基本読書

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残像に口紅を (中公文庫) by 筒井康隆

僕はこれを読み終えた時、結末へ向かっていくこの小説を読んで思わず泣いてしまったのだ。それはストーリーが感動的だったからではなく、ただただその凄まじい内容に圧倒されて泣いたのだ。こんな内容があっていいのかと。こんな表現があっていいのかと。想像もつかないところからぶん殴られたような衝撃。たとえるのならば言語格闘技というほかない、言葉そのもの、表現そのものとの壮絶な闘い。表現が制限されていく中でいかにその能力を存分に発揮させてみせるのかという、そうした闘争が本作なのだ。

本作は実験小説であると呼称されている。実際試みはとても実験的である。だんだんと使える文字数が減っていく世界、作家であり仕掛け人の側である主人公はメタ的にそれを自覚している。あがなくなれば朝が消える。くがなくなれば熊が消える。この世界は彼が構築しているのだ。そして彼はその使用できる言語がだんだん少なくなっていく世界であえて困難に挑戦するために、情事を試み、文学論を試み、自伝を語り、詩作を試み、と自身の表現を連ねていく。しかし使える武器はどんどん減っていくのだ。

使える言葉が少なくなっていく難易度と、それでもなんとかして表現をしてみせようとする泥臭い文章の連なり、決死の激しさに揺さぶられるようにして涙が自然と流れてくる。それは再読の今回でも変わらなかった。ほんと、普通使える文字が7文字とかになったらろくに表現なんかできずに、どんどんつまらなくなっていくと思うでしょう? でもそんなことはない。ぼろぼろになったボクサーが、それでもなお相手へと向かっていくのを見るときに人が感動を覚えるように、7文字しか使えない、そんな状況でなお、むしろ何かを表現しようとする、しなければならぬという行為に圧倒されるのだ。

僕が涙を流すほどにすごいと思うのは、「うまさ」ではない。いや、実際凄まじくうまくはある。俺は作家だ、言葉を使うプロなのだという矜持、語彙の豊富さと言い換えの表現の多彩さはそれ自体で圧倒されるすさまじい「技術」だ。40文字以上が減らされてなお、表現としてあまり違和感なく文章を紡いでいくその能力はとんでもない*1。筒井康隆以外ではここまでうまく書くことは不可能だっただろう。

もちろんこの文章技術のうまさだけで本作は読むに値する。しかし「凄さ」は使える文字数が20文字以後になってからで、ことここまで至ればもはやまともに文章を紡ぐのは不可能である。文章というよりかは単語の羅列に近くなり、一文がひどく短い。しかしそれでも物語は紡がれていき、主人公である作家はあくまでも前へ前へと進もうとする。その「前」とは俺には表現することがあるのだという絶対的な闘争の意志である。

たとえ文字がなくなったとしても俺は表現をやめない。描写をやめない。たったの20文字しか使えないというのに、その後もどんどん言葉が抜け落ちていき、その抜け落ちていった言葉でなんとかして物語を紡ごうとする、その究極的な言語格闘技とでもいうべき表現における闘争。使える文字がたったの7字になっても6文字になっても何かを言おうとしている、しかもそれがちゃんとこちらに伝わってくるという驚くべき能力。

おいおい、たったの6文字でお話を前へ進めようとしてやがるこいつ……と呆然とするしかないが、そのあまりに無謀な挑戦と、それをなんとか成り立たせてきたこの作品にたいしてただただ圧倒される。そして5文字になっても4文字になってもそれは変わらない。使用可能文字が0になるその瞬間まで止まらないこの格闘の熱さと、使える言葉がすべて消え去ってしまった時の侘びしさといったらない。

本作を読んでいて思い返していたのは、ガンダムが最後に体をガシガシ破壊しながら敵へ向かっていく場面だった。あの場面に興奮するのは、僕等がそう簡単に自分の身体を犠牲にしてまで、前に進むことが出来ないからだろう。また格闘技もそうした要素をたぶんに持っている。殴られ、痛い思いをして、それでもなお技術をこらして前へと進んでいこうとするその姿に、自分にはなかなかできないものを見出し、僕らは感動するのだろう。

本作で減っていくのは言葉である。だから身体なんかではない。ロボットのように身体の延長線上のものでもない。抽象的なものだ。しかし言葉は、この言葉のみで構築された虚構の中では当然ながら、世界そのものである。ある意味では身体よりももっと身近なものだ。凄いのはこれが「キャラクターに感情移入させる」のではなく、「言葉そのものへと」感情移入させてみたところなのかもしれないとこれを書きながら思う。

減っていく言葉、次第に使えなくなっていく表現、それでもなお苦闘しなんとかお話を紡ごうとする、言葉そのものへの、心の底から「がんばれ!! 表現しきるんだ!!」という共感、そして同時に減っていく言葉とその表現への愛惜。正直言ってこんなこと今まで考えたこともないし、思ったこともなかったから全然気が付かなかったが、たしかに僕は言語そのものへ感情移入し、そしてそれがなくなっていく世界が、とても悲しかった。

実験小説でありながら、その実験の形式が物語のテーマに何十にも合致し、さらにそれを筒井康隆の超絶技巧でまとめあげてみせる、そんなあらゆる要素がハイレベルな逸品で、傑作という他ない。

ひとつだけ残念が点があるとすれば、筒井康隆はこの一作でリポグラム(使える文字を制限する形式)を使用した表現をほとんど終わらせてしまったことだろうか。もう同手法でこれを超える作品が出てくるとは、僕にはどうしても思えないのだ。最近西尾維新さんによるりぽぐら! (講談社ノベルス ニJ- 33) by 西尾維新 - 基本読書 も出て、これはまた違ったアプローチなので面白かったけれども、総合的な面白さとしてこの『残像に口紅を』を超えるものは出てこないのではないかと思う。

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

*1:減らしていく文字はある程度使用頻度が少ないものから計算されているとはいえ