基本読書

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オービタル・クラウド by 藤井太洋

Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫 JA フ 4-1) - 基本読書の著者藤井太洋さんによる第二長編がこの『オービタル・クラウド』になる。Gene Mapperの頃から何らプロと遜色ないレベルの小説を書き上げていた著者だがやはり全体を通してキャラクタの描き方、演出面での拙さはあったと思う。違和感、としてしか指摘できないような微妙なぎこちなさがあった。

それも本作においてはすっかり消え、話のスケールもアップし、プロット面での魅力、どれひとつ取り上げても少なくとも短編は書けるだろというような独創的なアイディアの数々、どれも前作を凌駕している。これが編集者の力なのか、もともとの本人の力が集中して発揮された力なのか定かではないが、ここにきてその作風は完全に確立され洗練されたといっていいだろう。

あらすじ

核となるプロットは大予算を懸けたハリウッド映画のそれだ。酷く大雑把にいえば世界中にダメージを与えかねない大きな野望を持つ相手がおり、立ち向かうプロフェッショナル達という構図が基本にある。物語は不自然な軌道をとるデブリが現れるところからはじまる。流れ星の発生を予測するWebサービスなどというクソニッチなサービスを運営している木村和海は、その不自然さに気がつきメテオニュースにそれを書く。

すると今度はその情報を元にこれまた一人の宇宙観測オタクがそれを観測し、国際宇宙ステーション(ISS)を襲うための軌道兵器だなどといってネットに情報を撒き散らし、煽り始める。だがことの実態は予想を遥かに超える壮大さで、北米航空団やCIAを巻き込むような前代未聞のスペーステロへとつながっているのだった──。

相変わらずの世界を巻き込むプロットをぶちあげてみせるよなあ。この規模感だけでわくわくしてくる。スペーステロとくれば、やはりまずはその方法が楽しみだ。いかにして大気圏外でテロるのか? 野尻抱介さんのロケットガールシリーズ4巻の短編ではテロリストは宇宙飛行士が船に移動するまでの間に強襲し入れ替わって宇宙にいくというびっくりな展開だし、My Humanity の長谷敏司さんの短編『Hollow Vision』ではやはり宇宙テロ(海賊だが)は人間が宇宙空間へ進出していくやり方で行われている。

そう、人間が直接乗り込んでいくのが、一番わかりやすくはある。もし宇宙に地上から攻撃なんかしたらあっという間に位置も立場も何もかもバレてしまうわ、それだけの能力を有するとなると国家か巨大な資産を持つ企業かと選択肢が限られてしまう。本作はそのへん「スペーステザー」という電流と惑星磁場との相互作用で推力を得るためエネルギー補給がなくても機動を行えるアイディアを使って華麗に解決してみせる。

その結果として、まったくみたことも想像したこともない「スペース・テロ」が演出される。だがそんなひそかに進行するテロリズムに対して、気がつく「アマチュア」がいた──。それが先のあらすじで紹介した木村和海、ただのWeb屋である。この辺、もちろん藤井太洋さんのソフトウェア開発などを経てきた経験と無関係ではあるまい(経歴が多様すぎてよくわからないが。)

テロvsそれに対抗する世界中の組織&ただのWeb屋というこうした構図の中で立ち向かう者の立場の特異性であったり、CIAやJAXA、北米航空団に北朝鮮の秘密組織といった組織が入り混じった闘い、テロリスト側の準備と思想、テザー推進方式を用いたスペーステザーとその進め方に湯水のようにアイディアが盛り込まれ、傑作的スリラー小説へと昇華されている。中でも「宇宙マニア」なだけのただのWEB屋が「いかにすごいのか」の演出にしびれた。

たとえば最初に本作を傑作だと確信させたのはこんな描写だ。アメリカ戦略軍が更新した二行軌道要素(物体の名称、軌道の傾き、運動を二行にまとめた形式のデータ)を照会し、宇宙ファンはこのデータを元に計算を行い夜空に落ちてくる星の正体を探る。和海が主催するメテオ・ニュースはこの落ちてくる物を予報するサイトだが、彼は今回もそれを計算しているところ。

消しゴムを振り回しながら右腕を真っ直ぐに伸ばし、拳一つ半分だけ上に持ち上げる。和海は身体で作る角度をいくつか記憶していた。伸ばした腕の先で拳の縦幅が十度、親指の腹が二度になる。そして、人差し指に重ねて半径六千キロの球体──地球を思い描く。消しゴムはジェラルミンのロケットボディ、<サフィール3>の二段目。消しゴムに結びつけられた糸は重力だ。

大雑把ではあるものの身体を地球軌道上に見たてて見立てを行っている。なんというか、結局人間の想像が届かないところはいくらでもあって、「どう考えてもこれは実体験じゃないと書けないだろ」という描写を、小説を読んでいるとたまに目にすることがある。この描写なんかはまさに「実際にこういうやり方をしている人を知っていなけりゃ、書けないんじゃないの?」と思わせるような、このようなディティールの描写でわくわくしてくる。

立ち向かう者

さて、本作で主軸となって描かれるのは何度も書いているように単なるWeb屋である。サイトを構築して金を稼いでいる。ただしこいつは先ほど書いたようになんだか異常な宇宙マニアだし、へんてこな才能がある。おもしろいのが、たいていの物語が主人公がなんらかの宿命をおっているにもかかわらず、彼は本当に、ただのWeb屋なのだった。結局大きな事件に巻き込まれていくものの、とくにその出自が特別なわけではない。

本作では多様な人種、さまざまな才能の人間が入り乱れる。何ヶ国語も流暢に使いこなす謎のJAXA職員関口や、インターネットに制限がかけられろくにパソコンも使えずに紙とペンだけで誰も成し遂げたことがないような研究を行っているイラン人、日本で政治的やりとりに巻き込まれるJAXAの才能ある若き技術者たち。そうした才能ある人間たちが他国へ積極的にヘッドハンティングされ、国外へとどんどん流出している現状が描かれる。

なにも「日本の技術者、研究者を保護せよ」などといいたいわけではない。そうではなくて、これは「才能ある人達の位置」のお話なのかなと思ったのだ。世界中の人間を書いていて、そのほとんどは元よりプロフェッショナルな人間共だ。JAXAや北米航空団、CIAのような特殊組織。一方で予算もなくプロジェクトも承認されず満足行く活動ができないプロの技術屋たちは自分たちの能力を発揮できる環境を求め国を超えて移動していく。

でもそんな最先端に勝るとも劣らない才能が、意外と埋もれて、そして何食わぬ顔をして目立たない自分の仕事に向き合っている。木村和海のように。

まさにその体現者が突然ふっと沸いて出た藤井太洋さん自身なのだが。自分でGene Mapperを出してセルフ・プロデュースまでこなし見事ヒットさせたとはいえ、オービタル・クラウドのような小説を書ける人間が今までずっと自分の仕事をして小説を発表するでもなく日々を過ごしていたわけだ。本人にその気があろうとなかろうとも、木村和海に著者自身を投影しないわけにはいかなかった。

ハードSFとしての面白さ

作中で起こっている描写を出来る限り科学的に整合性をとって描写した物語、ぐらいに軽くハードSFを定義しておこう。本作はスペーステザーというアイディアを使って、スペース・テロの物語を展開させていく。個人的にハードSFの楽しみとは、科学的な正確さよりマシンガンのように打ち出される理屈、理論が「それっぽく」感じられ、何か大きなとんでもないことが起こっている表現になることだと思う。でも科学的な下地がなけりゃ、大量の嘘理論を吐き出せない。

たとえば観測されないデブリが宇宙に不自然な程点在していたとしよう。それがなぜか、「中国が極秘裏に開発していたステルス技術で〜〜」ぐらいのよくわからん超ギミックを持ち出すやり方もあるだろう。しかし極秘裏に開発したステルス技術で〜なんて過程では説得力ある理屈を並べ立てることが難しい。が、現に既に存在している理論や下地を利用すればそれっぽい説明がひたすらに積み重ねていくことが出来る。

たとえわからなくても理屈が通っているか通っていないかぐらいはわかるものだ。マシンガンのように打ち出される理屈を受け続けることで、描写の迫力と、納得感が増すのだ。もちろんやりすぎると読者も離れていくわけだが、本作は別に理屈が何ページにもわたるとかそういうこともない、基本的にエンターテイメント作品である。特に心配することも無く、演出としての理屈を楽しめばいい。

僕はハードSFの面白さとは次の4つにあると思っている。
1.現実の理論を説明にそのまま利用できるので迫力が増す
2.読み終えたあとの検証など物語外の楽しみが出る
3.現実に起こりえる事だという実感が得られる。
4.荒唐無稽な馬鹿話を現実の科学で持ってねじ伏せる面白さ

1.がさっき述べたこと。2は理論の検証や未知の技術に触れたとき、それがどうやって機能しうるのかを調べたくなってくることだ。軌道エレベータが出てくる物語を見ればそれがいかにして可能なのか調べたくなるし、本書でいえば読み終えてすぐにテザー推進について、その理屈がどうなっているのかつぶさに調べ始めたくなるはずだ。

しかし重要なのは4だ。科学的に正しかったからといって話が面白くなるわけではない。「フィクション」の部分を忘れてしまい、科学的な正しさだけを追及したいんだったらノンフィクションでも書いていればいい。ハードSFがその真価を発揮するのは通常であれば荒唐無稽な馬鹿話としかいいようがないものをある程度検証できる範囲で真面目に描写してしまう、その無理やりな豪腕さ、知的格闘技とでもいうべき挑戦の中にある。

本書がチャレンジしたスペーステザーを使った大規模テロという発想は、飲み屋で話を聞いていれば荒唐無稽の馬鹿話といっていいものだろう。しかしそれが分厚い単行本の一冊になって具現化して出てくれば、しかもその中身がCIAの活躍や世界諸国の反応、それをいかにして成功させるのかといった「科学」以外のところまで入念に書き込まれたものとあっては、馬鹿話が一転、壮大な質量を持った得体のしれない何かに変わっていることに気がつく。

変な笑いが出てくるような興奮が、本書にはある。

商業宇宙旅行──宇宙が身近になる時代へ

本作ではイーロン・マスクのお名前そっくりさんであり同じく起業家なロニー・スマークさんと娘のジュディが民間宇宙ツアーのプロモーションを行うために軌道ホテルへ滞在する。広報担当として、まずは自分たちが「安全性」をアピールしようというわけだ。

本作では合間合間にジュディのblog更新記事が入るが、「宇宙で人間が暮らすっていうこと」を放射線の影響や食べ物、シャワーにかかる値段などを身近に感じられるように危険性まで含めて情報を伝えてくる。そして同時に宇宙へ人間が危険な思いをしても、大金をかけてでも行く意義についても。

宇宙旅行は今や目の前の物となりつつある。実際既に宇宙には幾人もの民間人がいっているが、商業としての盛り上がりは今まさに盛り上がりつつあるといったところだろう。たとえば本書でも名前を文字って登場しているイーロン・マスクさんがCEOを務めるスペースX社は宇宙事業に次々と革命を起こしつつある。衛星打ち上げ事業では独占状態だったアイアンスペース社に対抗して静止軌道打ち上げにたいして最低5000万ドルと従来の相場に対して半額の価格を提示している。

船も、飛行機も車も、常に乗り物の歴史は市場が本格的に参画してから競争が過激化し民間にまで手の届くレベルまであらゆる環境が整備されてきた歴史がある。第六大陸は現実になるか? - 基本読書←ここで紹介しているのはゴールデン・スパイク社が提案している「月への宇宙旅行」だが、こんなものが真面目に検討される時代になっているのだ。

商業の宇宙事業が本格化し、競争が起こるようになると、公的機関が何度も承認を経て社会情勢の変化も日々激しい中宇宙事業に割かれる資金はどんどん少なくなっている。金をなんとかかき集めてやっとこさ数回打ち上げて、といったかつてとはまったく違った速度で開発が進むことになるだろう。当然問題も多く起こるだろうが(船も車も当初は事故が起こって人が死にまくった)過去を乗り越えてきた今ならばより安全性に考慮した進行も可能なはず。

個人的に良かったのは、これが「宇宙は怖いね」で終わってしまうような話ではないことだった。最近では宇宙を描いたものとして映画『ゼロ・グラビティ』 - 基本読書が話題になったが、この映画で一つ残念な点があるとしたら「宇宙は怖いものだ」というところばかりが強調されているように感じるところだ。

そりゃ宇宙は怖い。容易に人が生きていける環境ではないし、テロが起こって居住空間に穴でもあこうものならあっというまにお陀仏になってしまう。火災になっても「わー逃げろ!」というわけにはいかない。でもやっぱりそこには未来への展望とか、そこにしかないものへ賭けてきた人の思いまで含めて描いてもらいたかったんだよね。

「怖い」だけしかないのであれば、そもそも人間は誰も宇宙にいかないのだから。事故もあればテロの危険性もある、そうした課題を提示しながらもこの『オービタル・クラウド』では軌道ホテルに滞在するロニー・スマークとその娘ジュディが、地球を離れて暮らすとはどういうことなのかと、テロに屈せずに「宇宙においでよ!」とその楽観的ともいえるような思想をみせてくれる。「その先へ行こう」と。

まとめ

危なげなく傑作なので興味を惹かれたのならば読むべし。宇宙開発を書いた傑作であり、「優秀な悪党」を書いた傑作であり、現実を反映させているだけなのだがそれがそのまま問題提起になっている傑作であり、未来と科学への有り様が、楽観的に書かれている傑作であり……。いや、よくハリウッドプロットをここまでのレベルの物に昇華させたと、今こうして読みなおしていても思う。太鼓判を押しておすすめしましょう。

ちなみにこれで興味をもった人には小川一水第六大陸/小川一水 - 基本読書で民間宇宙旅行のその先、月に結婚式場を作っちゃおうという話がオススメだったり。個人が宇宙旅行する宇宙事業についてエンジニアたちの悲哀交々、熱意、などをハードにサイエンスして書いたものが読みたければ野尻抱介さんのロケットガールシリーズ by 野尻抱介 - 基本読書をどうぞ。どちらも大傑作で、日本のSFの力強さを感じます。

オービタル・クラウド

オービタル・クラウド

第六大陸〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

第六大陸〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

第六大陸〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

第六大陸〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

Kindleでこんなようなレビューをいっぱい載せている傑作選を出しているのでヨロシクネ

冬木糸一のサイエンス・フィクションレビュー傑作選

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