基本読書

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ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 (講談社学術文庫) by ウィリアム.H・マクニール

つい最近文庫化したばかりのようだ(20130919視点)。本屋でその印象的な表紙(カナレット画)に目をひかれて手にとって見れば、『世界史』のマクニールの本だった。『世界史』はたいへん素晴らしい歴史本だったけれど⇒世界史 - 基本読書、同著者による本書『ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 』もまた珠玉の出来だ。技術的発展や政治的、文化的発展といった小さなスケールに焦点を当てた後その連鎖反応によって国家や人間の動きがどう変化したかという大きなスケールへと視点を転換させていくドラマティックな動きをマクニールは体験させてくれる。

マクニールの本は仮説と、それこそメモ書き的な空想の語りに満ちているが、過去に存在した証拠から情報を倍加させる試みは歴史の楽しさをいつも教えてくれるものだ。もちろん荒唐無稽なただの物語なわけではない。様式と技術にフォーカスした歴史の視点は、物事の連鎖を実に論理的に描き出してみせるし、その膨大な参考資料はびっくりする。460ページ以上の本だが、100ページ近くも注釈がある。

『世界史』のように大きな主題を扱ったマクニールがわざわざ小国であるヴェネツィアを主題に据え一冊書いてしまったのも興味深い。歴史的変化において常に主要な動力として存在していた南および東ヨーロッパの文化相互影響において、ヴェネツィア共和国は基軸的な役割を担っていた。周囲を大国に囲まれていたおかげで商業の仲介者、文化の仲介者としてその地位をおおむね築き上げてきたのがヴェネツィアだった。

その初期においては商業のかなめとなり、その商業的政治的戦闘能力までもが衰えた時でも文化の仲介者としてその存在感を発揮し続けた。その初期の商業的成功を収めた基板はひとつに低廉な政治・軍事費にあった。当時の商人は自ら防衛にあたっていて、軍事専門家を雇う必要はなかった。都市行政官は商人上がりで、商業資本の蓄積は余計な政治機構によって妨げられることはなかった。

そうした利益の享受もそう長くは続かない。他所にはできない軍事費減らし資本の蓄積へ向けたことによって得た繁栄も、その繁栄を目当てにやってくる外部の敵にたいしての軍事費の増大によって相殺されてしまうようになる。もっともマクニールはその長期的基盤の主張として、一時的な経済上の利益以上に「特別団体」と呼ぶ家族の範囲を超えた高いレベルの相互信頼を築き上げたことが重要だったといっている。当時ギリシャ人、ユダヤ人、アラブ人達は親族でない仲間を信頼するのは困難であるとみていたのだ。

技術史の側面も持っているのが興味深い点だ。たとえば鎧もつらぬくいし弓の設計、製造が行われ、それが一般の兵士にまでいきわたった時かつての主力だった長弓兵、槍兵、それから騎士から中世風のよろいをはぎとることになる。武器の発達が戦闘様式を変化させ、戦闘様式の変化が騎士の行動様式を変える。船では、かじ取り装置(てこやら何やら)の発明によって普通の人間の能力の限界をはるかに超える力をつかえるようになる。これにより船をさらに巨大化させ、貿易範囲は一世代のうちに拡大を遂げるのである。

船の巨大化は同時にマスト、帆の改良が行われ、同時期にコンパスの登場などによる航海術の進歩が起こったおかげで数日曇天が続いても正しい道を行くことが出来るようになった。それまでの航海では曇天では位置が確かめられなかったが、冬でも夏と同じように航海することが可能になった。いし弓による防衛力の向上、航海報の進歩、船自体の進歩といった技術的な進展があったおかげで輸送費は切り下げられ、航海はそれまでと違いフル・タイムの職業となり、これによってそれまで地中海全域に存在していた市民兼船乗り兼兵士兼商人兼何でも屋が消滅し始めたという。

技術におけるひとつの進歩、ひとつの改良が別の進歩と結びつき、物事がどんどん変わっていく。そうした個々の進展と全体がそれによってどう変わっていくのかという、小から大へ視点を変換させていくダイナミックな手法は『世界史』でその能力を遺憾なく発揮していたが、舞台がヴェネツィアにうつってもまったく衰えていない。ヴェネツィアはずっと強国のままでいられるわけではないが、その衰退の分析も要点を掴んでおり技術の発展とは違った意味で読ませる読み物になっている。

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 (講談社学術文庫)

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 (講談社学術文庫)