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何を、どのように書いてきたのか──『筒井康隆、自作を語る』

筒井康隆、自作を語る

筒井康隆、自作を語る

作家・筒井康隆がこれまで自作をどのような考えのもと書いてきたのかをデビュー作から順々に語っていくインタビューが元となった一冊である。作品について語られるだけでなく、当時のSF業界や文壇のエピソード、映画やアニメにまつわる話などもたっぷり語られていく、筒井康隆ファンにとっては非常に贅沢な本である。

読んでいて驚かされるのが、筒井さんが実によく何十年も前のエピソードや自作のことを覚えていること。ショートショートや短篇のことなんか、もう意図も何にも覚えてなくてもしょうがなさそうだが、聞き手の日下三蔵さんがあれはどうだこれはどうだと作品名を上げると「ああ、あれはね」と当時それを書くことになった経緯や、意図や狙いを解説してみせる。もちろんトークイベントの場などでもあるから事前にある程度思い出すために調べていっているということもあるのだろうが、後記にて『さいわいにもおれは書き飛ばすタイプの流行作家ではなかったため、作品を書いた前後のことはよく覚えていた。』と書いているように、実際によく覚えていたのだろう。

人名などの固有名詞は出てこなくなったと語ってはいるが、そのあたりはあまり本質的な情報ではないしね。加えて、書誌における詳しい初出の雑誌・媒体、年月日などはすべて聞き手である日下三蔵さんが覚えて(あるいは情報を揃えて)いるので、そういう意味でも安定感のある本である。筒井さんがエピソードを語ると、まるで脳内で検索しているかのようにその周辺情報が日下さんからポップしてくるので、(そのトークの場にいたわけでもないのに)おもしろくてわらってしまったぐらいだった。

トークの内容を簡単に紹介する

トークの内容としては、かつて語られていた記憶があるものも多いが、あらためて年代順で順繰りにみていくと見え方もまた違ってくる。デビューしたばかりの筒井さんが、あまり原稿の依頼もないなか東京に上京し、当初は相当に苦労していたことなどもなかなか新鮮。星新一が見つけたSFの国を、小松左京がブルドーザーで整地し、最後に筒井康隆がスポーツーカーに乗って口笛を吹きながらやってきたというわりかし有名な話があるのだが、『まあ、そんな気楽なもんじゃないですね。自分では、僕がいちばん苦労しているんじゃないかという風にすら思いますよ。』と言っている。

あとは、やっぱり60年代の今よりも仕事の進められ方が雑だった時代のエピソードも笑えるものが多い。もともと筒井さんは家族で同人誌を作って売るという珍しいことをやっていたのだが、60年代の筒井さんは注文が着すぎて原稿が間に合わず、弟たちが書いたものを筒井康隆名義で(断りを入れて)出していたとか。当時はそれがそんなに珍しくなく、福島正実さんに(筒井さんが)頼まれて原稿を書いたら、それが福島正実名義で雑誌に載っていたとか、そんなの、今は大炎上間違いなしですな。

もちろん作品解題の方もおもしろくて、『旅のラゴス』や『虚航船団』や『残像に口紅を』あたりの僕が大好きな作品についても尺をとって語っているのが嬉しい限り。『残像に口紅を』とジョルジュ・べレック『煙滅』の関係とか(『残像に口紅を』が出た時『煙滅』はまだ出ていなかったが、フランス語でEの文字を全部省いた小説を書いたやつがいるんだという情報だけが届いていてこれに敵愾心をもって書かれたようだ。)。あと、〈別冊文藝春秋〉に連載されていた、文学賞を落とされた作家が選考委員を殺して回る『大いなる助走』は、最初連載している時は選考委員皆殺しになるなんてことは担当編集には隠されていたとか、まあひどいエピソードが多いね笑

おわりに

このままだらだらとエピソードを上げ続けてもしょうがないのでこんなところでやめておくが、筒井康隆ファンはもちろん、これから筒井康隆を読もう! という人にも最初の一冊として手にとってもらいたい一冊だ。依然として、筒井康隆的な作品を読もうと思ったら筒井康隆を読むしかないのだから。