スマートで面白かった。『ゾラ・一撃・さようなら』という作品と登場人物も時系列的にも連続しているが、どちらから読んでも特に問題はない。個人的にはこっちの方が好きだな。題材的にもキャラクタ的にも惹かれる要素が多い。
お話を最初に簡単に説明しておこう。主人公は探偵かつ、過去に有名人の殺人事件に巻き込まれそのことに関連した本を出して、ベストセラ作家となった。今作ではその実績を買われ、世界的に有名なソフトウェア会社を設立しもんのすげー金を持っている社長のところに自伝を書くために呼び寄せられることになる。主人公はなかなか気難しい人間で、やる気はサラサラないのだが仕事に対して手を抜くということもしないのでせっせと大富豪ソフトウェア会社社長のことを根堀り葉堀り聞いていくうちにだんだんとその家庭に潜む暗部を暴きだしていってしまう……。『「話してもらえませんか。もし書くなと言われるなら、僕は書きません。でも、貴方のことを知らなければ、貴方という人間を信じなければ、本なんか書けませんよ。そういうものです。」*1』
ホーギー&ルルシリーズとの共通性
かつて『ゾラ・一撃・さようなら』を読んだときは(読んでいなかったから)気が付かなかったんだけれども、このシリーズって設定がデイヴィッド・ハンドラーのホーギー&ルルシリーズに大きく寄せられているんですよね。たとえばホーギーは小説家で、ただしゴーストライターとして有名人の自伝や伝記を書く仕事をいくつもこなしている。しかしホーギーが有名なハリウッドの関係者やコメディアンの元にいくとその徹底的にその人間性を掘り下げていくやり方のか、はたまたただ単に運が悪いのか必ず残酷な殺人事件に発展して巻き込まれていってしまう……。
『暗闇・キッス・それだけで』の導入と同じだ。あとホーギーは別れた妻であり一流の女優でもあるメリリーとくっついたり離れたり、またくっつきそうになったりと付かず離れずの距離を取りながら事件ごとにその関係性を変化させていくのだけど、このシリーズもほとんど同様に女優の元彼女とそういう関係性にある笑 ただこっちは小説家ではなく探偵だし、元カノは女優とはいっても売れない女優で今は出版社に雇われている。ま、いろいろ共通しているところはあるけれど基本的には別物だと思ってもいいだろう。でもホーギー&ルルシリーズ、すごく面白いから、この作品を気に入った人はおすすめ。台詞もシチュエーションの創り方もめちゃくちゃかっこよくて暗記するぐらい読み込んだりした。
人物の面白さ
主人公が自伝を書くためにおもむくのは大富豪ウィリアム・ベックだがこの人物の書き方が独特で面白い。ソフトウェアでの企業、それも有能なイノベーターということで才気に溢れ合理性の固まりのような男として書かれている。金持ちで立場も権力もある人間だけに派手に浮気をして歩いているかといえばそんなこともなく、家族仲も良好。その説明についてもまあ、たとえが明快でなかなかしっくり、くすりとくる感じ。
「サリィは素晴らしいパートなんだ。私は、彼女を愛している。三十年も一緒に暮らしているんだ。こんなに長続きするオペレーション・システムはない」
「細かいバージョンアップがあったのですね?」
「それは、そのとおり、お互いにそうだね。いつも、修正して、パッチを当てる。そういうものだろう? でも、最も大事なことは、最初の基本設計だ。なんだって、そうだ。人間もそう。修正ができるということが、重要な性能なんだ。わかるかい?」
なかなか素敵な切り返しじゃあないか。大金持ちだが、自分の金を社会に還元する機会を常に探していて、その為の勉強も怠らない。ビル・ゲイツなんかもそうだけど、ああいう人達は莫大な金を持っているから社会に対して自分の良いと思う場所に寄付を行おうとする。でも「どこに金を送るのが本当に正しいのか」という見極めがけっこう大変なんだよね。だからビル・ゲイツがおすすめする本とかのラインナップも「貧困を本当の意味で解決するのはどこか」みたいな分析の本が多い。アフリカのGDP計算なんかは杜撰で間違いだらけで、物凄い貧困層のたんまりいる国家かとおもいきや実は計算が間違っていただけで何倍かの総資産をみな持っていた、みたいな話がざらにあるわけで、資金提供側としてはその辺のことはダマされないようにしっかりと把握しなければならない。
そうか、じゃあすべてにおいて合理的で素晴らしい人間なんだな、ちゃんちゃんとはならない。莫大な金があり、能力があるのだから家庭生活に問題が皆無というわけではない。そんなこといったら金があろうがなかろうが家庭生活に問題がないわけがないともいえるだろうが。物凄い金や権威というのは、そうした問題を時として増幅させてしまうものである。本作では主人公が現場にやってきて以降、物事が大きく動き出していってしまうが、個人の意志と自由を尊重し約束を重んじるウィリアム・ベックやその周囲の理性的な人間の間でちょこっとずつ亀裂がうまれ、理性的な人間の過去の隠したい出来事が明るみに出て行く過程が面白い。物語を大いに盛り上げる裏の顔というほどの劇的なものではないが、だがその慎み深さがある意味ではリアリティとなっているようにも思う。
恋愛物としての側面
さきに書いたとおり主人公は元カノの女優に惚れ込んでおりできればなんとかしてヨリを戻したいなあと思っているわけだが、これがなかなかうまくいかない。今回の仕事にも同行してくれているが、気があるようなないような。二人共三十代半ばを超え、どちらも結婚するには良い歳である。いまさらうぶな恋愛をするような年齢でもない。人生において、未来の可能性もだんだん決まってきて、さあどのあたりにソフトランディングしようかとでもいう気分。主人公はわりあい思い切りが悪く、こっちが金銭的価値を産み出せるようになったことをかんがみて、結婚対象として賭けのフィールドにあがったのではないか……どうかなあ……と葛藤している。基本、一途に愛を抱えている不器用なおっさんなのだ。仕事をうけたのも、彼女との接点ができるからという理由でしかない。
ただ引用したなかなかの切り返しからもわかる通りバカではないし、台詞にはいちいちセンスがある。常に発言にはどこかしら毒が含まれていたり、相手の深いところへ切り込んでいく鋭さもある。それと同時に精神的にタフネスな男というわけでもなく、基本的に打たれ弱いしウジウジしていたり弱い面も抱えている。スーパーヒーローというわけではないのだから、これぐらいの弱さを抱えている方が人間的には共感ができるのだろう。読んでいるうちにこの微妙なぼんくらっぷりに同情心が湧いてくる。気むずかしい男が女優に翻弄されながら事件に巻き込まれていく様は哀れを誘うが、良い関係性だと思う。
全体的にスマートな出来かつ、メイン二人の関係性もここにきて劇的な変化をうけて面白くなったきた作品でした。うーんしかしこうなってくるともっと何冊も続きが読みたいなあ。ホーギー&ルルシリーズみたいに何冊も続けて、キャラクタ間の関係性をどんどん変化させて揺さぶりをかけていってもらいたいものである。毎度さまざまな有名人の元へおもむいて、普段接することのない人間の生態を描いていくのもシリーズとして読んでみたいし。座して待つ。
暗闇・キッス・それだけで Only the Darkness or Her Kiss
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/01/26
- メディア: 単行本
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