基本読書

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射雕英雄伝 by 金庸

金庸作品の中でもとりわけ評価の高い『射雕英雄伝』を読んだ。金庸とは中国語圏では一番といってもいいぐらい知名度の高い今尚生存中の作家で、作品はゲームにドラマと何度もメディアミックスされている。武侠小説と呼ばれる日本の時代小説と伝奇小説をミックスしたような特殊な精神性を描いた小説の第一人者として知られその作品の質はどれも高い。傑作と名高い『笑傲江湖』を読んでいらい、大好きな作家の一人である。

どうしようもなくつまらない本ばかり立て続けに読んでしまい落ち込んだ時などに読む「鉄板枠」というものを僕は持っているのだが、この金庸の作品は常にその一角を占めている。最近そんな気分だったので手を出したのだが、やはり文句なく面白い。解説など読むと、中国文化への批判や複雑な隠喩が盛り込まれた作品になっているようなのだが、中国文化の形成過程などを殆ど知らない僕からすればやはりただただ「エンタメ作品として」でも十分に面白い作品だ。

簡単なあらすじ

時代は13世紀初頭。南栄と金が対立し、北方でモンゴルが台頭しつつある。ちょうどチンギスハンが暴れまわった時代で、当然ながらこの射雕英雄伝シリーズ(全5巻)でもその威力を大いに発揮しているが、主役は別。中国は有史以来随分と北方の民族に悩まされてきたが、中国全土を北方の民族が征服したのはこの時代がはじめてである。つまり中国史的にいって大きなイベントがあった時期なのだが、こうした時代性は主人公たちのドラマの影で淡々と動いていき、時々物語を動かすきっかけとして主人公たちに介入してくる役割を持っているのみである。

主役の名は郭靖という。朴訥で嘘がつけず愚鈍で才能がないがとにかく頑張るやつ、そしてこの外道ろくでなし揃いの武術界隈において誠実なやつではある。いやあほんと、人を殺すことをなんとも思っていない腐れ外道が大多数を占める武侠世界の中で、人をできるかぎり殺さないようにしようという心がけを持っているだけで偉いのだ。そんな郭靖が、道中出会う武芸の達人たちに技を伝授され、それを愚直に繰り返していくことで強くなっていく。

まあ、ぶっちゃけ物語、プロット自体はそんなに注目するようなものでもない。「何かをとりにいってこい」とか「親の敵を討ちにあっちこっちいく」だとか、「病にかかった仲間を助ける秘薬をとりにいく」「秘伝の書をとりにいく」「修行する」とかそうした細かいクエストをこなしながら状況の翻弄されていくだけの話で、のちに説明するが行動のルールが非情に単純に構成されているために実にゲーム的な小説なのである。

一方で金庸の凄いところはそうした「物語のためのお使い」的な、シンプルでわかりやすいクエストの発端や周りの環境、人物の思想などに上記の述べたような中国史関連のイベントをしっかり差し込んできて、「お話自体は問答無用で楽しむことができるし、深読みしようと思えばできる」ような肉付けをしているところだろう。

わかりやすい世界観

プロットがシンプルなだけでなく、世界設計自体も凄くわかりやすいものになっている。個人的に金庸の武侠小説で気に入っているのはこの点なのだ。伝えられるかどうかわからないが世界設計がわかりやすいとはどういうことかについてがんばって解説してみよう。小説というよりかはゲームを思い浮かべたほうがわかりやすいかもしれない。人間の能力値が数値に還元され、技も一個一個覚えると「ぱんぱかぱーん」とか音がなって習得できる。誤解を承知で言い切ってしまえば金庸が書く武侠小説とはまさにそのような世界なのだ。

先ずこの世界には武芸者の序列が明快に設定され、ひとかどの武芸者であればみな「ネームドキャラ」の名前とその強さを知っている。たとえば現状この世界のトップには四人の男たちがいる。「東邪」「西毒」「南帝」「北丐(ほっかい)」がそれぞれの異名で、みな異なった性格、技の持ち主だが強さ的にはほぼ互角同士である。実力的に下につけるのが全真七子(ぜんしんしちし)と呼ばれる七人、さらにもっと弱いが有名になると江南七怪の異名を持つ7人の俠客集団と呼ばれるやつらがいる。

そうした情報は最初に明かされるし、主人公はその道中で段々と強い師匠と出会い(最初は江南七怪、次に全真七子、その次に北丐というようにどんどん師匠のランクがアップしていく)実力をつけていく。こうした序列、能力値の差を最初に提示しておくというのは、殺陣を実際に絵に書いて表現できる漫画やアニメなどとは違って文章では特に重要なのだ。実力差が読者が明快になっていないと、たとえ対峙した時にどちらかが勝ってもなんの意外性も感じられないからだ。詳しくはこちらの記事で書いた。殺陣の納得度 - 基本ライトノベル

さて、お互いのステータス差が明確になった後は、それが逆転する理屈がなければならない。リアルな世界観だと修行なんかしたってたかがしれているし、その理屈をつけるのが難しい。が、金庸の武侠小説ではそうしたステータス、技の概念が単純化されているのでこれもまたわかりやすい。先ずこの世界には流派ごとの武術の「型」が存在し、師匠が弟子に武術を教えるとはその「型」を教えることがあたる。

弟子はその型、たとえば降龍十八掌、だかを覚えて、その技を繰り返し繰り返し練習することで状況に対応していくことになる。おおまかにわけて柔と剛のタイプがあるし、どの流派が強いのかといった区分けも明確になされている。参考例をあげるなら、この世界では九陰真経という黄裳が作ったとされる武術書で、これを会得した人間はこの世の全ての武芸を破ることができるとされる。この九陰真経を巡った攻防も物語の柱の一つだ。

また内功という概念がある。いわゆる気功であり、呼吸・血流、体内に存在する気の力を自在に扱って攻撃に使ったり防御に使ったり回復に使ったりする。これも当然強ければ強いほどいい。他に外功(いわゆる武術のパラメータ)、軽功(身の軽さのパラメータ)がそれぞれ明確に設定されており、軽功で勝るものは、劣ったものに基本的に追いつかれないので必ず逃亡が成功するなどゲーム的に勝敗、とれる戦術が決定されていく。

他にも毒だったり点穴(いわゆるツボをおされることで身体機能が制限されたり治療されたりする)といったオプションがある。こうしたパラメータや手持ちの技術、道具、を組み合わせて作戦を決定し武芸者同士の闘いが決まっていくので、一つ一つの闘いの勝敗の行方にすごく納得感がある。常に闘いにつぐ闘いの連続なのだが、常に戦術や気の利かせ方が異なっていて、それで毎回「おお、今回はそうなるのか」と意外性がある。

また当然ながら「強くなった」ことが明確に示されるので(たとえば九陰真経を手に入れて読み込んだら一気に強くなる)、成長物としてもわかりやすく、「技」が明確にされているだけ面白さに直結している。

特殊な価値観

武侠小説というジャンルを一言で説明するのは困難なのだが、時代小説のようだというのはひとつの側面を捉えているだろう。武士や幕末の時代を描いた日本の小説に絶対に書き込まれるのが当時の「今からは想像もつかない価値観」であることはいうまでもない。武士は腹を簡単に斬るわ、通りすがった時に刀が触れ合ったから斬り合いになるとか今からいえばキチガイのようだが本気でそんなことをやっていた時代があったのである。

800年以上前の武侠小説として描かれる中国は(実際どうだったかはおいといて)また特殊な価値観をみな持ち合わせている。宗教的な観点から何か書ければいいのだが知識がまったくない。それに一般人の価値観というよりかは日々生死のやりとりをする武芸者たちの価値観なのであまり関係ないのか。よくわからない。わりあい驚くのは、「簡単に死ぬ」というところだ。将来を誓い合った男女の片方が死にかけたら「俺も/私もすぐに後をおって死ぬわ、一緒にいきましょう」といって諦めが超早い。

しかも「まあ一緒に死ねるならそれでいっか、諦めよう」ぐらいの勢いで死を受け入れるので死ぬのが凄く軽い。おいおい、もうちょっと粘れや!! と応援したくなるぐらい何度も「もうだめだー、一緒に死のう」となる。また婚前性交渉は基本的にタブーとなっていて必ず立会人のもと婚礼の儀式をやってから性交渉に至るようだ(実際どうだったかは別として、この世界では)。他にも親や師匠の敵討には全身全霊をかけたり、師匠のいうことはたとえ「死ね!」であっても絶対であったりと、「立場が上と一度設定された相手に対しては出来る限り服従する。でいなければとことん悩む」といった特殊な価値観もドラマに寄与していく。

段取りの省略という技法

この世界の人間は「約束」がかなり重みをもって描かれており、よせばいいのにその約束の内容を聞く前に「絶対にやり遂げてみせましょう」などといってしまう。「なんでも聞きますよ」「じゃあ俺の娘と結婚してくれ。」「え、ええ……? いや、僕には結婚を誓い合った子がいるし……でももうなんでも聞きますよと約束しちゃったし……」みたいな、完全に自分のせいで悩まされる場面に遭遇することが何度もある。「おいおい、そんな雑な展開でいいのかよ」みたいな。

これ、もうちょっと抽象的にすると「面白いところへ辿り着くための、段取りを省略している」ってことなのだ。たとえば我々が物語を体験していて面白いのは「フローラとビアンカどっちを選んだらいいんだろう」という「贅沢な葛藤、苦難」であって、フローラとビアンカどちらにも求婚されるまでに至る過程というのをトバしちまおうぜ、が乱暴にいうと金庸がよく使う段取りの省略技法である。

もちろん諸刃の剣で、そうした「悪い予感」を積み上げてどきどきさせていくような技法や(まどマギ……というか虚淵脚本はこの段取りがくどいぐらい丁寧にされている)そもそも過程自体に面白さがあるもの(恋愛ゲーでドキドキして仲良くなっていく過程をすっ飛ばされたら何が愉しいのか)もあるので「すべてすっ飛ばすのが正しい」わけではないことは注意が必要だ。金庸はそのすっ飛ばすところとすっ飛ばさないところのバランス感覚が素晴らしい。本当に、すっ飛ばすところは華麗にすっ飛ばしてくれる。

先の例も「なんでも聞きますよ」と言わせることにより、手っ取り早く葛藤の描写につながっていて「段取り」で納得感を出さない代わりに面白い「葛藤」にかっ飛ばしてくれるところがエンタメとしてスピード感あるシロモノになっている。

郭靖と黄蓉というベストカップル

郭靖と黄蓉のカップルは早々に出来上がって、その後どんどん苦難、別れに立ち向かっていかなければいけないのだがこの二人のキャラクタ造形がとても気持ちがいい。郭靖は愚鈍で誰もが認めるほど頭の回転が遅いがその分黄蓉は頭の回転がとても早い。知略に満ちていて様々な策を一瞬で思いつく。だが一方で親が非情な人間だった為、たやすく誰かを貶めたり殺したりする発想に行きやすく、誠実で嘘のつけない郭靖がその軌道を修正する、お互いの欠けているところを補い合ういいパートナーとして描写される。

そんなベストカップルがやれ親の反対だとか(しかもこの世界ではトップ四人のうちの一人)、やれまた別の達人の息子が結婚したがっているだとか、郭靖自身親の遺言や育て親と約束しちゃったお姫様との結婚だとか、勘違い行き違いに悩まされ果ては親の仇だなんだのとしっちゃかめっちゃかな状況に追い込まれていくのだからもうたまらない。こちとら「早くくっつけ!」と思いながら読んでいるのにどんどん悪い方向へ向かっていく。

敵はいくらでも現れ、苦難は冗談のように降って湧いてくる。でもそうしたジェットコースター的なイベントの数々、普通に読んだら「ご都合主義乙」とでもいってしまわれそうなイベントの乱舞が、金庸の絶妙なバランス感覚によって構築されていく。傑作といっていいシリーズなので、「武侠小説、ちょっと興味出たな」という人はこの『射雕英雄伝』でも『笑傲江湖』でもなんでもいいから手を出してみたらどうだろうか。

射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1) (徳間文庫)

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秘曲 笑傲江湖〈1〉殺戮の序曲 金庸武侠小説集 (徳間文庫)

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