したのはラスト、かれがつくりあげた42のアイアンマンスーツが遠隔操作ですべてかれのところに集結するくだりだ。
まさかこんな夢の様な画面が見られるとは思わなかった!! とみながら僕は狂喜乱舞していた。だってさー、スーツがばしばし飛んできてそれが各自オート戦闘をするだけならまだしも、トニー・スタークがそのスーツを着て、壊されたらまた別のスーツを着て、ってそういう無限スーツ戦闘を繰り広げるわけですよ!?
僕は漫画のソウルイーターで、剣士が自分の刀をフィールドにめちゃくちゃばらまいて、それを何度も何度も持ち替えながら殺陣を繰り広げる場面がもうさいっこーに好きだし、西尾維新の刀語でもそういう敵がいたし、とにかく無尽蔵にわいてくる自分の武器を状況に応じてがしがし使い捨てていくってのに最高に興奮してたんだけど、まさかそれのスーツ版がハリウッドでみれるなんてーーーー。
それぐらい夢の様な戦闘場面!! 僕の、僕の夢がここにあったよーーー。欲を言えばもう少し派手にやってもらいたかったぐらいだけど充分に満足。結構なごちそうでしたことよ。しかしこの物語はどこにいくのだろうね。ことここまでいってしまえばもうアイアンマンスーツが人型である必要はない。人が入らなくても動かせるんだから。
最後の彼の台詞はすごく印象的で、すべてをうしなっても俺はアイアンマンだぜ、みたいなことをいうんだけど、それはまったくそのとおりなんだよね。アイアンマンスーツをきているから、彼がアイアンマンだという時代は終わり、かれはスーツをきていなかったとしてもアイアンマンシステムを生み出しつづける”メカニック”になったのだよ。
このままトニー・スタークはエンジニアヒーローとして遠隔操作、自動オペレーションするヒーローを作り続ける人間になるのか、はたまた自分が相変わらず中に入って戦うのか……。その場合はそれなりの理由付けをしないといけないだろうけど、それが難しそうだ。というかこれじゃあアベンジャーズに出れないぞ……。
なんにせよ3作目でこれだけ興奮させてもらえるとは思わなかった。